*冬と闇




「君と僕は似ているんだよ、とてもね」

目の前に突如として現れたその男は、そう言って、丸で雪のように儚く微笑んだ。








その日は、別段特別なことがあったわけではなかった。
何時ものように友人であり良き相棒でもあるエリーゼと取り留めのないお喋りをしながら、恨みを抱いた屍人姫が現われるのを待っていた。
然し、そう毎日都合良く待ち人が来る筈もなく、結局その日はエリーゼとの会話を楽しんだだけで終わってしまったのだった。

宵闇の森には、その名前の通り朝が来ない。
否、実際には訪れているのかもしれないが、鬱蒼とした木々が森全体を隠すように覆ってしまっている為に、光が差さないのだ。

その為、森の中で生活しているメルヒェンは、今一時間感覚というものが解らないでいた。
今が朝なのか、昼なのか。はたまた、全く真逆の夜なのか。
生者でも死者でもないメルヒェンにとっては、そんなことは些細なことであり、特筆して問題にすべきことでもないのだが、些か彼にはあまりにも時間が有り過ぎた。

だから、メルヒェンは時々、その有り余る時間を貪るように、思考の海へと旅立つのだ。井戸の淵に腰掛けながら。
それは例えば、記述が抜け落ちた自分自身のことであったり、友人であるエリーゼのことだったり、復讐劇に手を貸した屍人姫のことだったり、何処ぞの王子のことだったりと、その項目は実に様々だ。
考えがまとまらないうちに次へ次へと移り変わって行く思考の波に流されながら、そのまま身を委ねるように静かに目を閉じる。

柔らかい夜風が、彼の宵闇の髪を悪戯に攫っていく。
その髪が頬を擽る感覚が妙にこそばゆくて、メルヒェンは僅かにみじろいだ。

そうして、吹いた夜風の中に見知らぬ、冷たいけれど何処か穏やかな、そんな空気を感じ取って、ふっと目を開けると。

「Bonsoir,Monsieur」

銀髪の、柔らかな雰囲気を纏った、ひとりの男が立っていた。









「……君は?どうも、恨みを晴らしたいわけではないようだが…」

様々な復讐劇の指揮を執っていただけあって、メルヒェンは恨みだとか憎しみだとか、そういったものを感知するのに長けていた。
大抵、そのような「負」の感情を抱いている輩は、炎のような激しさを湛えた、黒い翳のようなものを纏っているのだが、この目の前の男にはそれがない。

穏和と寂寥が混ざった、果無物のような不思議な空気を纏ったその男は、メルヒェンの言葉に人の良さそうな笑みを浮かべて頷いた。

「うん。そう。僕は、別に復讐をしにきたわけじゃないよ」
「では、何しに此処へ?」
「うん。君と話がしたいなって」

そう言ってにこりと笑った男に、メルヒェンは小さく眉を寄せた。
そんなメルヒェンの様子を見て、男はくすりと笑みを溢すと、「違う違う」と否定を口にしながら顔の前で手を振った。

「言葉が足りなかったね。僕は、君――詰まり、僕と似たような境遇にいる存在と話をしてみたかったんだ」
「似たような境遇…?君は一体…」
「ああ、ごめん。そういえば、まだ名乗っていなかったね。会えたことが嬉しくて、忘れていたみたいだ」

男は、あははと苦く笑いながら頭を掻くと、メルヒェンに向かって流れるような動作で深々と頭を下げた。
その拍子に、後ろで一まとめにされていた、癖はあるが綺麗な長い髪が、さらりと滑り落ちる。

「僕の名は、イヴェール。Hiver・Laurant.イヴェールって呼んでくれると嬉しいな」

そう言って目を細める男――イヴェールの顔が余りにも綺麗だった為、メルヒェンは暫しその顔容に見惚れていた。
然し、直ぐに我に返ると、慌てて姿勢を正して彼に倣う。

「…私は、Marchen・von・friedhof.メル、と呼ばれている」

イヴェールは嬉しそうに、「ならメル君だね」と笑った。
よく笑う男だなとぼんやりと思いながら、メルヒェンは先程イヴェールが言った言葉の真意を尋ねようと口を開く。

「それで、……イヴェール。その、『似たような境遇』とは?」

名を呼ばれたことが嬉しかったのか、メルヒェンの質問に「うん」と破顔して頷くと、イヴェールはそのオッドアイを隠すように目を伏せた。
長い睫毛が影を作り、イヴェールの白い頬に黒を落とす。

