*サンイヴェ




何事も、タイミングは大切である。
物事を始めるときも、終わらせるときも、はたまた愛を囁くときだって、例に漏れずそれは当て嵌まる。
如何なる言動や行動にはそれぞれに適した瞬間というものがあり、それを逃してしまうと物事が悪い方に転がったり、思うように上手く進まなかったりするのだ。

それが例えどれほど些細なことであれ、タイミングを誤れば、これまで積み上げてきたものなどあっという間に崩れ去ってしまう。
そして、崩壊したものを再築することは酷く難しい。

ともあれ、タイミングというものは非常に重要なのである。
──それが例え、ドアを開ける瞬間という、至極些細なことであろうとも。









ドアノブに手を掛け、扉を開いた状態のまま、彼──ローランサンは呆然とした様子で固まっていた。
切れ長の目はこれ以上ない程に大きく見開かれており、余程の衝撃だったのか、瞬きひとつせずに只只その光景を凝視していた。

それもその筈である。
食糧を調達しに街に出掛けて帰ってきたら、相方が床の上に倒れていたのだから。

「……ん…」

耳に届いた小さな声にはっと我に返ると、ローランサンは焦燥しながら伏せっている相方──イヴェールの元へと駆け寄った。

「イヴェール!」
「…ぁ……サン…?」
「何があった!?」

イヴェールを抱き起こしながら顔を覗き込むローランサンに、イヴェールは擦れた声を出して薄らと目を開けた。
焦点が定まっていないのか、覗いたオッドアイはぼんやりとしていて、実に頼りげがない。
何時も冷静で大人びた雰囲気を纏っているだけに、イヴェールのその弱々しい様子は余計にローランサンの不安を掻き立てた。

「おい、イヴェールっ」

再び目蓋を閉じようとするイヴェールに、ローランサンが焦った様子で肩を揺する。
イヴェールは迷惑そうに眉を寄せた後、消え入るような声でぽつりと呟いた。

「…………眠い」

イヴェールはローランサンの肩にこてん、と首を凭れ掛けると、ぴくりとも動かなくなってしまった。
状況に対応出来ずに硬直していたローランサンだったが、イヴェールがすやすやとした寝息を立てはじめたところで漸く思考が追い付いたらしい。

「はぁああぁあ!?」

呆れと驚きをふんだんに盛り込んだ表情と声色で、盛大にそう吐き出したのだった。











「……馬鹿だろお前」

目を覚ましたイヴェールから事の経緯を聞いていたローランサンだったが、そのあんまりな内容に呆れ果てた声で思わず呟いた。
イヴェールはむっとした表情でローランサンを睨み付けると、「うるせぇな」と悪態吐く。

「お前にだけは言われたくねぇよ、馬鹿サン。大体、お前の方が馬鹿じゃねぇか」
「確かにな。でも今回ばっかりは言わせてもらうぜ。イヴェール、お前は馬鹿だ」

自分でも思うところがあったのだろう、きっぱりと断言するローランサンから決まり悪そうに目線を外すと、イヴェールはぞんざいに頭を掻いた。
癖は強いが綺麗にまとめられていた銀髪が乱れて、無造作に絡まり合っては散らばっていく。

「仕方ねぇだろ。そう思ったんだから」
「解んねぇこともねぇけど…だからって普通寝るの止めるか?」
「……それは流石にやり過ぎたとは思ってるよ。でも、考えてもみろよ、ローランサン」

イヴェールはがっしりとローランサンの肩を掴むと、やけに真剣な顔で彼を見つめた。
ローランサンはその勢いに若干怯みながらも、真っ直ぐにイヴェールを見返して「…何だよ」と言葉を返す。
イヴェールは「いいか、」と口火を切ると、諭すように持論を展開し始めた。

「一日ってのは午前零時から午後12時まで。詰まり24時間だ。にも関わらず、成人は一晩に6時間から9時間──平均すると7.5時間の睡眠を要する」
「おう」
「睡眠ってのは周囲の刺激に対する反応の低下を伴った、覚醒に対する生理現象だ。まあ、容易く覚醒出来る自然な状態ではあるが、それでも活動を休止していることに変わりはねぇ」
「…はあ」
「確かに生命維持には不可欠な現象だが、それでも7.5時間ってのは長過ぎると思わねぇか?」
「……まあ」
「7.5時間っつったら一日の四分の一以上…否、ほぼ三分の一だ。幾ら何でもそんなに要らねぇだろ。しかも7.5時間ってのはあくまで平均時間なだけで、実際にはそれより多く摂取してる奴らだっている筈だろ?例えばお前とか」
「ほっとけ。つか、お前だってそうだろ」
「日によりけり、だ。──兎に角、限りある貴重な時間を睡眠なんてもんに費やすのは勿体ねぇと思ったんだよ僕は」

