「ぶびー」
「汚ぇ」

そんなこと言われても、である。
ともかく落ち着いた私は鼻をかんだティッシュをごみ箱に捨てて、ソファから腰を上げた。

「夜ごはん、遅くなっちゃいましたけど」
「今日はいい。1食や2食抜いても俺は」
「私がお腹減りました(動いていた方が、なんだか気が楽だし)」
「…好きにしろ」

台所に向かう私の後ろに、なぜかローさんが付いてくる。
首をかしげると、何を斬るんだ?と尋ねられた。どうやら手伝ってくれるらしい。でも「切る」の漢字はたぶん間違ってる。

「ラーメンでいいですか?」
「ああ」

ラーメンが通じたことにはちょっと驚いた。

「インスタントのラーメンに野菜炒めを乗せるんです。シンプルだけど美味しいですよ」
「へえ」

かくして、ローさんの切った野菜と缶詰のコーンを炒めて乗せたラーメンを
私達はとても美味しく頂いたのであった。
包丁を持ったローさんがニヤッと笑った時の恐ろしさが並みじゃなかった話は、また別の機会に。

**

「ローさーん…あがりましたよー」
「ああ」

髪をポンポン拭きながらリビングに現れたなまえをじろっと見て、ローは傍にあった消毒液をなまえに投げ渡した。
慌てて受け取ったが、その真意はわからない。

「…何だ。俺にやってほしいのか」
そう言われてようやくローの視線が自分の擦りむいた膝に向いていることに気付く。
なるほど、これで消毒しとけってことか…言えばいいのに。

「自分でできます。それよりお風呂どうぞ、丁度いいお湯ですよ」
干していたタオルを渡すとローさんはそのまま風呂場の方へ向かっていった。

私は冷蔵庫の前に立って、深く考え込む。
泣きはらしたこの目は冷やすべきか温めるべきか…うん、今お風呂であっためたから次は冷やしてみよう。
冷凍庫の中のドライ枕を取り出して、ソファにころりと横たわった。

ひやりとしたそれを目に当てる。心地よい感覚。
なんだか、ローさんの手みたい。

「…?」

何度かあった彼の手に触れる機会を思えば、いつもヒヤリと冷たかった気がする。うーん…ローさんは冷え性なんだろうか。
そんなことを頭の隅で考えていると、カララっとお風呂場のドアの開く音がした。

「オイ……寝てるのか?」
「起きてますよ」
「何してんだ」
「アイシングです。明日腫れるといけないから」
「明日?…明日は家に居ろ」

ローさんの声がすぐ近くに聞こえたのと同時に、ソファの頭の方がグッと沈んだ。
ローさんが心配していることは、なんとなく分かる。

「理解できねぇな。あんな事があった後だ、休んでも誰も文句は」
「あんな事があった後だから、なおさら行かなきゃいけないんです」

沈黙が、ローさんの疑問を示している。簡潔に、言うと。

「明日休んだら、明後日はもっと行きたくなくなっちゃう」

あまり考えもせずに発した台詞のなんと情けない事か。「佐竹にひとこと言ってやんなきゃ気が済まない!」とでも言えたらどれだけ格好いいだろう。
所詮自分のため。弱いわたしが折れない為に、せめて私ができること。

「…ありがとう、ローさん…ごめんなさい」
「何で謝んだ」
「心配してくれてるのに」
「…本当にバカなブタだなお前は」
「な、なんと」

ドライ枕をのけようとすると、不意に唇に何かが触れた。
チュッとわざとらしく音を立てて離れていったそれが何か、理解するのにそれほど時間はかからない。

「な、な、ななな!」
枕を撥ね退け急いで起きあがると、すでにソファから立ち上がったローさんは居間を出ようとしている所だった。

「ローさん!な、なにを、」
面白いくらい声がひっくり返る。
「あ?…俺の心配料だ」
「ナニソレ!」
「診察料、運送料、お助け料その他諸々込み」
「!!」

う、運送って!おんぶのことか!私は荷物か何かですか!パンク寸前の頭で糾弾したのはそんなことだったというのに、ローさんは余裕綽々。
不敵に微笑んで、言うのである。

「さあ、寝るぞ。明日も早ぇんだろ」

(茹でダコだな。アイシングの意味がまるでねぇ)(誰のせいですか!)
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