■ ■ ■


「専属バトラー、ですか」
「そうなの。例のお客様直々のご指名でね」

あなた何かしたの?とあけすけに尋ねられ、私はそろりと視線を遠くへ逃した。酔っ払って号泣した挙句、募らせた恋情を本人の前で洗いざらいぶちまけたとは天地がひっくり返ってもとても言えない。何度でも言うが竜崎様はお客様なのだ。

「コンシェルジュカウンターで何度かご案内させていただきました」
と当たり障りなく答える。
チーフは困ったように頬に手を当てた。

「正直あなたに抜けられるのは困るんだけど、支配人はあなたさえよければ是非やってほしいって言ってるのよね」
「あの、そもそもうちってバトラーサービスなんてありましたっけ?」

バトラーサービスとは、簡単に言うと専属召使いのようなものだ。海外の高級ホテルでは全室にバトラーがついており宿泊客の旅行をサポートするというが、国内ではあまり見かけない。

「考えてはいたみたいよ。これから海外に展開していくなら富裕層向けのサービスは必須だし、あなたならサポートの能力は申し分ないからきっと小手調べってところじゃない?」

加えて、相手はあらゆる面で優遇、配慮され慣れているVIPである。一流のもてなしを知っているからこそ良いサンプルになると踏んでいるのだろう。
あのやり手支配人の考えそうなことだ。

「………一度持ち帰ってもいいんでしょうか?」
「そう言うと思って期限一日貰っといたわ。目一杯考えなさい」

最後に軽い口調で、チンタラしすぎてると他にとられちゃうわよ、と付け足されたので、きっとチーフもまた薄々事情を勘付いている。もう暫く顔を見て話すのは無理そうだ。




「それで、どういうおつもりなんですか?竜崎様」

コンシェルジュカウンターの前で突っ立っている竜崎様に、私は手元の観光パンフレットに割引チケットを折り込みながら尋ねた。手が空いた時はひたすら内職だ。手持ち無沙汰が周囲に悟られるのはど素人である。

「あなたに私専属になってほしいです」
「……それは、私の能力を見込んでのお話でしょうか」
「勿論それもありますが、正直なところ貴女に私の手助けは期待していません」

正直だしハッキリものを言い過ぎだ。

「それよりも、あなたが他の男の為に何かをするという行為を想像しただけで胃の腑すべてが焼け爛れそうです。嫉妬しています」
「おそろしく正直ですね、竜崎様」
「普段は嘘ばかりついていますので」
「……では私も正直にお伝えさせていただきますけれど、今のところ、そのお話はお断りしようと考えています」

からんからん、と何かが転がった。
カウンターから身を乗り出して床を見ると、なぜか銀色のカップが落ちていた。竜崎様が握っていたものらしい。
慌ててそれを拾うために彼のいるほうへ駆け出ていくが、竜崎様はまさに茫然自失といった様子で立ち尽くしている。

「………あなたは」
「竜崎様これ、えっ、……?」
「……すみません。どうやら私は少し浮かれすぎていたようです。頭を冷やしてきます」

ふらりとそのまま立ち去ってしまった竜崎様。
ただその背中を目で追っていた私は、「なまえさん」と声をかけられてハッとした。そこにはワタリさんがいた。

「ワタリ、様」
「今しがた竜崎がこちらへ来ていたようですね」
「……はい」

頷いて肩を落とす。

「失礼なことを言ってしまったので、怒っていらっしゃるかもしれません。お部屋に戻られてしまわれました」
「ふふ」
「……ワタリ様?」
「ご安心ください。竜崎はそんなことでは怒りません」

ただ少し、と老紳士は優しげに言う。

「浮かれてはいるようですが」

彼が指さしたのは私がまだ手に持ったままのステンレス製カップだ。

「実は竜崎、今朝から何度もロビーにコーヒーを淹れにきておりまして」
「え?でも竜崎様のお部屋にはコーヒーメーカーが……」
「もちろんそれも承知の上で、です」
「……」

