「……」



 何時もと変らぬ喧騒の中、バーテン服の男は一人、歩いていた。


足取りは心なしか軽く、細身のサングラスで隠された瞳にも嬉々とした色が宿っていて、正真正銘彼は上機嫌そのもの。それもそうだろう、普段夕刻と言う時間は仕事の時間で、今日も数刻前まで尊敬する上司と共に客の所に集金に行っていたのだが、その後上司のトムが静雄にある事を告げたのだ――



『っと。静雄、今日もう上がっていーぞ』
『今日はもうこれで最後っすか?』
『いんや、けど後は俺一人でも平気だし、たまには早く帰って彼女と飯でも食えよ。殆ど時間が合わないんだろ?』



トムの指摘通り静雄と名無しは最近ゆっくりと過ごす時間が無かった。

仕事柄どうしても遅くなる静雄と同じく仕事を持っている名無し、二人が揃って食事など最近特に無く正直心苦しくもあった。それを察してくれたのかトムからの嬉しい心遣い故の提案だった。


静雄は上司の気遣いに心底感謝をしながら頭を大きく下げ、その足で愛しの彼女の元へ。


そして、現在に至る。



*


「(――アイツ驚くだろうな、突然迎えに行ったら)」


彼女の仕事場に行く事は敢えて連絡しなかった。驚く彼女の顔が見たい、只その一心で。ふと驚いた彼女の表情を想像すると思わず和む。早く見てぇ、そんな思いを抱きながら歩いていると彼女が働いている店が視界に入った。



「(……随分人が多いな)」



少し先にある一つの飲食店。オープンテラス付きのその店は中々評判が良いらしいと以前聞いた事があった。どうやらそれは本当らしく、店内の席は大方埋まっている。当然店員も忙しなく動いており、その動きと人の多さに入る事を躊躇してしまう。


やっぱり外で待つべきか? そう考える中、静かに佇んでいると店員の一人が此方に気付き駆け寄って来た。名無しだ。




「静雄!? どうしたの、こんな所で」
「よお、仕事が早く終わったから一緒に帰ろうと思ってよ。けど、忙しそうだな」
「あー、これでもやっと人が減った所。あ、店に入って待っていてくれる? もう少しで私上がりだから!」
「いいのか?」
「勿論! お一人様ご入店でーす!」


名無しに案内されたのはオープンテラスの席。注文を聞かれたので適当に頼むと名無しは店内へ戻っていった。



「(此処が、アイツが働いている場所か……)」



思えば、一度も来た事が無かった。ざっと店内に視線を向けると店は意外と広く若いのが多い。店員同士の仲も見る限り良さそうだ。



「静雄、これでも食べて待ってて」


と、出されたのはショートケーキ。純白のクリームに引き立てられる様に真っ赤で大粒な苺が乗ったとてもシンプルなケーキ。自分が甘い物が好きな事を知っている名無しは気を使って持ってきたのだと、直ぐに理解した。その気遣いに気を遣わせたと言う若干の申し訳なさと感謝を交えながら、一口。



――ぱくり




「(……美味い)」




程好く甘さを抑えた生クリームにふわふわなスポンジ、その中にはスライスされた苺が挟まれていて、昔食べた懐かしのケーキを髣髴させる。そう言えば昔小せえ頃に幽と一緒に食べたっけな。そんな昔を懐かしんでいれば、ふと耳に入った一つの会話。




「――なあ、あの店員可愛くないか?」
「あ、やっぱりお前もそう思う? 俺、結構前から狙っていてさ、通っているんだ」

「(……誰の事だ?)」




ニヤニヤと小声で話す斜め前の席の男二人。その会話が珍しく気になり、視線の先を追ってみると、其処には元気に店内を回る名無しの姿が。





――イラ、




「あんまりお洒落って感じはしないけどよ、逆にあの素朴な感じが良いって言うか」
「そうそう、なんつーの? 元気そうな明るいキャラに合ってるんだよな!」



――イライライラ、




「多分そろそろあがりの筈だから、俺、声掛けてみようかな」
「そうしろそうしろ! この後食事でもどうですかって気軽に誘ってさ、告白してみろって。ひょっとしたら上手く行くかもよ?」
「お、おう。店員さん、すみませーん!」
「はい、何でしょう?」
「良かったら、この後…」




――ザクッ!





「「!!」」
「?」
「……」



名無しに声を掛けた直後、二人組みの顔色が一気に青ざめる。それもその筈、二人の名無し越しの視界に入ったのは、苺に一直線に刺さった一本のフォークとそのフォークを強く握るサングラスの男。その上、男はサングラス越しでも分かる位射殺しそうな鋭い双眸を此方に向けていて、殺気すら感じそうな気さえする。

身も凍りそうな恐怖に二人組は戦慄き、言葉を失う。



「あの、お客様? この後と言うのは」
「……こ、この後モンブランをお願いします」
「……お、俺も同じので」
「はい、畏まりました」



完全に心を折られ意気消沈する二人は、小さな声で注文。その注文を受けた名無しは、全く変わらない笑みを浮かべ、頭を小さく下げながら店内へと戻っていった。

その背中を見届けた静雄は、一人満足気に頷く。良し、アイツは気付いていないな、と。そして、何事無かった様に刺したフォークを再び持ち上げ、刺さった苺を丸ごと口の中に放り込んだのであった――……。




