私は眼下の街を見下ろして口端を上げる。世界はこうして見るとブリキのガラクタのようで。ただただ寂寥としていた。乾いた冷たい風が、頬や指先に痛い。

夜明け前の空は薄青の哀しい色を帯びていた。
何千何億と迎えたありきたりの夜明けを今日もまた迎えるというのに、世界も空も甘んじてそれを享受しているのが、無性に腹立たしい。
って、馬鹿か、あたしは



わたしは今日ここで死ぬ。(生きるのはおしまい)
つまんない世界からさよならして
まだ誰も知らない
言葉じゃうまく表現できないような
白くて優しい世界に消えていく。

(ああ、なんて素敵)

――そんな世界、ないとは言わせない。

無情な家族や友達からも切り離れてどこか遠い世界へ向うんだ。
まるで恋でもしてるかのように、どきどき疼く胸に手を当てて目を閉じた。夜明けと同時に飛び降りよう。私の人生の閉幕にはもってこいだ。




「おい、ガキ…そこを退け。邪魔だ」
「!」


振り返ると、何時から居たのか其処には全身を黒で覆った、銀髪で長身の男。一瞬驚いたが、私の恍惚とした気分を台無しにしたその男には苛立ちを覚えた。
腹が立ったから無視を決め込み、ボロい手すりに足を駆けて立ち上がった。

「退けと言ったのが聞こえなかったのか」
「うっさいな」

まさか暴言が返ってこようとは思わなかったらしい。男は一瞬怯んだ気配を見せた。
だけど私にして見れば見ず知らずの男の言う事なんて聞く義理もなければ恩もない。どうせ、もう死ぬんだし。
すう、と息を吸い込んで地平線の向こうに滲む赤を見つめた。
ブリキの世界が彩りを取り戻す。美しすぎて、許されるなら、声を上げて泣きたかった。





「――綺麗、」

最後の場所を此処に選んだのは正解だった。この人が来たのは、完璧に想定外だったけど。
私は深呼吸をひとつして、くるりと男の方へ振り返った。
男はただじっとこちらを見ていたが、コートも帽子も銀色の髪も、朝日を受けてずっと綺麗だった。彼への怒りはすうっと消えていく。


「お兄さん、どこかに行ってくれない?」
「…」
「じゃあせめてあっち向いていてよ」

「死ぬのか、お前」


私の言葉のどれにも返事をせずに、男は低く笑った。

ひとが死ぬのがおもしろいか、なんて思ったけど口には出さなかった。何だかんだ言って、考えてみればこの世界にはそういう人間の方が多そうだ。

「うん、あたし死ぬの」
「そりゃ良い…こんな腐った世界、さっさとおさらばすることだ」
「…」

へんなの。一目見ればふつうの人じゃないってことは分かるけど、自殺を促されるとは思ってなかった。
男はもう興味を失ったと言わんばかりに身を翻し、建物の南側の淵に向かった。男が鞄から取り出したのは、ライフルだった。

「…何してるの」
「見りゃわかる事を聞くな」

見りゃわかる事って…。
私はスコープをのぞく彼の、銃口の向く方向に目をやった。
この時間帯に外にいる人間はまれで、男の狙っていると思える人間はすぐに認識できた。

遙か遠くの建物から出てきた男。男が引き金に手をかけると、秒も経たないうちにそのターゲットは地面に伏した。
不思議と恐怖感は抱かなかった。
むしろ、男のその一瞬の動作一つひとつが綺麗に見えて、思わず自分が死ぬ事なんて頭から吹っ飛んでしまったくらい。

「、死んだの…?」
「ああ。確実に心臓を狙った」


直ぐにまた銃をしまい始めた男から目を離して、遠くでぐったりと倒れている中年の男をじっと見る。
消音機付きのライフル、というのは聞いたことがあったけど、事実見るのとはわけが違う。ほんとに、静かに命が消えた。

人がひとり死んでも誰も気付かない。
命とはこんなに、ちっぽけなものだったか。

「お兄さんの銃で、私も撃ってくれる?」
「断る」
だと思った。
口を尖らせ、私は建物の淵に腰かけた。
「放っておいてもどうせ死ぬ人間を消したところで、リスクしかねェ」
「…それは残念」

目の奥に、脳裡に、いまだに焼き付いている。
太陽がじわりと空に滲み、風が男の髪を弄ぶ。すっと伸びた背筋。躊躇いなく引き金を引く白い指。
――世界一綺麗な殺し方だと思った。

私は立ち上がる。こちらを向いた男に微笑みかければ、男は怪訝そうに目を眇めた。

「あの男はラッキーだったね」
「…?」


「それがどれだけ不本意で、唐突で、一瞬だったとしても。 ――あなたに殺されたんだから。」

男に背を向けた私は、せいぜい二番目に素敵な死に方でこの世に別れを告げよう。
もし生まれ変われたら
(なんて戯言もいいところだけど。)
もう人間は懲り懲りだ。次は植物なんかが良いな。
奇妙なことを考えながら一歩前に踏み出した。


しかし、体が浮いたのなんてほんの一瞬、誰かに腕を掴まれたせいで、私は宙ぶらりんになっていた。
誰か、何て分かりきった事だけど。
見上げた先の口元は、可笑しそうにゆがめられていた。

「…なんで」
「お前が惜しくなってな」
「は…?」
「ろくな死に方も出来ねえ奴が、来世でろくな生き方ができると思うな」


片手で軽々引き上げられて、為すすべもなく私の体は彼の腕の中におさまった。
鼻先に香る僅かな香水の匂いが不思議と涙を誘う。

「お前が来世で綺麗な生き方ができるよう、今は俺が面倒を見てやる」
「…でも、あたしこれから死ぬつもりなんだけど」

「苗字なまえ」

ぴくり、自分の肩が揺れるのが分かった。
何であたしの名前知ってるんだろう。
何でわたし、名前呼ばれただけで、こんなに泣けてくるのかな。



「もう暫くは、俺の傍で生きてみろ。」
そしたらお前の願望通り、いつかは俺の手で消してやる。

黒の装束が血に染まるまで

わたしは笑ってしまった。
悪くないと思った。
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