ワタリさんの言葉に私はじわじわと頬が熱くなっていくのを感じた。つまり彼は、最上階のロイヤルスイートルームから、わざわざロビーのウェルカムコーヒーを淹れに来ているというわけだ。
勘違いでなければ、私と、会うために。

「ワタリ様」
「何でしょう」
「お部屋にうかがっても宜しいでしょうか」
「ええ。もちろんです」
「でも、いただいたお話はお断りするかもしれません」
「それでも構いません」

柔和な口調でそう告げたワタリさんに続いて、最上階の一室を訪れた私は、その様変わりした部屋を見て言葉を無くした。
光のこもる造りになっていた大部屋はカーテンが締め切られて薄暗く、いくつも設置された液晶画面だけがぼんやりと光っている。中央の大理石テーブルにはこれでもかというほどお菓子やスイーツが積まれていた。
「ワタリ」
隣の部屋からだろうか。竜崎様の声がする。

「次のホテルの目星はつきましたか。」

思いがけない言葉に唖然とした私の横で、ワタリさんが困ったような笑みを浮かべた。

「立地、設備、セキュリティ、サービス、食事、どれをとってもこのホテル以上の場所は見つかっておりません」
「そうですか。では、セキュリティ以外の項目は全て無視していいです。どこか探してください」
「竜崎様…!」

気が付いたら声の主の元へと走っていた。
隣の小部屋にある質のいいソファで体育座りしていた竜崎様は、突然現れた私を前にクマで縁取られた目を大きく見開いていた。

「申し訳ありませんでした」

深く頭を下げてお詫びする。

「当ホテルに何か至らぬ点がございましたでしょうか。私の先程の振る舞いにお気を悪くされてしまったのなら、心からお詫び申し上げます」
「なまえさん、止めてください、頭を上げてください」
「しかし…」
「あなたは勘違いしています」

顔を上げると、いつソファから降りたのか、すぐ目の前に竜崎様がいた。

「あなたやこのホテルに不満があるから出ていこうと言ったのではありません。ここは素晴らしいです。あなたも素晴らしいです」
「……ならどうして」

竜崎様は一瞬目を逸らして、また私を見つめた。今度は迷いのない眼差しだった。

「ここにいる限り、あなたは私を宿泊客としてしか見ないだろうと、今更気付いたからです」
「え、……」
「間抜けな話です。失念していました。あなたが、仕事に誇りを持つプロだということを」

なぜかその言葉に涙が出そうになる。
それをグッと堪える私に、竜崎様は優しく言った。

「滞在分の料金を返せと言うつもりはありません。ホテル側にもいつそうなるか分からないことは伝えてありますから、あなたが責められることはありません」
「………竜崎様は、ここを出て、どうされるのです」
「私には私の仕事があります。それをこなしつつ、今度は一人の男としてあなたを口説くつもりです」
「……正直ですね」
「ええ。あなたにはそうありたいので」


「なら私も、正直にお話させていただきます。コンシェルジュとして」

私は姿勢を正し、言った。

「まず、当ホテルは都内でも最高峰のサービスレベルで知られておりますが、最も誇れる点は、ラグジュアリーな客室でもハイクラスな接客でもなく、徹底したセキュリティ体制にあります」

竜崎様の目がしぱしぱと瞬きする。

「アクセスコントロール、エレベーターのセキュリティロックはもちろんのこと24時間体制でホテルマンが館内を巡回し、いざと言う時の不審者への対応も徹底して教え込まれています。もちろんコンプライアンス研修もバッチリ!」
「なまえさん」
「竜崎様が気にしていらっしゃるセキュリティ面では、このホテルに敵うホテルは都内には一つも無いと、誇りを持って断言させていただきます」
「なまえさん、あの」
「私は!!」