「僕はね、この名前の通り、生を受けてはいない。生まれてくる前に死んでいったから。けれど、かといって死者でもないんだ。生と死の狭間で傾かざる冬の天秤。――この意味が解るかい?」

イヴェールは悲しそうに笑いながら、答えを求めるように首を傾げてメルヒェンを見遣った。
異なる色を灯した両の瞳が、同じ心情を孕んでゆらゆらと揺れている。

――自分の白子のような瞳とは大違いだ。
メルヒェンは、イヴェールのその宝石のように鮮やかな瞳を見つめながら、頭の片隅でそんなことを思った。
その、羨望も自虐もない、只只率直で純粋な感想を意識の外へと追いやって、メルヒェンはその意味に考えを集中させた。

傾かざる、冬の天秤。
それは言葉通り、生死どちらにも傾かず、あくまで中立を保ち続ける存在なのだろう。
生と死、どちらにも属することが出来ず、その境界から足を踏み出すことも出来ない。
只狭間で只管に在り続けるだけの、生者でもなく死者でもない、中途半端な存在。
それは詰まり。

「――私と同じ、か」

ぽつり、メルヒェンが溢した呟きに、イヴェールは何も言わなかった。
変わりに、真っ直ぐで真摯な瞳でメルヒェンを見つめて、小さく頭を振った。
縦に振られたそれは、メルヒェンの言葉の肯定を示している。

「君と僕は似ているんだよ、とてもね」

不意に、何処か遠くを見つめるような顔をしたかと思うと、イヴェールはそう言って微笑った。
溶け消えてしまうような儚さを持ったその微笑は、丸で雪のようで。
その中には確かに哀切を感じるのに、今迄見たどの笑顔よりも、イヴェールに相応しいと思ってしまった。
そして、そう思ってしまったことに、メルヒェンは驚き、けれど何処か納得して、何よりも――悲しかった。

それは、何もイヴェールとメルヒェンが類似した存在だからではない。
彼の、「Hiver」という名前によって、その全てが決定付けられているような気がして。
メルヒェンは堪らなく苦しくなった。

――初めて与えられたものが、その身を縛り付ける鎖だなんて。

メルヒェン自身も、確かにその身を黒き鎖によって縛られている。
けれど。
けれど、その鎖はイヴェールの鎖とは全く異なるものだ。

メルヒェンの鎖が意識を縛る鎖なら、イヴェールの鎖は意志を縛る鎖。
衝動のままに行動するメルヒェンと違い、イヴェールはその行動すらも許されない。

捕われて、囚われて。
イヴェールに残された手段は、手足となってくれる双児の姫君達の為に歌うことだけ。

「……確かに」

メルヒェンは、そっとイヴェールの手を掴むと、両の手で包み込んだ。
その温もりが、血の通っていない自分の手よりも冷たい気がして、また悲しくなる。

「君と僕は似ているようだ。生と死の境界に閉じ込められた、中途半端な存在。…けれど」

そこで一旦言葉を区切ると、イヴェールの目を真っ直ぐに見つめる。
色素を失った筈のアルビノに、赤と青に照らされて色が灯る。

「だからといって、存在していないわけじゃない。こうやって会話も出来るし、……きちんと触れ合える」
「……ぁ」

イヴェールは大きく目を見開くと、会ったばかりの人間に心配をかけさせていたらしいことに気付いて、恥ずかしそうにはにかんだ。

「…あはは、若しメル君が不安がってたらどうしようって思って地平線を飛び越えて会いに来たんだけど…。どうやら、要らない心配だったようだね」
「そんなことはないさ。何時も何処かで不安や心配を感じていたし。…君が居るって知って安心した」

メルヒェンの微笑混じりの言葉に、イヴェールはきょとんとした表情を浮かべて――、思い切り破顔した。

「是非、また君と話がしたいな」
「勿論!きっとまた来るよ」

笑いながら、ね。
そう言って綺麗に笑って見せたイヴェールに、メルヒェンは先程の認識が誤りだったと自覚した。
あの微笑よりも、此方の笑顔の方が断然イヴェールに相応しい、と。









---------------
オチが迷子になった(´・ω・`)








人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -