*コルイド




イドルフリート・エーレンベルクとは、どのような人間か。
そう訊ねれば、大抵返ってくる答えは同じような言葉である。
比較的近しい者ならば「傍若無人」や「ドS」と、知人程度の者ならば「冷静沈着」や「優男」と称する。
又、その類い稀なる容姿と無駄な贅肉のない引き締まった体から、「美青年」と賞されることもある。

仕事面に関しても非常に有能な彼は、的確な指示や周りを見通した考えで、どれほど危機的な状況だろうが最善へと導いていく。
戦闘においてもその優秀さは抜きん出ており、最低限にまで抑えられた洗練された動作は宛ら舞いのようである。
その上知識も豊富で頭も切れるというのだから、末恐ろしい。

非の打ち所のない、「完璧な」男──それが、イドルフリート・エーレンベルクという人間に対する評価だった。

だが、然し。
人の心は面の如しというように、意見に表裏はつきものである。
それぞれが異なる価値観と感受性を持ち、それに基づいて構成された思考は似通うことはあっても、完全に一致することはまずない。
空の色を「青」と称すものがいれば「赤」と言うものがいるように、意見や思考といったものは大概対語を伴うものなのである。

先程述べた、イドルフリート・エーレンベルクという人間の評価においても、それは例外ではない。
彼を讃える者がいれば当然、彼を貶す者もいるだろう。

然し、彼の上司に当たるとある男においては、その概念は当て嵌まらなかった。
その男がイドルフリートに抱くのは、賛美でも非難でもなく──。












──嘘だろ。

コルテスは、酷く混乱していた。
その具合を例えるなら、聖戦が勃発している最中に黒の野獣が襲い掛かってきた挙げ句、雷神の英雄ではなく奴隷達の英雄が大軍を率いて迫ってきたような──、如何に黄昏の賢者であろうが忌避することは出来ないだろうという、そんなパニック状態に陥っていた。

いきなり頭を抱えだした船長を不思議に思った乗組員が、心配そうに声を掛ける。

「コルテス船長、大丈夫ですか?」

然し、世にも恐ろしい混乱に襲われているコルテスには、そんなクルーの言葉は耳に入らないようで、返事の代わりに「嘘だろ…嘘だ…嘘に決まっている」という自己暗示のような呟きを洩らしている。

普段は比較的気さくで接しやすいコルテスの尋常ならざる様子に、クルーは困惑した。
それから暫く狼狽していたクルーだったが、やがてはっとしたような顔をすると、急ぎ足で船内へと駈けていった。

クルーが消えたことにも気付かずに、コルテスは矢張り「嘘だろ…」とひたすらに呟いていた。












「──コルテスの様子が可笑しい?」

ところ変わって、船内である。
自室で航海日誌を書いていたイドルフリートは、今し方慌しく駆け込んできたクルーの言葉に顔を上げると、眉を寄せて訝しむように復唱した。

「そうなんです。酷くぼうっとしていて、魂ここにあらずな感じで…」
「ほう。それは珍しいね」
「本当に。イドさん、何か知りませんか?」

情けなく眉を下げて聞いてくるクルーに、イドルフリートは顎に手を当てると、思案するように天井を仰いだ。
然し、思い当たる節がなかったのだろう、やがて諦めたように「いや」と緩く首を横に振ると、「聞いてないな」と肩を竦めた。

そんなイドルフリートの反応に、「そうですか。…困ったなあ」と頭を掻くクルーに、イドルフリートは小さく溜息を吐いた。

「コルテスは何処に居る?」
「え、っと…さっきは甲板に居ましたが」

戸惑うクルーを余所に、イドルフリートは「やれやれ」とぼやきながら椅子から立ち上がると、扉へと歩いて行く。
そして扉に手を掛けたところで振り向くと、困惑するクルーに向かって妖艶に微笑んだ。

「この礼は高くつくぞ?精々、覚悟しておき給え」

途端、固まったクルーに満足気に目を細めると、イドルフリートは颯爽と自室を後にした。

「……やべ、キた」

──部屋に残されたクルーが、顔を赤くさせながらひとり悶絶していたことなど、彼は知る由もなかった。










一方、漸く混乱が治まってきたコルテスは、柱に寄り掛りながら溜息を吐いていた。

──認めるべきか、認めざるべきか。

それが最大の、謂わば問題である。
コルテスは再び頭を抱えたくなる衝動を何とか抑えて目を閉じた。

(落ち着け、落ち着くんだ。まだ何もそうと決まったわけじゃないだろ。大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫──)

「よしっ、──って、!?」

意を決して目を開いたコルテスだったが、そんな彼を待ち構えていたのはイドルフリートのドアップだった。

「コルテス?」

訝しげに首を傾げながら覗き込んでくるイドルフリートを視界に入れた瞬間、コルテスの心臓がどくりと大きく脈打った。

「い、イド…何時の間に」
「矢張り気付いてなかったのか。先程から居たよ。そうだな──君が溜息を吐いたくらいから」
「…マジか」

呆れ顔で言われた言葉に思わず「全然気付かなかった」と漏らすと、イドルフリートが小さく眉を寄せた。

「全然?……どうやら、これは本当に重症だな」
「重症って…」
「そうだろう。──体調は?何処か様子が可笑しいところはあるかい?」

「顔色は悪くないようだが…」と言いながら顔を近付けてくるイドルフリートに、コルテスは焦ったように「大丈夫だから!」と声を上げた。
疑いの目を向けてくるイドルフリートから逃れるように顔を逸らすと、激しく脈打つ左胸を手で押さえつけた。

(ちょ、落ち着けって心臓!違うから間違ってるから、頼むから落ち着いてくれ!)

必死に沈静化を図るコルテスの苦労も虚しく、左胸を押さえる姿に原因はそこだと思ったのだろう。
何も知らないイドルフリートはコルテスの手の上に自分のそれを重ねると、慈しむように包みこんだ。

──どく、

「っ、」

──どくどくどく、

「胸…心臓だったら厄介だな…。本当に大丈夫なのかい?」

──どくどくどくどくどくど、

「っ、大丈夫!」

小さく眉を下げながら心配そうに訊ねてくるイドルフリートに、コルテスは胸の高鳴りを誤魔化すように、大きな声で必死に「大丈夫だから」と言い張った。

尚も何か言おうとするイドルフリートを制して、コルテスは大きく深呼吸をする。

(落ち着け…!いいか、よく考えろ。相手はイドだぞ?幾ら美人だからって男は男。…いや、美人ってかどっちかっていうと性格は可愛いけど──って違う違う違う!だから、その、兎に角落ち着け俺!!)

この時点でもう既に落ち着きを欠いているのだが、そんなことをコルテスが気付くわけもなく。

(大体イドが可愛いってなんだ?ドSが可愛いって…、違う違う違う断じて違う俺はΜじゃねぇし、うんそうだ違うだから大丈夫、俺は別にイドが好きとかそんなことはない確実にだから大丈夫大丈夫)

最早暗示である。
自分に言い聞かせることに意識を集中させていたコルテスは其方の方にばかり気をとられていて、それに反応することが出来なかった。

「──ん、熱はないようだね」

こつり、と。
コルテスの額に自分のそれを合わせながら、イドルフリートは安堵の声を漏らし、安心したようにはにかんだ。

「──っ」

どくん、
一際大きく心臓が跳ねて、次いで鼓動が加速を始める。
どくどくどくどく、
狂ったように動き続ける心臓に反して、コルテスの体は硬直していた。

そんなコルテスの様子には気付かずに、イドルフリートは顔を離すと、腰に手を当てて「取り敢えず」と切り出した。

「今日はもう休み給え。熱はないようだが、万が一という場合もある。船長である君に何かあったら航海に支障が出る」

イドルフリートの正論に頷きながらも、コルテスは小さく肩を落とした。
それから、イドルフリートの言葉に自分が気落ちしているという事実に気が付いて、今日何度目か知れない葛藤を繰り広げようとした、矢先。
「それに、」と小さく続けられた言葉につられて、コルテスがイドルフリートに視線を向けると。

「君が倒れでもしたら、私が詰まらないじゃないか。それともまさか、この私を退屈させる心算なのかい?」

──なあ、コルテス。

そう言って悪戯な笑みを浮かべるイドルフリートに、コルテスはくそ、と心中で毒づいた。

(俺の負けだよ…!可愛いな畜生…っ)














イドルフリート・エーレンベルクとは、どのような人間か。
そう訊ねれば、大抵返ってくる答えは同じような言葉である。
比較的近しい者ならば「傍若無人」や「ドS」と、知人程度の者ならば「冷静沈着」や「優男」と称する。
又、その類い稀なる容姿と無駄な贅肉のない引き締まった体から、「美青年」と賞されることもある。

仕事面に関しても非常に有能な彼は、的確な指示や周りを見通した考えで、どれほど危機的な状況だろうが最善へと導いていく。
戦闘においてもその優秀さは抜きん出ており、最低限にまで抑えられた洗練された動作は宛ら舞いのようである。
その上知識も豊富で頭も切れるというのだから、末恐ろしい。

非の打ち所のない、「完璧な」男──それが、イドルフリート・エーレンベルクという人間に対する評価だった。

だが、然し。
人の心は面の如しというように、意見に表裏はつきものである。
それぞれが異なる価値観と感受性を持ち、それに基づいて構成された思考は似通うことはあっても、完全に一致することはまずない。
空の色を「青」と称すものがいれば「赤」と言うものがいるように、意見や思考といったものは大概対語を伴うものなのである。

先程述べた、イドルフリート・エーレンベルクという人間の評価においても、それは例外ではない。
彼を讃える者がいれば当然、彼を貶す者もいるだろう。

然し、彼の上司に当たるとある男においては、その概念は当て嵌まらなかった。
その男がイドルフリートに抱くのは、賛美でも非難でもなく──、恋慕、だった。









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コルテスに恋心自覚させたかったんですが…ううむ
イドルさんは無自覚天然小悪魔だと信じておりますキリッ







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