*赤イド
*これの続き





晴天広がる麗らかな午後、美しい海が奏でるさざ波に耳を傾ける余裕もなく、イドルフリートは困惑していた。
――と、いうのも。

「月のように輝く金色の髪。深い海を湛えた碧眼の瞳に、それを飾る長い睫毛…丸で宝石のようだ。形の良い薄桃色の唇は、宛ら薔薇の花。耳も鼻も、貴方を形成するその全てが精巧な人形のように美しい。否、それ以上だ!人形等と対比しては失礼だし、何より対比するまでもない。嗚呼、なんて美しいんだろう。美しい姫君、貴方の御名前を伺っても?」

突如として現れた男にいきなり手を握られ、挙げ句熱の籠もった瞳で見つめられながら一気にまくしたてられては、流石の航海士もたじろぐというものだ。
いつもなら「低能」と罵っているところを、男のあまりの勢いに圧されて思わず聞かれた通りに名乗ってしまった。

「……イドルフリート・エーレンベルク…」
「イドルフリート!嗚呼、名前までも美しい…!」

――何なのだ、一体。
恍惚と何度も自分の名を繰り返す男を呆然と眺めるイドルフリートの頭の中では、ただただその言葉がぐるぐると駆け回っていた。
されるがままにがっしりと握られた手を上下に激しく揺さ振られている様子からは、彼が相当な混乱状態に居ることが見て取れた。

(一体、何がどうなって……。抑、何故こんなことに…?)

思わず頭を抱えたくなったイドルフリートだったが、そうしようにも両の手をしっかりと握られているので叶わない。

そういえば、先程この男はなんといったか。美しいだの薔薇だの、宣ってはいなかったか。
今更ながら、男に手を握られた上に情熱的に告白されたという事実に気が付いて、イドルフリートは気が遠退いていくのを感じた。

そして、今一度思った。
――何故、こんなことに?と。










その日、イドルフリートはとある港町に居た。
次の航海の為に必要な必需品を買う為に立ち寄ったのだが、クルーのひとりが体調を崩してしまった為に、暫く滞在することになったのだ。

口先では「低能」だの「なってない」だの散々罵っていたイドルフリートだったが、彼の悪態は彼なりの愛情表現の一貫なのだと解り切っているクルー達にとっては、子供が拗ねているようにしか見えない。
挙げ句、罵られた病人である筈の当人が「イドさんに心配された!」と喜び、それを他の船員が羨む始末である。彼の所属する船は、今日も平和らしい。

周りに宥められ、何とか機嫌を直したイドルフリートも、流石はその船の航海士を務めることはある。
それならば、折角なので観光しようと思い立ち、爽やかな笑顔で船を後にしたのであった。
そんな彼を笑顔で見送る辺り、矢張り船は今日も平和らしい。

元々放浪癖のあるイドルフリートは、自由気ままに流れに身を任せ、街中を適当にぶらついていた。
そろそろ小腹が空いたな、と思いながら路地に足を踏み入れた時、事件は起こった。

見るからに悪漢といった屈強な男が、見るからにひ弱そうな男を恐喝していたのである。
嫌なものを見てしまったと思うよりも早く、イドルフリートの口からは、小さな、けれど本音に塗れた呟きが飛び出していた。
――低能だな、と。

「なんだテメェ」

狭い路地裏だった為に、イドルフリートの呟きは相手方の耳にも届いてしまったらしい。
唸るような声色で凄んでみせる男を鼻で笑いながら、イドルフリートは侮蔑を込めて言葉を返した。

「君のような低能に教える義理はないね」
「っ、なんだと!?」

その言葉を聞いて逆上した男は、ひ弱な男の首元を掴んでいた手を乱暴に離すと、イドルフリートへと向き直った。
殺気の籠もった瞳で睨み付けられているというのに、イドルフリートといえば、手を離された拍子に恐喝されていた男が壁に背中を強く叩きつけられて小さく呻いたのを、詰まらなそうに眺めていた。

そんなイドルフリートの態度がまた癇に障ったらしく、男は怒りに顔を真っ赤にして彼に掴み掛かろうと勢いよく手を伸ばした。
――伸ばしたのだが。

ひょい、という何とも軽い感じの効果音が付きそうな動作で、イドルフリートが男を躱したのである。
当然、対象を失った勢い付いた体は、体勢を保てずにバランスを崩す。しかもご丁寧にも、イドルフリートは男が体勢を崩し易いように避けるときに足を引っ掛けていた。
男は重力に逆らえず、無惨にも――盛大に倒けた。

しかも、更に分の悪いことに、男が倒けた先は路地裏ではなく街中だった。勢いよく掴み掛かった為に、その反動で路地から街中に飛び出してしまったのだ。

大勢の群衆の前で赤っ恥をかくこととなった男に向かって、イドルフリートは謝罪を口にしながらわざとらしく肩を竦めた。

「おや、これは申し訳ない。何分足が長いものでね」

言葉とは裏腹に侮蔑たっぷりの笑みを浮かべてせせら笑うイドルフリートの、あからさまに見下した態度にとうとう堪忍袋の尾がキレたらしい。
男は、側近くに転がっていた酒ビンを掴むと、吠えるような叫びと共にイドルフリートに向かって投げ付けた。

「ふざけてんのかテメェ!!」

然し、怒りで焦点が定まる筈もなく。
イドルフリートが避けずとも酒ビンは外れ、彼の足下で虚しくも砕け散った。

足下に散らばる酒ビンの破片を一瞥してから、未だ転がっている男を見遣るイドルフリートの顔には、在り在りと呆れが浮かんでいた。

「癇癪を起こしてビンを投げ付ける等…丸で子供だ。どうやら、立派なのはその体だけのようだな」
「なんだと!?」
「まあ、この至近距離で外すようでは、それも見てくれだけかもしれないが」
「喧嘩売ってんのかテメェ!」

野太い声で喚き散らす男を冷ややかに見下ろすながら、イドルフリートは小さく眉を寄せた。
何時の間にやらふたりを囲むようにして、人集りが出来ていたからだ。
どうやら、男が五月蝿く喚きたてた為に注目を浴びてしまったらしい。

これは面倒なことになった、と渋い顔をしたイドルフリートを見て何を勘違いしたのか、男が不敵に笑いながら立ち上がった。

「今更怖じ気付いたって遅ぇよ!俺を怒らせたこと、後悔させてやる…!」
「全く、しつこい輩だな。君のような低能に使ってやる時間も労力も、持ち合わせていないというのに…」

熱り立つ男を尻目に、イドルフリートは溜息混じりに呟いた。
その様子を見て再び喚きだした男に心底うんざりしながら、仕方なく男と対峙する。

射殺さんとばかりに睨んでくる男の眼光を受け流し、序でに、飛んできた拳も軽く去なす。
成る程、威勢よく啖呵を切るだけあって、そこそこ腕は立つらしい。どうやら図体がでかいだけの、只の見てくれではなかったようだ。
喧嘩慣れしている上に屈強な巨体となれば、中々骨が折れる相手だろう。最悪、怪我では済まないかもしれない。

「っ、ぐぁ、」

――相手が、イドルフリートでなければ。

航海士として各地を飛び回っているイドルフリートは、様々な経験を積んでいる分、戦闘能力も極めて高い。彼にしてみれば、喧嘩等というものは、子供の戯れに過ぎないのだ。

驚く程少ない動きで優雅に相手を伸してみせたイドルフリートに、観客と化した野次馬から拍手が送られる。
それに応えるように一礼して、顔を上げたイドルフリートの前に立っていた男こそ。

「やあ、初めまして」

赤の王子、その人である。







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すみません続きます…!







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