*冬闇冬




「…あれ、」

不意に上げた声が予想以上に室内に響いて、メルヒェンは慌てて口を告ぐんだ。
然し、狭い上に比較的近い距離に居た為に、その呟きは相手の耳に届いてしまったらしい。

「どうしたの、メル君」

不思議そうな顔をして首を傾げるイヴェールに、「…いや」と口籠もりながら、メルヒェンは誤魔化すように視線を泳がせた。
剥き出しの土壁を意味もなく見つめるメルヒェンにつられて、イヴェールもそこに視線を移す。
麗しの美青年がふたり並んで壁を凝視するという、何とも不可思議な絵が完成して、メルヒェンは居心地の悪さに心中で呟いた。

(……何だろう、これ…)

久方振りにイヴェールが宵闇の森を訪れたということで、数少ない友人を無下には出来ないと思ったメルヒェンは、古井戸の中にある生活スペースに彼を招き入れたのだが。

(何故自室でこんな肩身の狭い思いをしているんだろう…)

がっくりとうなだれたくなるのを何とか抑えて、横目でイヴェールを盗み見る。
尚も壁を見つめているイヴェールは、真剣な顔で何事か思案しているようだった。

粗方持ち前の不思議な思考回路で、妙なことを考えているのだろう。
メルヒェンは小さく溜息を吐くと、視線を完全にイヴェールへと移して観察を始めた。

イヴェールの肌はその名に相応しく、丸で真雪のように白く透き通っていた。
鮮やかな対の瞳は伏せられており、それを覆い隠すかのように銀の長い睫毛で縁取られている。
時々、声にならない声でイヴェールが何事かを呟く度に薄く唇が開いて、そこから覗く白い歯や赤い舌が、何とも言えぬ不穏な感情を駆り立てて──

(…何考えてるんだ僕はっ)

メルヒェンは頭を振ると、慌てて目線を唇から離して眩く煌めく銀色へと移した。
持ち主に似たふわふわとした銀灰色の髪は、僅かに差し込む月明かりを受けてきらきらと輝いている。
たおやかで柔らかなその光は、イヴェールをそのまま投影したようで、メルヒェンは僅かに目を細めた。

暫くそうして様子を窺っていたメルヒェンだったが、やがて眉を寄せると「…矢張り」と小さく呟いた。
メルヒェンの声に漸く思考の海から帰ってきたようで、イヴェールは壁から目を離すと「何が?」とメルヒェンを振り返った。

「イヴェール。君、体調が優れないんじゃないか?」

イヴェールは驚いたように瞠目すると、ぱちぱちと目を瞬かせた。

「ぇっ…、何で?」
「顔色が悪いし……何時もよりぼうっとしてる」

「そうかなあ」と腕を組むイヴェールに「そうだよ」と答えながら、メルヒェンは何時にも増して蒼みを帯びた白肌をじっと見つめる。

「…よく見たら隈が酷いね。眠れないのかい?」

先程は気付かなかったが、イヴェールの目の下には薄らとだが黒い陰翳が出来ていた。
メルヒェンはそこを指でなぞりながら、ほぼ確信を持ってイヴェールに問い掛けると、案の定「…うん」という小さな肯定が返ってきた。

「…理由を聞いても?」

メルヒェンの言葉に苦く笑いながら、「笑わないでね?」と前置きをしてイヴェールは口を開いた。

「…怖いんだ」
「怖い?…眠ることが?」

首を傾げながら言葉を復唱するメルヒェンに、イヴェールは緩く首を横に振ると、苦しそうに眉を寄せた。

「……夢を、視たくないんだ」

ぽつりと吐かれた呟きは、静かに室内に響き渡った。
悲痛に満ちたそれに、何と声を掛けたら良いか解らずにメルヒェンが言い淀んでいると、イヴェールが取り繕うように明るく笑う。

「情けない話だよね。夢が怖くて眠れないだなんて」

無理に明るく振る舞いながら、貼り付けた笑顔で拙く笑う姿を見たくなくて、メルヒェンは堪らずイヴェールを抱き締めた。
驚きの声を上げるイヴェールの、その冷た過ぎる温もりに更に堪らない気持ちになって、メルヒェンは顔を歪める。

メルヒェンにとって、イヴェールは境遇のよく似た友人であり、そしてそれは同時に、かけがえのない存在でもあった。
そんな大切な存在であるイヴェールが苦しんでいるというのに、何も出来ない自分が歯痒くて、メルヒェンは思わず唇を噛んだ。

「…そんなこと、ない。情けなくなんて、ないよ…」

震えそうになりながら腕の力を強めるメルヒェンに、イヴェールは小さく目を細めながら柔らかく笑った。

「…ありがとう、メル君」

メルヒェンの背中にそっと腕を回して、その温もりと優しさを噛み締めるように目を閉じる。
イヴェールはメルヒェンの肩に頭を預けると、囁くように呟いた。

「メル君は優しいね」
「…優しくなんてない。現に、僕は君に何もしてあげられないし…」
「そういうところが優しいんだよ」
「…そう、なのかい?」
「そうそう。…本当に、ありがとう」

イヴェールの心からの礼意に気恥ずさを感じて、メルヒェンは視線を彷徨わせながら口を開いた。

「で、でも、解決には至っていないわけだし、このままじゃ君は辛いままじゃないか」
「うーん…。今のところ大丈夫だし、僕は別に構わないんだけど…」
「それじゃ駄目だよ。僕も一緒に考えるから」

不安を滲ませた声色で真剣に諭してくるメルヒェンを嬉しく思いながらも余計な負担は掛けたくなくて、イヴェールは困ったように眉を下げた。
然し、直ぐに何か閃いたようで、顔を明るくさせると「それじゃあ」と声を掛けた。
メルヒェンはイヴェールへと顔を向けると、不思議そうに首を傾げた。

「今度此処に泊まりに来ても良いかな?そのときに、ふたりで考えようよ!」

イヴェールの突発過ぎる提案に少々面食らったメルヒェンだったが、やがて口元を緩めると「それはいいね」と笑った。

「ふふ。楽しみだなあ」
「楽しみで眠れなくなりそう、なんて言わないでね?」
「…実は、今言おうと思ってた」
「本末転倒じゃないか、それ」
「あはは」

すっかり何時もの調子に戻って、ふたりは絶えず笑い合う。
楽しそうな談笑が井戸の底から流れ出て、宵闇の森を穏やかに包み込んでいた。









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冬と闇は百合だと思ってます(`・ω・´)







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