*赤イド




事後特有の気怠い雰囲気と青臭い匂いが充満している中で、ピロートークもそこそこに、イドルフリートは体を起こした。
寝室の片隅に無造作に置かれたシャツを掴むと、怠そうな動作でそれを着込む。
そんなイドルフリートの様子を眺めながら、赤の王子は小さく眉を寄せた。

「……行くのかい」
「ああ。コルテスが五月蝿いしね」

ちらりとも此方を見ずにそう言いながら、今度はズボンに手を掛ける。
赤の王子はイドルフリートの言葉に顔を歪ませると、その華奢な背中を閉じ込めるように抱き締めた。

「……離し給え。これでは着替えられない」

矢張り見向きもせずに、イドルフリートは静かに言い放つと、額に皺を刻んだ。

「……」

何も言わず、只その力を強めてくる赤の王子に小さく溜息を吐くと、仕方なさげに「王子」と声を掛けた。

「離し給え。…君の顔が見れないだろう」

僅かに腕の力が緩んだのを見逃さずに、イドルフリートは赤の王子の拘束を解いた。
そして、漸く王子へと向き直ると、俯いている彼の頬へと手を伸ばす。

「王子」
「……」
「黙っていては解らないよ。王子」
「……」

優しい手つきで頬を撫でながら赤の王子を宥めるイドルフリートの口調は、穏やかで柔らかい。
けれど、赤の王子は何も言わず、黙ったままだ。
イドルフリートは再び溜息を吐くと、その頬を両手で包み込んだ。

「…エン」

言い聞かせるようにイドルフリートがその名前を呼ぶと、赤の王子はぴくりと反応し、漸く顔を上げた。

その顔を見て、イドルフリートは僅かに目を見開いた。
赤の王子が、何時もの飄々とした表情から掛け離れた、悲痛な面持ちをしていたからだ。

「…僕は……怖い」

苦しそうに吐き出された言葉にはっとして、イドルフリートは、落ち着かせるように王子の頬を優しく撫でた。
その手に自分のそれを重ねて、赤の王子は言葉を続ける。

「…君が、君が遠くへいってしまう気がするんだ……。海でも陸でもない、僕の行くことが出来ない何処かへ」
「…例えば?」
「………言いたくない」

そう言って、赤の王子は再び顔を伏せてしまった。

時々、赤の王子はこのように精神が不安定になるときがある。
王子という立場に掛かる圧力やストレスが強過ぎるのか、それとも只単に彼自身のメンタルが脆弱なだけなのか、はたまたその両方なのか。
それは解らないけれど、普段からは想像も出来ない程に弱々しくなるときが、彼にはあった。

そんな情緒不安定な彼の対応に、イドルフリートはそれなりに慣れてはいた。
然し、今回の王子のこれは、今までのそれとは少し様子が可笑しかった。
だから、普段は呼ばない王子の名を呼んでまで、理由を話させようとしたのだが。

(…原因が、よりによって私とは)

今までにない理由、それもその原因が自分なだけに、中々上手い言葉が見付からない。
そんな自分を低能めと心中で罵倒して、何とかしようとイドルフリートは赤の王子に声を掛けた。

「ならば、君はどうしたい?」
「……行かないでほしい」
「…それは、」

返ってきた想定内の言葉に、然しイドルフリートは言い淀んだ。

イドルフリートは航海士だ。
そして航海士とは、海上を航行する船の乗組員であり、又、彼等を指揮する船舶職員でもある。
航海士であるイドルフリートはひとつの土地に留まることは出来ないし、何より、彼が居なくなれば航海に支障が出る。

イドルフリートがどう躱そうかと考えを巡らせていると、赤の王子が自嘲気味に「冗談だよ」と呟いた。

「解っているよ。…イドル、君は航海士だ。航海士として海を廻るのが君の仕事。だから、僕のこれは我儘で……叶わない」

そう言って王子は笑ってみせたが、イドルフリートにはそれが到底笑顔には見えなかった。
感情や本音を押し殺し、それでも滲み出てしまうそれらを隠す為に、無理矢理貼りつけた笑顔。
その裏に居る彼を思うと、どうしようもなく苦しくなる。

何かしなければ、言葉をかけなければ。
そう思うのに、どうしたら彼が救われて、何をしたら楽になるのか、イドルフリートには丸で解らなかった。
そんな自分が歯痒くて、イドルフリートは小さく唇を噛んだ。

「……一層のこと、君を閉じ込めてしまいたいよ。鎖で繋ぎとめてしまえたら、どんなに良いか」

ぽつり、王子が静かに呟いた言葉に、イドルフリートは外していた視線を彼へと戻した。
王子は、泣いているようにも、笑っているようにも見えた。

「………」

イドルフリートは何事かを思案した後、床に転がっていた上着を徐に掴んだ。
そしてそれを無言で羽織ると、王子に向き直る。

「留め給え」

上着の留め具を示しながら王子にそう言えば、彼はきょとんとした顔でイドルフリートを見つめた。

「…自分では上手く留められないんだ。だから、早く」

何時も自分で綺麗にやってみせるのに、何故。
イドルフリートの突拍子もない物言いに首を傾げながら、それでも王子は言われた通り留め具に手を掛けた。

(……あ…)

――そして、そこで気付いた。
彼の意図、そしてその優しさに。

「……鎖で繋ぎとめたいと言ったな。今、君が自分で留めたものは何だ?」

王子は、自分の手元にある留め具に目を向ける。
――幾重にも連なった、黒い鎖。

思わずイドルフリートを見つめると、彼は柔らかく目を細めて、綺麗に微笑った。

「監禁は御免被るが――、首輪くらいは、してやらないこともない」

その言葉に、これでもかと言わんばかりに瞠目して、赤の王子はイドルフリートを思い切り抱き締めた。
イドルフリートはいきなりのことに体勢を崩しながらも、その抱擁を珍しく甘んじる。

「……ありがとう」
「…別に。余りにも君が腑抜けだったから、仕方なくだ」
「そうだね。でも、ありがとう。嬉しいよ、とても」
「……ふん」

先程までの穏やかさは何処へやら、すっかり何時もの調子に戻ってしまったイドルフリートに苦笑しつつ、そんな彼のお陰で本来の調子を取り戻した赤の王子は小さく目を閉じる。
そして、イドルフリートの耳元で囁いた。

「愛してるよ、――イドルフリート」

ちゅ、と軽いリップ音を立ててそのまま口付ければ、一拍置いてイドルフリートの顔が赤く染まる。
真っ赤になりながら罵倒してくるイドルフリートの、その白い首元に輝く証を見つめながら、赤の王子は目を細めた。









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イドルさんの上着の構造どうなってんだろう→あの鎖はなんなんだ→アクセサリー?でもそしたら上着とめるとこなくね?→寧ろ鎖が留め具なんじゃ…!
という思考から出来ました(長い)
王子の名前は愛称です
男のひとが愛称で呼び合うのってよくないですか

そしてまさかの事後\(^O^)/







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