口実なんてどうでもよかった。ただ引き出しの中にしまったこれを渡せるかどうかだけが、彼女にとって重要だった。だから目の前に突如やってきたチャンスに、実のところ彼女は怯んでしまっていた。

「いかが…されたんですか、スモーカーさん」

 ノックもそこそこに部屋に入ってきたのはガタイのいい上司の姿。トレードマークの葉巻をいつも通り2本咥え、いつも通りのしかめっ面を引っさげて彼は登場した。

「書類だ、何かとややこしいのが多くてな。散歩がてら持ってきた」

 自分が行くのに、というなまえの言い分を見越したように付け足された言葉に、彼女は渋々その書類を受け取るしか出来ず。机上に広げたそれを一通り眺めて、これならそんなに労することはないだろうとなまえは見当をつけた。

「大丈夫ですよこれくらいなら。いつまでに通せば良いですか?」
「そうだな…今日上がる前に出しといてくれれば問題ねえ」
「了解しました」

 どかっと休憩用のソファに腰掛けたスモーカーに一礼する。どうやら本当に散歩に来たらしい彼の様子に、なまえはただどぎまぎと素知らぬ風を装った。普段は挨拶もそこそこに、会う機会が別段多いわけではないスモーカーとの時間。密かに恋慕する相手と急にふたりきりになれた事態に、なまえの胸は高鳴りを鎮めることが出来ずにいた。しかもそう―――今日は、2月14日。バレンタイン特有の少しふわふわした空気が、基地内にも少なからず蠢いているのだ。

「…窓開けましょうか」

「……あぁ」

 ややあって間延びした返事があった。静かに煙を燻らせるスモーカーはそれだけで圧倒的な存在感を持ってなまえに圧を与えていた。ただ同じ空間にいる、それだけのことがとてつもない緊張と高揚を伴って彼女を締め付ける。ジャケットの間から覗く鍛えられた肉体や、背もたれに頭を預けると露わになる喉元。窓を開けながらも意識してしまう彼の姿を追っていると、どこを見るでもなかったその瞳が光を宿して見据えてきた。

「なんだ、人のことをジロジロと」

 一言投げかけられた言葉に気恥ずかしくなって、何でもありませんと目を逸らしながらなまえは答えた。それからそそくさと窓から離れると、先ほどの書類を手に取ってデスクにつく。

「………」

 ついて、数分。彼女の意識は書類に紛れることはなかった。スモーカーがじっと、なまえを見ていた。

「なんでしょう、人のことをまじまじと」

 先の彼の言葉を真似て問いただせる余裕はどこにあったのだろう、意外と冷静に働く脳に彼女自身が驚いていた。彼もまた、何でもねェとなまえの言葉遊びに応えた。
 そして外された彼の視線に安堵を感じながら、なまえは少しだけ手元の引き出しを開ける。覗くラッピングされた箱は静かに息づいて、自分の出番を今か今かと待っているようだ。誰のためでもない、ここにいる彼のために用意したもの。横目に見る彼はやはりいつも通りで、その「いつも」からもこういうイベントには興味がないのだろうと察せられてひとつ、なまえから溜息が洩れる。


「―――――邪魔したな」


 不意にかけられた言葉にバッと立ち上がると、スモーカーが重い腰を上げて背を向けていた。

「俺がいるとやりにくいだろう。窓はもう閉めとけ、冷えるぞ」

 物思いに沈んだところからずるりと引き戻されたなまえはただ、スモーカーが部屋を出るのだということだけを理解し、それと同時にあの、と声を発していた。

「あ、その…」

 くるりと首だけを振り向かせたスモーカーに、何か言わなければとなまえは必死に頭を働かせる。その際に、もしかして溜息が聞こえたのだろうか、なんて要らぬ考えにも至ってしまいますます思考回路は混線状態に陥った。

「あの、やりにくいわけではなくてえっと…緊張してしまう、というか、その、溜息は嫌だったからではなくてですね…」

「…何が言いたい」

 尤もなスモーカーの問いが、しゅんとなまえの肩を落とさせる。それを見て今度はスモーカーがはぁ、と溜息をついた。


「ちゃんと後で部屋持って来い、阿呆」


 ぶっきらぼうに言ってのけた彼はがちゃりと音を立てて部屋を出た。なまえはぼうっとそれを見送って、ゆっくりとした動作で腰を下ろす。だんだんと冷静になって来た頭が、先のスモーカーの言葉を反芻した。もしかすると彼は気付いていたのだろうか。


「〜〜〜っ、」


 ガンっと机に突っ伏して逸る鼓動を抑え付けた。取り敢えず早く書類を終わらせてしまおう。


口実なんてどうでもよかった。


 閉じた扉の向こうからガンっと鈍い音がした。それに倣うように彼も壁に背を預けた。一際大きく息を吐くと、目の前の白が一段と濃くなった。

「これじゃあ俺が意識して来たみたいじゃねェか」

 気付いたのは彼女の様子を見てからだった。部屋にあったカレンダーを見て、朝から少し浮かれていた部下を思い出した。気付くと途端にいたたまれなくなって出てきてしまった。

「…くそっ」

 ガキじゃあるめェし。内心吐き捨てた彼はぐっと踵に力を込めた。それからふと数時間後のことを考えると、自室へ向かう足取りはいつもよりも軽くなった。それが何故か悔しくていつの間にか彼の手は新たな葉巻に火を点していた。

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 サイト復帰第一弾はペク様リクスモーカー甘甘もの。まるで中学生みたい!
 ペク様リクありがとうございました、これからも応援してます!
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 140214
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