*青髭+メルヒェン




ぽたり、と。
血濡れた甲冑から滴り落ちた雫が、草を赤く染め上げていく。点々と続くそれは丸で道標のようで、自らの赤黒い軌跡を刻むように、男は足を進め続けた。

獣道のような道無き道を、彼はただただ歩き続ける。宛てがあるわけでも、目的地があるわけでもなく、本当に、只歩いているだけだった。
然し、見知らぬ森であるというのに、不思議と迷っているという感覚は湧いてこなかった。確信や確証はないけれど、根拠のない衝動のようなものが、彼の足を動かし続けては、奥深くへと導いていく。

不気味な程静かな森の中、男の足音だけがやけに大きく響いて聞こえる。
本能のまま、何かに突き動かされるように閑静な林間を進み続けていくと、やがて拓けた場所に辿り着いた。

異様な雰囲気を醸し出しているそこはどうやら墓地のようで、至るところに十字架が立てられている。
そして、その十字架に覆われるように、古びた井戸がひっそりと佇んでいた。
その向こうには、廃れてしまったらしい高い建物が見える。

まがまがしい空気を放つその井戸に、然し男は吸い寄せられるかのように近付いていった。
ふらふらと覚束ない足取りで井戸へと歩み寄る彼の後ろで、不意に声が聞こえた。

「──王子?」

男にしては高い、不思議な響きを孕んだ声だ。
掛けられた言葉に男がゆっくりと振り返ると、そこにはひとりの青年が窺うように此方を見つめながら立っていた。
青年は瞬きをひとつすると、「…違うようだね」と呟いて、誤魔化すように咳払いをした。恥ずかしかったのか、蒼白い頬が薄らと赤く染まっている。

「…失礼。暗闇でよく見えなかったものでね。見たところ、君は屍人姫ではないようだが…」

そう言いながら、青年は男へと近寄ると、顎に手を当てて見定めるように上へ下へと目線を奔らせた。
別段拒む様子もなく、男が青年を見つめ返していると、青年は小さく「…ほう」という感嘆の声を上げて、そのアルビノを細めた。

「…恨み、否、憎悪かな。凄まじい殺意の念だ」

感心するような青年の言葉に、男の眉がぴくりと動いた。そんな男の様子を見て、青年は殊更愉しそうに目を細めると、その口元に薄らと笑みを浮かべた。

「…それほどまでの恨みなら、どうだろう。私の指揮で唄うのならば、君の復讐に手を貸そうじゃないか」

何時の間に取り出したのか、青年はタクトを手にすると、その骨張った白い手を仰々しく広げて見せた。高く上げられた、黒で彩られた細長い指先を見つめながら、男は小さく「…唄」と呟く。
青年は大きく頷いて、「まあ、」と続けた。

「本来ならば死んでから出直して貰うところだが、丁度退屈していてね。エリーゼも居ないことだし、特別に指揮を執ろうじゃないか」

「どうだい?」と首を傾げる青年に、男は思案するように顎髭を撫で付けて天を仰いだ。空を覆い隠すように広がる暗緑が男の瞳に映りこみ、その眼差しに一層深く暗みを帯びさせる。
やがてたっぷりとした時間を置いて男は目を伏せると、「…いや」と首を緩く左右に振った。

「御遠慮しよう」

目線を青年に戻し、男がきっぱりとそう明言すると、青年は「それは残念」と大袈裟に肩を竦める。
そこで初めてその青年の容貌を認識した男は、僅かに目を見開いた後、興味深そうに目を細めた。

──死人のように蒼白い顔。形の良い薄紫の唇に、すっと伸びた鼻。切れ長の瞳は抜けるように白く、その中に濁りや穢れは見当たらない。
深い宵闇の艶やかな黒髪が、青年が動く度に舞うようにふんわりと揺れる。
ほっそりとした体は薄く、その輪郭は幻のように儚かった。それこそ、力を込めれば折れてしまいそうな程に。

