*航海士と海賊




酒場の扉を開けると、アルコールの匂いと共に耳をつんざくような騒音が流れてきた。先程まで宵闇の中に居た所為か、晃晃と店内を照らす電灯に目が眩んで、思わず手を翳す。
目が慣れたところで席を取ろうと辺りを見渡すが、どのテーブルも埋まっていて座れそうもない。酒場は多種多様な人間が集まる為、その場に居るだけでも情報収集には十分事足りる。然し、今日はそのような目的ではなく酒場を訪れる本来の理由――即ち、酒を飲むために此処まで足を運んだというのに。全くついていない。
然し折角来たのにも関わらず、何もせずに帰るというのは悔しい。だからといって席が空くのを待つのも癪だ。さて、如何しようか――

「おや」
「あら」

そう思案しながら不意に顔を向けたところで、見知った顔と目が合った。

「イド!あんた、イドかい?」
「やあ。久し振りだね、レティ」

そこに居たのは、「猛き姿<戦の女神>の如し」と名高い女海賊、レティーシァだった。最も、彼女自身は自らを「麗しき姿<美の女神>の如し」と謳っているが。

「陸地であんたに会うなんて、珍しいこともあるもんだねぇ」
「全くだ。…座っても?」

快く了承してくれた彼女に軽く礼を言い、店主に酒を注文する。その横で、レティーシァは半分程になっていた酒を煽った。

「…おや。あの騒がしい子分達は如何したんだ?」

「絶世の美女=海の女神号」の船長でもある彼女には、当然のことながら大勢のクルーが居る。その中でも、ヤスローとズィマーという男は彼女の取り巻き的存在だった。金魚の糞の如く彼女について回る彼等を低能だと鼻で笑ったのは、何時のことだったか。
彼等とのやりとりを懐かしんでいると、「ああ」とレティーシァが鼻を鳴らして、親指で外を示した。

「あいつらならあそこさ。全く、情けない連中だよ」

そう言って肩を竦めてみせるが、その表情には呆れ共にに慈愛のようなものが滲んでいるのを見付けて、口元が緩む。
なんだかんだいって面倒見の良い姐御肌な彼女は、クルー達から大層慕われていた。どうやらそれは今も変わっていないらしい。

「相変わらずのようで安心したよ。航海の方は順調かい?」

言わんとすることが解ったのだろう、レティーシァは少々気恥ずかしそうに「あんたは相変わらず鋭いねぇ」と苦く笑った。

「まあまあってとこさ」
「これは珍しい。何かトラブルでも?」

何時もならば強気な笑顔で「上々に決まってるじゃないか!」と言ってみせるというのに。
疑問に思って訊ねた直後、先程注文した酒が届いた。それを横目に見ながら「大したことじゃないんだけど、」と前置きしてから彼女は話始めた。

「セイレンにさ、遭っちまったんだよ」
「<海の魔女>に?それは災難だったな」

セイレン――<海の魔女>と呼ばれるそれは、船乗り達の間で恐れられている発生源不明の巨大な嵐だ。出遭えば高確率で船が沈むと噂されており、航海士にとって特に注意しなければならない存在だ。

「災難、ねぇ…。アタシにとっちゃ、その後に拾った娘の方が災難だったよ」

深々と溜息を吐きながら眉根を寄せて、グラスの中の残りの酒を煽った。そんな彼女につられるようにグラスに口を付ければ、アルコール特有の苦味が口内に広がる。飲みたかったからか、別段美味いと感じられたそれをちびちびと飲みながら、続きを促す。

「娘?」
「そう。何でもセイレンに巻き込まれたとかで、気絶したまま海にぷかぷか浮いてたんだよ」
「で、拾ったのか。相変わらずお人好しだな君は」
「仕方ないだろう?野郎なら兎に角、細っちい女だったんだから」

「不可抗力ってやつさ」と仕方なさげに言う彼女だったが、恐らくそれが屈強な男であろうと変わらないのだろうな、と思う。
<戦の女神>等と謳われているが、彼女の懐の深さと慈悲深さは正しく<美の女神>のそれだ。加えて、中々に整った顔立ちをしている。まあ、本人には言わないが。

「それで、その娘が如何かしたのか?」
「如何したもこうしたも、切り替えが早いというか強引というか、兎に角強烈な娘なんだよ」
「ほう」
「本当、あればっかりは手に負えな――」
「レティ!!」

余程参っているのか頭を抱えだした彼女の言葉を遮るかのように勢いよく扉が開いた。それと同時に、鈴のような声が、その声色に不釣り合いな怒色を孕んで店内に響き渡る。

「……アニエス」

ぎくりとした表情で小さく名を呟くレティーシァに、内心合点する。嗚呼、これが先程の拾った娘とやらなのか、と。
成る程、華奢な外見にそぐわず堂々と酒場に入ってきた挙げ句、女海賊として名を知らしめるレティーシァの名を恐れることなく大声で呼ぶとは。中々肝が据わっていて、見所のある娘だ。

「…よう」
「よう、じゃないわよ!直ぐ戻るって言ったくせに全然帰ってこないんだから!…わたし、何かあったのかと……っ」
「わ、海の女が泣くんじゃないよぉ…!」

慌てふためきながら何とか少女を宥めようと奮闘するレティーシァは、先程の言葉通りかなり手を焼いているようだった。

(否、扱いに困っている、か)

恐らく男達ばかりを相手にしていた為だろう、女の扱いに慣れていないに違いない。
それにしても――

( <海の女神>の名を持つあの勝ち気な女海賊をここまで変貌させるとは…)

人というのは、全く面白い。
願わくば、若し私に子供が出来ることがあるのならば。

(是非ともあのような芯の強い娘に育って欲しいものだ)

柄にもなくそんなことを思いながら、グラスを煽った。
気付けば宵闇は身を潜め、暁光が近付いていた。







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イドルさんが航海士なら碧い眼の海賊と面識があったらいいなあという妄想。
イドルさんの口調が掴めない…







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