*王闇




鬱蒼と木々が覆い茂る、仄暗い森。昼間だというのにその中は酷く暗く、不気味な程静かだった。太陽や光とは無縁なその場所は、謂わば宵闇の森といったところか。
その宵闇の森の中を進む、ひとりの青年。この場には不釣り合いな小綺麗な格好で、臆することなく堂々と、然しどこか急いでいるような足取りで、躊躇うことなく奥へ奥へと入って行く。

やがて拓けた場所に辿り着いた彼は、そこで初めて足を止めた。
そこはどうやら墓地の様で、数えきれない程の墓標が立てられていた。漂っている異様な空気等微塵も気にしない様子で、青年は墓標へと近付いていく。否、正確には――、墓標が囲んでいる、古い井戸へと。

井戸の前まで来ると、彼はぴたりと歩みを止めた。そしてそのまま中を覗き込んで、口を開く。

「Guten Tag,姫。青の王子です」

彼――青の王子の澄んだ声が、静閑な井戸に反響する。深い井戸の底から返答があるとは到底思えないが、青の王子は慣れた様子で言葉を続けた。

「会いに来るのが遅れてしまって申し訳ない。非礼を働いておきながら、このようなお願いをするのは図々しいとは承知の上だけれど…、どうか、その麗しい顔を僕に見せてはもらえないだろうか?」

懇願するように井戸を見つめる王子だったが、暫く経っても何の反応も返ってこないことに、小さく肩を竦めた。

「…そうですよね。僕が犯した罪は、そう簡単に許されるものではない。矢張り職務を放置してでも会いにくるべきだ「好い加減にし給え」

大袈裟な溜息と共に後悔の言葉を吐き出す王子を遮ったのは、呆れを多分に含んだバリトンだった。
その声に、王子はぴたりと動きを止めたかと思うと、勢いよく井戸を見て、その蒼眼を見開いた。

「……メルヒェン…!」

弾んだ声色で名を呟く王子の目線の先には、ひとりの青年が居た。先程まで確かに誰もいなかった井戸に腰掛け、呆れた表情で王子を見ている。

「ここ暫く顔を見なかったから、てっきり改心したものとばかり思っていたのに…」
「まさか!職務が忙しかったのですよ。そうでなければ、毎日でも君に会いに此方に足を運びたいところです」
「……相変わらず趣味が悪いようで何よりだよ」

爽やかに微笑みながらそう宣う王子に、若干口元を引きつらせながら青年――メルヒェンは言葉を返した。元から青白い顔色が、心なしかより青ざめているように見えるのは、気の所為だろうか。

彼、メルヒェンは生者ではない。かといって死者でもない。彼は生ける屍であり、生と死の境界に位置する屍者であった。
そんな彼と王子が出会ったのは、とある少女の復讐がきっかけであったが――、その話は物語の頁の外側に追いやるとしよう。
兎にも角にも、死体愛好という些か特殊な性癖を持つ王子は、屍者であるメルヒェンに酷く惹かれたらしい。挙げ句、「君こそが僕の理想の花嫁だ!」と高らかに宣言し、以来、足繁くこの宵闇の森に通ってはメルヒェンに言い寄っている。

「趣味が悪いだなんて。君はこれ以上ない程素晴らしい、最高の花嫁ですよ」
「…残念ながら、私は君の花嫁じゃない。運命の相手を見付ける為にも、もう暫し、花嫁探しを続けてみては如何かな?」
「必要ありません。運命の相手なら、もう見付かっております故」

にっこりと笑ってメルヒェンの左手を取ると、地面に肩膝をついて頭を下げる。
突然の王子の行動に動けないでいたメルヒェンを余所に、取った左手を口元まで持ってくると、自然な動作でそのまま手の甲に恭しく口付けた。

「――っ!?な、にを…っ」
「メルヒェン――愛しい僕の姫君。君程美しく素晴らしい人を、僕は未だかつて見たことがない。整った顔立ち、艶やかな宵闇の髪に、清らかな真っ白な瞳。そして何よりも、その身体。心音のない、冷たい死体でありながら、生者のように動き、意志を持つ屍体。嗚呼、なんて、なんて素晴らしいのだろう。メルヒェン、君を形作るその全てが素晴らしく、そして美しい。君以上に素敵な花嫁なんて存在するものか!」