そう言ってひとり頷くイヴェールを呆れ眼で見つめながら、ローランサンは溜息を吐いた。

「それで一週間近く徹夜してぶっ倒れたって?やっぱ馬鹿だろお前」
「だから、それは自分でもやり過ぎたと思ってるって言ったじゃねぇか。話聞いてたのかよこの馬鹿」
「馬鹿に馬鹿って言われたくねぇよ馬鹿イヴェ」
「それはこっちの台詞だ馬鹿サン」

互いに睨み合いながら、丸で幼子の喧嘩のような実にしょうもない言い合いを始めたふたりは気付いていないのだろう。
そのやりとりこそが、一番馬鹿らしいということに。

「大体、ドア開けたら倒れてるとかどんなサプライズだよ。心臓止まるかと思ったじゃねぇか」
「知るか。お前が勝手に驚いたんだろーが」
「人が心配してやってんのにその言い草…。あいっかわらず可愛くねぇな!」
「うっせぇよ。男に可愛さ求めんな気持ち悪い」
「お前なあ…!」

それきり外方を向いてすまし顔を決め込んだイヴェールに、流石に頭にきたローランサンはその薄い肩を思い切り引き寄せた。
予想外のことに体勢を崩したイヴェールが、ローランサンの胸元へと倒れこむ。

「…っ、何すんだ馬鹿サン!」
「うっせ!俺の心配返せ馬鹿イヴェール!!」

悪態吐く口とは反対にそのまま優しく抱き締められて、イヴェールは僅かに目を見開いた。
顔を見ようと身動ぐが、思いの外ローランサンの抱擁が力強くて抜け出せない。
仕方なくされるがままになっていると、ローランサンが本当に小さな声で呟いた。

「……良かった…」

その心底安堵したような声色に、思った以上に不安にしてしまっていたらしいことに今更ながら気が付いて、イヴェールは罪悪感に駆られて唇を噛んだ。
安心させるようにローランサンの背中に腕を回しながら、遠慮がちに口を開く。

「……大丈夫、だから。その、…悪かった、よ」

たどたどしく口にした謝罪が無性に恥ずかしくて、イヴェールは誤魔化すようにローランサンの胸元に顔を埋めた。
ローランサンは暫く無言のままだったが、「…イヴェール」と徐に名前を呼ぶと、抱き締める腕を緩めた。

「…なに、」

イヴェールが不思議そうに顔を上げてローランサンを見遣るも、俯いてしまっている為に表情が見えない。
不安を感じて呼び掛けようと口を開いたイヴェールだったが、それは叶わなかった。
と、いうのも。

「──なあんて、な。はは、だっせ、騙されてやんの!」

顔を上げたローランサンが、悪戯が成功した子供のような表情を浮かべて愉快そうに笑っていたからで。

「…っ、ローランサン!!」

イヴェールは怒りと羞恥でわなわなと体を奮わせながら、声の限りローランサンを怒鳴り付けた。
然し、赤く染まった顔で迫られても恐怖など感じる筈もない。
ローランサンはにやにやと笑いながら、そんなイヴェールを嬲ってはからかう。

「俺如きに騙されるなんてな!やっぱお前馬鹿だろ!」
「うるせぇ!ふざけんな馬鹿!馬鹿サン!」
「いいぜ別に?その代わり、その馬鹿に騙されたお前は更に馬鹿だ。スーパー馬鹿だ」
「その思考が既に馬鹿だろ馬鹿!スーパー馬鹿ってなんだよ」
「スーパーな馬鹿だ」
「馬鹿だ!こいつ真の馬鹿だ!」
「その真の馬鹿に騙されたということはおま「うるせぇ!」

ローランサンの言葉を乱暴に遮って、イヴェールは口を封じるようにその唇に自分のそれを重ねた。
ローランサンは僅かに瞠目したが、直ぐに目を伏せると、口付けに応えるようにイヴェールの後頭部に手を回して引き寄せた。

「…っン…」

散々咥内を貪ってから唇を離すと、イヴェールは息を乱しながらローランサンを軽く睨んだ。

「…っ、はあ、…っ勝手に、舌入れんな、っ、馬鹿…!」
「良いだろ別に。先にしてきたのはお前なわけだし。つか、勝手だなんだのって、俺達にとっちゃ今更だろ?」
「…まあ」
「な?──ってことで、」
「…へ?っ、わ、」

とん、という何とも軽やかな音で肩を押されて、イヴェールは床に倒れこむ。
状況を理解出来ずに驚いた顔で見上げてくるイヴェールに馬乗りになりながら、ローランサンはにんまりと笑った。

「俺も勝手やらせてもらうわ」









直後、「ふざけんな馬鹿!」という怒声と共に、鈍い打音が響き渡ったとかいないとか。










--------------
盗賊が書きたくて…
いやはや、もうなんか、すみません/(^O^)\







人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -