*赤イド
赤の王子は美しいものが好きだ。
それは、どの街へ行っても耳にする位有名な話であったし、実際に彼自身もそう公言していた。
彼曰く、「美しさは全てにおいて平等」らしい。
何でも、美しさの前では老若男女も生死も有無も全て無関係なのだそうだ。
そして、「美しさとは損なわれるものである」とも。
時間という概念においては、如何なるものも対等である。
それは勿論、美しさも例に漏れず。
今この瞬間どんなに美しくとも、その一秒後には敢えなく崩れてしまうかもしれない。
そんな危うさが魅力のひとつでもあるけれど、失われてしまったものは二度と元には戻らない。
だからこそ、一瞬一秒足りとも見逃せないし、見逃してはならないのだ──と。
確かに、一理ある。
一理あるし、それなりに共感も出来る。
出来るのだが、然し。
「なんて可憐なんだ…。君はまるで、この白ユリのようだね」
「あら」
だが、然し。
「君の艶やかさの前では、例え数多の薔薇が束になったって適いはしないさ」
「うふふ、ありがと」
だが、然しだ。
「嗚呼、麗しい人。貴女の前では如何なる宝石も霞んでしまうのだろうね」
「まあ…!」
だが、然しである。
(これは違うだろう…!)
目の前で繰り広げられる茶番劇に、好い加減イドルフリートは我慢の限界だった。
何だかんだで恋路も無事成就して、晴れて結ばれたふたりなわけだが、「なってからが大変」とはよく言ったもので。
互いに片想いのときの方が上手くいっていたかもしれない──とイドルフリートは溜息を吐いて、その後はっとしたように頭を抱えた。
(毒されている…そうだ私は毒されているんだ…!)
──あの低能王子に!
そんなことを思いながら、低能王子こと赤の王子を睨み付けるも、彼の言う「美しいもの」に意識が集中しているのか、気付きもしないらしい。
「嗚呼、本当に麗しい…」
「…あ、あの…彼方の方…」
それどころか、相手方の女性に気付かれて気を遣われるなど、堪ったものではない。
元々プライドの高いイドルフリートである。
同情や気を遣われる位なら、その場から消えた方が何倍もマシ、という思考の持ち主である彼は、赤の王子が此方を向く前に、その場から背を向けた。
そのまま踵を返して歩き出すと、そこで漸く王子の制止が聞こえた。
それに構わず歩いて歩いて──、随分と離れたところで、ぴたりと足を止めた。
「──」
イドルフリートは崩れ落ちるように身を屈ませると、隠すようにその腕に顔を埋めた。
何だか、自分がとても矮小で惨めな存在に感じられた。
(訳が、解らない…)
前髪をくしゃりと掴みながら、胸中でそう小さく呟いたイドルフリートの顔は、頼りなげに揺れていた。
酷く情けない顔をしていると自覚しているからこその行動だったが、その行動は彼を余計に惨めな気分にさせた。
(嫉妬や怒りなら兎に角、)
──不安、だなんて。
本当に、どうしてしまったというのだろう。
イドルフリートは、自分の心情に自嘲気味に笑った。
赤の王子のあれは癖のようなものだ。
性格の一部のようなもので治りはしないし、恐らく、治せもしない。
あれも含めて赤の王子という人間だし、それを知っていた上で、自分は彼に情を抱いたというのに。
それを今更、止めて欲しいだなど。
「……低能なのは、私か…」
嗚呼、胸が苦しい。
恋というものがこんなに苦しくて辛いものだなど、想像もしていなかった。
結局のところ、イドルフリートは、赤の王子に負けず劣らず彼のことが好きなのだ。
口で幾ら否定しようとも、態度で幾ら拒もうとも、それは愛情の裏返しであって、只の照れ隠しに過ぎない。
然し、どれほど心の中で想っていても、口にしなければ相手には伝わらない。
そんなことは解っているし、彼自身、せめて想い人の前ではもう少し素直に対応したいと思っていた。
けれど、赤の王子からナンパ癖が抜けないように、人の性格というものは中々変えられないもの。
気持ちとは正反対の態度を取っては自己嫌悪に陥り、次こそはと思うも又真逆の対応をしてしまい自己嫌悪。
そんな悪循環に密かに苦しみ悩んでいた矢先に、赤の王子のあのナンパである。
何時もの彼だったら呆れて終わるかもしれない。
然し、自己嫌悪に繋がる程の悩みを抱えた心が、その圧力に耐えられる筈もなかった。
(……情けない…)
イドルフリートは痛む胸を押さえながら、全てから逃げるように視界を遮断した。
彼の不安を煽るように、暗闇が、広がる。
どのくらいの間そうして居ただろうか。
イドルフリートは億劫な動作で顔を上げると、周りを見渡して気落ちしている自分に気が付いて、小さく溜息を吐いた。
──王子が追い掛けてきてくれるのではないか、なんて。
「我ながら女々しいな…」
「何のことだい?」
後ろから聞こえた声に目を見開いて、勢い良く振り向けば。
「やっと見付けた。捜したよ、イドル」
肩で息をしながら安堵したように微笑む、赤の王子の姿があった。
そんな彼を視界に入れた途端に涙が込み上げてきて、イドルフリートは慌てて顔を俯かせた。
「…何の用かな」
──嗚呼、また。
どうして、こうも可愛げのない返事しか出来ないのだろう。
イドルフリートは小さく唇を噛んだ。
「…何の用、ね」
王子が溜息と共に吐き出した呟きに、イドルフリートは耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
若し、呆れられてしまったら。
若し、飽きられてしまったら。
若し、──嫌われてしまったら。
赤の王子が口を開く。
そこから拒絶が紡がれるを見たくなくて、イドルフリートは思わず目を瞑った。
「……好きな人を放ってまで他人にかまける程、墜ちてはいない心算なんだけど」
そんな言葉が耳元で聞こえたかと思うと、気付いたときには背後から抱き締められていた。
その温もりに安堵すると同時に、もやもやとしたものが胸中に広がる。
「…どうだか。好色がよく言うものだ」
心中の不快要素を吐き出すように嘲るようにそう言ってしまってから、嗚呼しまったと後悔するも、時既に遅し。
放ってしまった言葉を取り消すことなど出来る筈もなく、又、運良く王子の耳に届かなかったという筈もなかった。
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長いのでちょっきん