うっとりとメルヒェンの瞳を見つめながら歌うように言葉を紡ぐ王子に、手の甲にキスをされて赤面しながら硬直していたメルヒェンは、別の意味で再び固まっていた。

「……王子。私は君と同様で男性で、私と君は同性であり――、詰まり私と君は男同士なんだが」
「承知しておりますよ。それが何か?」

逃げ腰になりながらも何とか吐き出した言葉をさらりと流された上に笑顔を返され、メルヒェンは言葉に詰まる。
メルヒェン自身気付いてはいなかったが、どうやら王子に口付けられたことに随分と動揺しているらしい。

最早恒例となっている王子の口説き言葉にも過敏に反応し、目を泳がせながらあたふたとする様は、普段とのギャップも相まって、酷く頼りげなく見えた。
客観的にそう見えるのならば、メルヒェンに好意を寄せている王子には更に脚色されて見えるのだろう。
メルヒェンの瞳を真っ直ぐに見つめ、柔らかく微笑んだ。

「可愛い」
「〜〜――っ!!」

途端、ぼん、という音が聞こえそうな程に分かりやすくメルヒェンの顔に紅が散った。
自由な右手でそれを隠すように顔を覆ったメルヒェンだったが、片腕で隠しきれる筈もなく。真っ赤に染まった顔をばっちり王子に目撃されてしまった。

「…メルヒェン」
「…っ、か、える」

初めて目の当たりにした想い人の赤面顔に、瞠目したまま茫然と名を呟く王子から逃げるように、メルヒェンは彼から顔を逸らし、何とか言葉を絞り出す。
普段の口調とは打って変わった、簡潔な単語だけを述べて去ろうとする様子からは、彼の余裕のなさを感じさせた。

メルヒェンから余裕と冷静を奪った当人である王子でさえも、この事態は想定外だったようで、先程から指先ひとつ動かさず、只惚けたように固まっていた。
然し、メルヒェンが井戸へと身を乗り上げかけたところで、漸く我に返ったらしい。引き止めようと慌てて彼の肩を掴むも、その手はメルヒェンによって払い落とされてしまう。

「メルヒェン!」

名を呼ぶ声には焦りと不安が滲んでいたが、メルヒェンは振り返らずに井戸の縁へと手を掛けた。そのまま中へ入るかと思いきや、その直前でちらりと王子を振り返り、ぽつりと呟いた。

「…もっとマシな口説き言葉を考えから、出直してくれ給え」
「…それは、」

「出直せ」という次に繋がる言葉に、王子が何か言おうと口を開く。然しそれを遮るように、「それから」と一際大きな声を発したメルヒェンは、気まずげに王子から視線を逸らし。

「…その、いきなりだったから驚いただけで……、べ、別に、嫌だったわけでも、嫌いになったわけでもないから…」

頬を朱色に薄く染めながら、消え入りそうな声でそう呟いて、今度こそ井戸へと身を投げた。
メルヒェンの宵闇に染まった長い髪が舞うのをぼうっと見つめながら、言われた言葉を頭の中で反芻する。

「嫌ではなかったし、嫌いにもなっていない」とは。
前者は恐らく手の甲にだったが口付けたことで、後者は王子自身のことを指しているのだろう。

「……それは、つまり…」

(――脈有りとみて、宜しいのかな、姫)

緩む口元を手の平で隠しながら、彼が去って行った井戸を眺めて目を細める。

「お望み通り、とっておきの言葉を贈らせて頂きますよ、姫。ですので、」









――どうぞ、覚悟なさって下さいね。








そう不適に笑ってみせると、王子は井戸に向かって恭しく頭を下げた。
そして、先程とはがらりと変わった爽やかな微笑みを浮かべ、「また来ます」とにこりと笑んで、軽い足取りで宵闇の森を後にしたのだった。








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テッテレ闇……難しい







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