定食屋で昼を食べていると、玄関先でわっと歓声が上がった。白亜に旅立つ人への激励らしい。
 定食屋の二階は宿屋になっており、白亜へ旅する人たちの中継地点になっている。周りにも同じような宿屋がいくつもある。
 この町を過ぎれば白亜まで町らしい町はないので、皆、屋根の下で寝られる最後の日を惜しんでいるのだろう。同時に、この町を過ぎればいよいよ白亜への旅の始まりだという気持ちにもなるのだろう。
 天井近くに置かれた旧型のテレビが、不安定な電波をとらえて、瞬いた。ローカルニュースに晴れやかな笑顔が映し出される。白亜に向かう人たちだそうだ。
 よくもまあ、みんなしてあんな場所へ向かうものだ、と僕は揚げ物をかじりながら考える。
 なにしろ、白亜へ向かった人は誰ひとりとして、帰ってきてはいないのだ。


 森の向こうにその白い遺跡は見える。
 白亜はその名の通り、白く輝く壁だ。遠く離れたこの町から見えるということは、相当巨大な物である。
 白亜と町は森で隔てられている。白亜の周りには集落はなく、草木の育たない更地で、その周りを森が囲んでいるらしい。
 白亜は遺跡であるが、いつからあるのかはっきりとせず、また何のために存在していた物なのかも分からない。
 これもまたいつの頃からか定かではないが、謎の遺跡・白亜は神聖視されている。聖地巡礼とでも言うかのように、白亜へ向かう人があとをたたない。
 そして白亜に行った人たちは残らず帰ってこないのだった。連絡を取ることさえできない。
 白亜への道は整備されていないので、徒歩で森を突っ切らなければならない。森の中にはどんな動物も棲んでいない。
 帰ってこない者を探す人はいない。誰も帰ってこない、得体の知れない場所にも関わらず、皆、喜んで白亜へ向かっていく。


 そんな奇妙な町に僕がいる理由は、役所の資料を整理するという仕事についているからだ。
 整理するというより、重要な物や使えそうな物を選び出し、それを中央の役所へ持ち帰る、というのが使命だ。
 町の役所はことごとく打ち捨てられている。行政は中央に引き上げ、町には警察機構のみが残っている。
 町はにぎわっているが、旅の者とそれを相手にする人たちばかりなので、住民はほとんどいないのだ。
 僕はこの作業を一人で、しかも三ヶ月のうちにやると決められている。こんな仕事に割く費用などないのだろうな、と僕は閉口していたが、上司の見立てによると、理由はそれだけではないらしい。
「白亜を見つづけていると、だんだん、白亜へ向かいたくなってくるらしい」
 上司は僕を脅かすようにそう言った。「それって、都市伝説ですよね?」と僕は返した。
「そうかもしれない。しかし、そうだと決めつけられないところもある。君の前任者がどうなったかは知っているか?」
「前任者って、町へ行って資料を回収する係のことですか? いいえ、聞いていません。何かあったんですか?」
「君の前任者は町へ行って二ヶ月ほど経ったあと、失踪している」
「それって、白亜へ向かって帰ってこなかった、ということですか?」
「そうだという証拠はない。だが前任者には、町へ赴く前に、失踪しそうだという兆候は見られなかったそうだ」
「捜索はされなかったんですか」
「政府は白亜には関わりたくないようだよ」
 どうして白亜が放置されているのかを問おうとする前に、「まあ、君も気をつけたまえよ」と上司は話を打ち切った。


