ヤルキマンマングローブなんて、よく考えたものだ。
あたりに人っ子一人いなくなってもほら、ぐんぐん空にその枝葉を伸ばしている。
いつかの記憶より一回りも二回りも大きくなっている根っこをひょいひょいと超えていけば、やはり記憶よりぐんとみすぼらしくなった看板が見えた。もはや落下寸前の看板は見事に店の出入り口を塞いでいて、はてどうしようかと頭を捻った。そういえば。
以前シャッキーに教えてもらった通用口の存在を思い出しててくてくと歩を進めると、その扉は無用心にも少しの隙間を見せていた。しかし今の世界を鑑みると、無用心も何もないのが実情だった。
「まさかな」
ポツリと出た声は思ったよりも響いた。
壁紙はところどころ剥がれ落ち、腐りかけの床はギシギシと悲鳴をあげる。
気にすることなくバックヤードからホールへと足を向けると、


「……おお、来たか」


静かな、それでいて朝露の零れるような必然性と自然な重みを伴った声が、私を迎えたのだった。







「もう、幾年、…いや数え切れはせんか。
息災で何よりだ。なまえ」


溶けかけた氷を揺らしたレイリーは、手元の酒瓶をくるりと掲げた。

「そちらこそ、とっくに落っちん死てるもんかと」

その酒瓶をひったくって私はカウンターから出したグラスに注ぎ、当たり前のようにレイリーのグラスにもなみなみと注いだ。そのまま彼の横を過ぎ見るからに草臥れたソファに腰掛けて、その背中を見ながら私は酒で唇を濡らす。

「はは、そうならんことなどわかりきっているだろうに。相変わらずの口ぶりだなあ」

嫌味のようにひとのみにグラスを半分空けた彼は、少年のように笑った。気がする。その表情は見えないけれど、その笑みが好きだったとどこか遠く、思う。

「シャッキーは、いったよ。誰も彼も…世の理に生きたものは」

不意に彼は言った。
そこで私は、そっか、シャッキーもいないのか。そうしたら多分ハチとかケイミーとかパッパグとか、ていうかもうやっぱり誰もいないだろう世界を思って、さっきより多く酒を煽った。嫌いでないけれど喉が焼ける。この感覚はやはりいくら年月を重ねても慣れなかった。

「君ほど生きていても、酒は慣れないかね」

こちらを見透かして愉しげに笑うレイリー。その笑みは何故か癇に障ったので、ぐいと喉を反らせてまだ溶ける様子のない氷を大きく鳴らした。あぁ、やっぱり熱い。
少し呆気にとられた様子の彼は、「はは、やはりいつまでもいつでも愛い奴だ、君は」そう優雅に笑ってみせて隣に座った。もちろん、私のグラスになみなみと酒を注ぐのを忘れない。
そして開口一番の言葉と同じ声でもって、その胸の裡を開けた。


「……ずっと、会いたかった」


誰にとも、言わない口も。私のどこにも触らない手も、惜しむように細められた瞳も。
何もかもがひどくぎこちなくて。


「退廃したこの世界のどこにも、居場所なぞ見つけられず、かと言って死に場所を求め海に出るには老いたからだだ」

「送り出した海賊を見守りながら余生を楽しんだところで、どうにも、生き残ってしまった」

「あれほど全てが入り乱れて成り立っていた世界がもはやいまは、何一つとして意味をなしていないのはとても滑稽に思えて仕方がない」


ゆっくりと、語る彼の目とはやはり交わらなくて。
たっぷりとした間ののち、絞り出した私の声は想像していたよりも熱も色も何もなく。


「なに、後悔してんの。いき損なったこと」

「私に出会ったこと」


「私を、喰らったことを」


グラスのなかでさみしくなく氷のようだと。
無意識に虚しく上がった唇で、また酒をなめた。



レイリーは何も言わない。まるで水をのむかのようにふたりしてしばらく酒をのみ続けて、氷も音をなくした頃。「のむかね」レイリーが尋ねるので私は首を振って「眠い」と一言。

「そうか」

なら、と続けた彼が不意に私の肩を抱いてゆるりと自身の膝へ誘った。

「……なんのつもり」
「何もないさ。ただこうしてみたかった、君と」

だめかね。ハの字にした眉でうかがう彼を見たら、ぎこちなかった空気が嘘のように馴染んだ気がした。やっと触れた肩のぬくもり、少し骨ばった脚の感触。胸の奥が締め付けられるような、この心地。
逆さにある顎にゆるりと手を伸ばせばどうした?と少し腰をかがませてくれる。その仕草ひとつとっても、ただあたたかく。


「寝よう、あんたも。ゆっくりとふたりで」


なあ、レイリー。言い終えて閉じた瞼に降るくすぐったい彼の微笑。私も静かに笑んで、伸ばした手を戻そうとした。



「あァ、おやすみなまえ」



良い夢を。レイリーはその手を取ってやわく握ると、自分もその瞳をゆるりと閉じた。

292000回目の夜明け
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -