「帰っていいか」「ダメです!」そんな会話を繰り広げたのは小一時間ほど前。
廊下に並ぶお客様達は5分後に迫るオープンを今か今かと待ちわびていた。そんな折に、ローさんが消えた。
「もおおおおお、絶対バッくれたよ、あのひと」
教室の片隅で深く深く溜息をついた私の肩に、ポンと手が乗った。
振り返る。
そこにいたのは巨大な白クマの…たぶん、着ぐるみ。私は直感で悟った。――――、ローさんだ。
「……ローさん」
「…」
沈黙の末、聞きなれた声がくぐもって聞こえた。
「敵前逃亡はフェアじゃねェ」
斜め上を向いてペ●ちゃんのように下を出すファンシーな着ぐるみの中で、ニヤリと笑うローさんが想像できて戦慄した。
「3組コスプレ喫茶へようこそ。お席へご案内します…飯島」
執事スタイルの委員長山本君。同じく執事な福委員長が呼ばれて無表情に現れた。
「いらっしゃいませ。こちらへどうぞ」
「キャー、やだ!けっこうお洒落じゃない!」
「ねえー!」
はしゃぎながら席へ着いた彼女達の傍に、ホスト風にかまえた池山が近寄る。砕けた物言いに笑顔のサービス。
「なんか飲みたいもの決まった?」
「え!」
「…まだ、みたいだね。決まったら声掛けてね」
「は、はいい」
俺カッコイイ!そんな池山の心の叫びは、遠巻きに眺めるクラスの仲間達にしか聞えない。
「あ、ねえ、なまえちゃん」
客帳簿を片手に声をかけて来たのは山本だ。
「トラファルガ−君知らない?」
ギク!
「さ、さあ…私にもさっぱり」
「そう。あ、ちょっとお願いなんだけどさ」
山本は教室の後方を指差した。
「あそこで腕組みして威圧感垂れ流してるクマの着ぐるみ、片付けといてくれるかな?」
山本君に頼まれてしまった物件を取り合えずなんとかせねば。たぶん、彼はあの中にローさんがいると気付いてる。
「片付けといて」には「引っ張り出してお仕事させてね」という意味が含まれているのではないか、なまえは薄々思い始めていた。
「あの、ローさ」
「キャー!やっだぁあ」
「ぐえ」
「え?あ、なまえ!」
(収入のために)精一杯猫を被ってお客さんを相手にしている愛子と図らずも衝突してしまい、前のめりになった。
床と熱烈キッスを交わしそうになった瞬間、その隙間に白いものが飛び込んで来た。――ボスッ
やわらかな感触に守られた。目を開けると、やはりそれは白クマの胴体だ。キレ気味のローさんがクマの頭を取り払って吐き捨てた。
「お前な、危機察知能力でも何でも少しは身につけろ」
「…すんません」
溜息をついたローさんは、視界がクリアなことに気付いたようだ。...…あ。