 いつもの定食屋に行くと、厨房の中で店主が呟いた。「近々、店をたたもうかと思ってるんだ。いつも来てくれる兄さんには申し訳ないが、今度から昼飯を食べるときは他の店に行ってくれ」
 僕は顔を上げて店主を見た。なぜ店を閉めるのだろう。店は繁盛しているようだし、店主に健康上の問題もなさそうだ。
 訝しげに見つめる僕に気がついたのか、店主はにこりと笑って言った。
「白亜に行こうかと思ってるんですよ」
「白亜……ですか? また、なんで突然」
「この間までここで働いてくれてた子が、白亜へ行くってんで辞めちゃったんですわ。皆、なんで白亜になんか行きたがるかねえと思ってたんですが、なんたかだんだん、私も行きたくなりましてね。思い立ったんです」
 たしかにここのところ、いつもいるはずの店員の姿が見えないと思っていた。僕より少し年下らしく、真面目に働いていた。白亜へ向かう旅人たちを横目に、「なんで皆、苦労してあの白い壁へ行くんでしょうね」などと言っていたのに、彼も白亜へ向かったといくのか。
 まともそうな店員と店主がそろって白亜へ向かうと知って、僕は信じられない気持ちだった。
「でも、白亜に行ったら、戻ってこられないかもしれないんですよ」
 僕は心配したが、店主は笑って「いや、そうかもしれませんが、帰ってこられるかもしれませんよ。行った人たちも、向こうでのんびり暮らしてるかもしれませんし」と言うばかりだ。
 どうして皆、自分だけは大丈夫、だなんて思うのだろう。


 僕は白亜について知りたいと思った。なぜ、ただの白壁が、得体の知れない遺跡が、人々を惹きつけるのだろうという不思議を明かしたいと思った。
 しかし白亜について詳しい人や資料などはない。調べる手がかりはなかった。白亜へ赴いて実際に調査してみる勇気も、僕は持ち合わせていなかった。
 僕は中央へ持ち帰る資料を探すより、白亜について何か書かれた物はないかを探るようになった。打ち捨てられた役所のどこかに、自分の知りたいことが書かれた文書が隠されてはいないか、隅々まで見て回った。
 ある役員の仕事机の中に、紙切れの添えられたディスクが入っていた。他の書類とは別に、密封パックに入れられていた。
 紙切れはかなり古い雑誌の切り抜きで、よれて汚れているが、きちんと皺を伸ばされて保管されていた。
 雑誌のタイトルが紙切れの隅の方にかろうじて見えたが、調べてみたら昔のオカルト雑誌だった。似たような物が今でも売られている。信憑性のないトンデモ科学など扱っていて、僕は好んで読まないが、普通に書店に並んでいるところを見ると、人気があるのかもしれない。
 雑誌の切り抜きには、白壁の写真があった。写真の画像は粗く不鮮明だったが、それは白亜のように輝いていた。
 しかし写真を説明する文章には「白亜」という言葉は一度も出てこない。白壁は白亜のような一枚壁ではなく、白い箱型の建物で、記事によると、政府に属する施設だということだ。
 切り抜きとともにあったディスクは記録媒体だった。これもかなり、百年単位で、古い物だ。メモリーカードですらない。
 このディスクを再生できる機器などないだろうと思ったが、役所の倉庫にあった、これまた年代物の機械の互換機能を使ってなんとかその中身を見ることができた。
 ディスクには映像が記録されていた。音声データが壊れているので、説明も何もなかったが、映っているのは切り抜きな載っていた白い建物だった。もしかしたらあの写真は、この映像から引用したものかもしれない。
 映像の中の白い建物は、当たり前だが微動だにしない。しんとそこに在る。
 と、次の瞬間には、白い壁は何の前触れもなく吹き飛んでいた。音は聞こえないが、どん、という爆発音がしていそうだ。屋根が吹き飛んでいるので、内部からの圧力によるものだろう。何かの事故だろうか。
 壁や屋根が吹き飛んだあとの建物跡には、一枚の壁が残るのみとなっていた。
 残った一枚の壁は、そこだけ傷ひとつつかず、爆発などなかったかのように、静かに屹立していた。
 光を浴び、凛と立つ一枚の白壁。それはたしかに、あの白亜の姿と重なった。では、この事故から生き残った壁こそ、白亜のはるか昔の姿だというのか。
 画面下からうっすらと白い煙が上がり、そこで映像はぷつりと途切れた。機械の故障ではなく、ここまでしか記録されていないらしい。
 これら切り抜きと映像を、その机に座ってはたらいていたかつての役員は、どのような意図で持っていたのだろう。白亜の前身をつきとめたつもりだったのだろうか。その役員も、白亜へ向かって行ってしまったのだろうか。