白と黒で構成された無彩色の世界で彩りを添えるように躍る赤を見て、身の内から衝動に似た何かが込み上げてくるのを、男は感じた。
それはぐるぐると身体中を巡り、けたたましく駆け上がり、至るところを燻らせていく。
──丸で焔だ。
劣情を煽る、赤い焔。

その衝動に気付く様子もなくタクトを仕舞う青年を、男は吟味するように眺めて口角を吊り上げた。
そして、青年が井戸の縁に腰を下ろしたのを見計らって、ゆっくりと口を開く。

「…貴公は、私の出立ちを見て、何とも思わぬのかね」

青年は不思議そうに首を傾げて、「出立ち?」と繰り返して男に目を向ける。
男の手に握られた剣には凝固した血がこびりつき、白銀を赤黒く変色させていた。身に付けた甲冑も返り血で赤く濡れ、宵闇も手伝って原色の判断をつかなくさせている。
頭から血を被ったかのように全身を真っ赤に染めた男の姿を見留めて尚、青年は表情を変えずに「ふむ」と呟くと、矢張り不思議そうな瞳で男を見つめた。

「…解らないな。別に、可笑しなところなどないじゃないか」

心底解らないといった様子で首をひねる青年に、遂に男は肩を揺らしながら、大きな笑い声を上げた。
くつくつと愉快そうに笑って、「そうかそうか」と低く呟く。

「…実に面白い。この血に濡れた姿を見て、恐怖を抱くどころか『可笑しなところなどない』とは!」

青年は釈然としない様子で男を見つめて、「そんなに面白いかい?」と眉を潜めた。機嫌を損ねてはいないものの、男が何故笑っているのか理解出来ないらしく、不本意そうな表情をしている。
男はひとしきり笑った後、口元に手を当てながら「いや、失礼」と取り繕うように言葉を漏らした。

「…この姿を見れば誰しも恐れ慄くものでな。──『青髭』が来た、と」
「…青髭?」

青年の言葉に「ああ」と頷くと、男は甲冑に付いた赤を指先で辿るように拭い取った。それを見つめながら、口元にうっすらと笑みを浮かべる。自虐的な、何かを諦めたような笑い方だった。

「人間の血は赤い。時を経て彩度や明度を変えようとも、本質的には変わらぬもの。赤は赤。人間の血は、──赤い」

そう言いながら、男は静かに瞼を閉じた。
仄暗い森の中で指先に付着した血の色を認識することは困難だったが、青年は「そうだね」と頷いた。それは、わざわざ確認せずとも容易に理解出来る、謂わば常識であったからだ。
「されど」と続けながら、男はゆっくりと瞳を開く。深い濃紺の深奥に、どろりとした淀みが光を呑み込むかの如く広がっていた。

「人は私を『青髭』だと言う。…髭は疎か、髪色さえも青くはないというのにな」

そう言ってふ、と自嘲する男の毛色は、言葉通りに青くはなかった。それどころか、原色とは掛け離れた、鮮やかさも彩りもない無彩色──深い、吸い込まれそうな程に暗い漆黒。
青年は確認するように身を乗り上げて男を仰ぎ見ると、「確かに」と納得の声を上げた。

「君は、黒髭と称されるべきだろうに。何故だろうね」
「…私は化物らしいからな。人間が赤ならば、化物の血は青。…そういうことなのだろう」

青年は「成る程」と頷くと、組んだ足の上に手を置いて、面白そうに目を細めながらくすりと笑った。

「それならば、お望み通りに成ってみたらどうかな?」
「…成る、とは」

訝しげに返す男に、青年は浮かべた笑みをますます深くする。三日月のように弧を描いた口元が、愉しげに言葉を紡ぐ。

「その化物とやらに、さ」

──刹那、身の内に宿った焔が、劫火の如く燃え上がったような気がした。











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どこで間違った…
これじゃあ青髭+メルじゃないか…ッ
すみません精進します…!







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