気付けば前のめりになっていた姿勢を一度戻し、口を開く。

「私は、あなたが他のホテルのサービスを受けてるところなんか、見たくありません」

これは、付け足すならばこっそり、他の建前に混ぜ込んで、残り香くらい漂えばいいかと思っていた本音である。思いがけず、誤魔化しようもないくらいはっきり物申してしまった。
全身真っ赤になっている自信がある。
「あなたは、」
竜崎様はみるみる目を見開き、椅子から飛び降りると、ズカズカと怒ったように目の前に迫ってきた。
「………悪い人ですね」
腿の前で合わせていた手をそのまま固定される。細く筋張った手のひらに意味ありげに手首を撫でつけられ、私は腕を下に突っ張ったまま全力で顔を逸らした。顔が、近い。

「今のはコンシェルジュとしての本音ではないようでしたが」
「……イイエ」
「嫉妬のように聞こえました」
「ちがいますとも……」
「……今は勤務時間中ですか」
「そ、そうですもちろん」
「残念です。命拾いしましたね」

斜め下から私を見上げる竜崎様は、しばらく私の手を弄んでからぱっと手首を解放する。身体中熱くない箇所はなかった。

「嫉妬相手が他の女ではなくホテルだというのが癪ですが、あなたの嫌がることはしないと言いましたし、他へ行くのはやめにします」
「……バトラーの件は、やはりもう少し返答を待っていただけますか?」

顔の熱を冷ましつつ告げる。
セキュリティを最優先事項とする機密重視の仕事をされているのであれば、やはり自分の一存では決められないためだ。

「かまいません、そのかわり」

竜崎様は言った。
こちらに背を向け、拗ねた子供のように。

「一日に、ほんの一時間……三十分でも、十五分でもいいです。私にあなたと過ごす時間をくれませんか」
「竜崎様……」
「誓って何もしません。ただ、私がそれを楽しみに一日を過ごしたいだけですから、断っていただいてもかまいません」

きゅう、と締まる胸を押さえて、私は慌てて辺りを見回した。
当然空気の読めるワタリさんの姿はない。
悩み悩んで、やっと、やっと口を開く。

「………竜崎様、お酒、お好きですか?」

こちらを振り返った彼は、
「……飲めないことはないです」
とぼそぼそ言った。得意なわけではなさそうだ。
部屋の中に視線を巡らせると机の上にどっさり置かれた菓子類が目に入った。

「では、甘いものはいかがでしょう」

彼の目がほのかにきらめく。
これは大層お好みなのだ。

「東京の銘菓を熟知しております。毎日ひとつ、それをお土産に遊びにきてもいいですか?もちろん、就業後になりますけど」
「……………ワタリから、仕入れ金を受け取ってください」
ぐっと何かを堪えたような、平常に振る舞わんとする声音で竜崎様は言う。

「いいえ、私はあくまでお友達として、竜崎さんのお部屋に伺うのですから、手土産くらい持たせてください」
今度は黙り込んで代替案を巡らせているらしい。
「では……」
やがて口を開いた。

「こちらはあなたの好きそうな酒とつまみを用意して待っています」

思わず顔が綻んでしまう。
竜崎様は一度軽く目を見開き、やがて同じように微笑んだ。

かくして、私と竜崎様の大人の恋は、亀のようにそろそろ動き出したのだった。主に片意地ばかり張る私のせいで。

(竜崎さん、知ってます?最近怖い事件ばかり起こってるそうですよ、キラとかLとか、でも安心してください。いざとなったらホテル一丸となってあなたを守ってあげますからね。たいせつなお客さま)
(今日はかなり酔ってますね、なまえさん)
(いいえ、酔ってない!悪を許すな!理不尽クレーマーの横暴をゆるすな!!)
(何かあったんですか)
(がんばれにっぽんの警察!がんばれ!打倒エル!!!)
(Lを倒さないでください。打倒キラです)

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