 僕も白亜へ行ってみようと決意した。他の人たちのように、白亜を崇めたり、ランドマークだと思っているわけではない。白亜の正体をつきとめないと、ここへ来た意味がないと思ったのだ。
 もちろん、仕事を放棄したわけではない。決められた期日まで勤めたし、必要だと思う資料もまとめて、中央へ送った。あとは僕が中央へ帰ればいいだけだが、その前に、白亜のことを知りたかった。
 知りたい、と思った時点で、惹かれたも同然かもしれないが、僕は他の人たちとは違う、調査をして帰ってくるんだ、という気持ちを持っておきたかった。
 行きの分だけではなく、帰りの分の食糧も詰め、荷物を背負って僕は意気揚々と歩き出した。今までにたくさんの人がたどってきた道をなぞる。
 森の中は穏やかで、降り注ぐ光が木々の間からちらほらと地面にまで届いており、陰鬱な感じはしなかった。他に旅人はいないかと見回したが、僕の他に歩いている人には出会わなかった。
 一人もくもくと歩いていると、自分が世界でただ一人の生き残りになってしまった気がした。
 映像で見たあの白い建物の中に、人はいなかったのだろうか? いたとしたらあの爆発でひどい影響を受けているはずである。
 あの事故は重大なものではなかったのだろうか? 建物が吹き飛ぶなどという事件が、どんな記録からも人々の記憶からも消え去っている。この世界は一度終わってしまった世界なのではないだろうか。
 つらつらと考えながら森を抜けると、広々とした荒野が目の前にあった。草も生えない平らな地面がずっとつづいている。
 顔を上げると、いつのまにか白亜はすぐそこに迫っていた。空を覆う白い板は、どこか別の場所へと通じる扉のようだ。
 眼前に迫っていると言っても、巨大なものなので、そのふもとまでの距離はまだあった。僕は再び歩き始める。
 白亜の周りには集落があるという噂もあったが、集落どころか建物も木も人間の影も見えなかった。ただ砂地が広がるだけ。
 白亜までまっすぐ見通せるはずなのに、巻き上げられた砂なのか靄なのか、そのふもとは白くけぶって見えなかった。
 もう少し進めば何かあるはず、と思いながらずっと歩き、とうとう日が暮れた。僕は天幕を張り、中で眠った。風はまるで吹かなかった。
 どのくらい眠っただろうか。天幕の外が白い光に溢れ、僕は目を覚ました。もう夜が明けたのだろうか。
 幕を払いのけ、僕は外を仰ぎ見た。未だ明けきらぬ紺色の夜に、白い壁が自ら光を放つように輝いていた。
 壁の前面に、壁と同じくらい巨大な白い花が浮かんでいる。蓮のような形の白い花は、輝きながらゆっくりと開いた。神々しい速度だった。
 開いた花の中から、これもまた白いものが現れた。つるりと白い肌を持つ、男か女か分からない巨大な人だった。印を結んだ手を見て僕はとっさに、仏像だ、と思った。
 しかしその巨大な人は仏像とは違い、生きていた。地上にいる蚤のような僕を見とめてその人は、ゆったりと美しい笑みを向けた。
 僕はその人のもとへ駆け出していきたかったが、あまりに圧倒されて腰を抜かしてしまい、その場にへたりこんだ。
 花の中から現れた、白亜の化身とも言うべきその人は、微笑みながら僕に手を差しのべた。
 次の瞬間には、僕はその人の掌の中に座っていた。仏のようなその人は、全身から白い光を放ち、僕は体じゅう白い光に包まれていた。光といえど温かくはなく、大陽の光というより月明かりに近かった。
 涼しい光を放つその人は、呆然とする僕に微笑みかけた。まつ毛の一本一本までもが美しい。皆、この人に会うために白亜を目指していたのだな、と僕は悟った。
 いったいあなたは何者なのか、という問いすら、僕は発することができなかった。白亜を調べに来たはずなのに、それももうどうでもよくなっていた。
 この神々しい人は、映像で見た白い建物で起きた事故の産物なのか、人々を救うため白亜というオベリスクに降り立った仏かそれとも悪魔か、あるいは単なる幻覚か、あらゆる疑問が僕の中を駆けた。
 そのすべてを無に帰すように、白い人は微笑んだ。多幸感に包まれた僕の視界は滲み、微笑みは歪んだ。僕は自分が繭にくるまるさなぎに変化(へんげ)するのを感じながら、巨大な掌に溶けこんでいった。





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