*-*-*-*-



「――ごめん、静雄。待たせちゃって!」
「おう、お疲れ」


十五分後、仕事を終えた名無しと静雄は帰路に就いていた。



「でも本当に驚いたよ、まさか静雄が迎えに来てくれるなんて」
「トムさんがたまには早く帰ってお前と飯を食えって、気を遣ってくれてよ。言葉に甘えてきた」
「トムさんって本当に良い人だね。今度御礼を言わなきゃ。それにしても、静雄、初めてだね?」
「迎えに行った事か? まあ、今迄仕事で遅くなっていたからな」
「それもあるけど、違う」
「?」




軽く首を横に振り、何処か意図が読めない様に口角をゆっくりと上げる名無しに静雄は、訝しげに小さく首を傾げると彼女は予想外な事を口にした。




「妬いてくれた事」
「なっ……気付いてたのかよ」
「うん、丁度私の背後が静雄だったから何となくね。まさか妬いてくれるとは思わなかったけど」
「……くそ」



気付かれていないと安心していたのに、彼女の口から出てきた真実に、静雄はバツが悪くなり後ろ頭を掻きながら、視線を逸らす。


そんな様子の彼に対して、名無しは少し照れながらも嬉しそうに、一言。



「有難う」
「何で礼を言うんだよ。別に俺は礼を言われる様な事なんてしてないぞ」
「何となく言いたかったの。長い付き合いだけど、静雄が妬いてくれるなんて、初めての事で嬉しかったから」
「……そうかよ。よく、あるのか? ああ言う事」
「んー、たまに。うちの店、結構顔が良い子が多いから、私みたいな平凡な顔が珍しく見えるんでしょ」




変だよねー、と昔と変わらずケラケラと笑いながら話す名無しをサングラス越しに双眸を細めながら、ぼんやりと浮かぶのは学生時代の事。



「(……変わらねぇな)」




――学生時代、名無しを慕う者は男も女も多かった。楽観的な性格にシンプルな思考、それにもと告ぐ行動力と周りを照らす様な笑顔。本人曰く、反感を買う事も少なくなかったらしいが、気には留めておらず、その上、




『私の様な奴が嫌いって言う人がいても、普通だよ。そりゃあ、私だって傷付かない訳じゃないけど、人の好みなんて其々で強制は出来ない。かと言って私の方が変わるなんて、する気も無いし多分変われない。だって、変わったらそれは自分じゃ無い気がするから。だから、仕方が無い』




そうあっさりと告げた名無しは、真っ直ぐで何処か強く見えたのを今でもしっかりと覚えている。実際、紆余曲折あっても彼女は変わる事は無く、現在自分の隣に居る。その現実に些か羨ましさが混ざるも、静雄は只只思う、凄い、と。




「……」
「ん、何? 何か私の顔についてる?」
「いや、何でもねぇよ。只お前は強いなって思っただけだ」
「へ? どうしたの、突然。そりゃ、足は人並み以上には速くはなったけど、腕力は変わってないよ?」
「ぷっ」



首を小さく横に傾げ、訳が分らないと顔に描いた様な表情を浮かべる名無しに、静雄は小さく噴出し、違ぇよと彼女の頭に手を置き、わしゃわしゃとしながら、



「わっ」
「心が強いって事だよ」
「……えっと、良く意味が分らないけど、仮に強いとしたら、それは静雄のお陰だよ」
「は? 俺の?」
「そう、静雄が傍に居させてくれたから、強いままでいられた。人間一人じゃ強さは保てない、誰かが傍に居てくれないと、保てない強さだってあるんだから」



だから私の強さは多分静雄のお陰だよ、と笑いながら告げる名無し。

恥かしげも無く、恰も普通の様に返って来た言葉は、恥ずかしさと何処か擽ったい気持ちを静雄の心に抱かせるのには充分なもので、静雄は細身のグラサンを軽く中指で上げながら、そうかよ、と誤魔化す様に言葉を紡ぎ、何時の間にか止まっていた足を再び進め始めた。


「あー…腹減ったな。今日の夕飯は?」
「これから買いに行くの。何が良い?」
「特に要望はねえが、しいて言えば……揚げ物が食いてえ」
「なら、今日は唐揚げにしよっか。鶏肉安く売ってれば良いなー」
「後、牛乳もな。今朝飲んだのが最後だったから」
「了解。あ、ついでにお米買おうっと。丁度無くなりそうだったし。今日は静雄が居るしね!」
「おー、任せろ」



夕暮れの他愛も無い会話。特に特別な事も無く、只二人並んで歩き、何気ない会話を交わすだけだが、心は満ち溢れた想いで温かい。そんなごく普通の日常に二人は幸せを確かに感じながら歩く。満ちた心をじっくりと噛み締めながら―……。











日常の中の幸せ
(よーし、今日は五キロにしよう)
(どうせなら、そっち買えばいいじゃねぇか。それなら当分買わなくて済むだろ)
(え、十キロ!? いや、重い)
(?(ヒョイ))
((片手…)……静雄には無縁な言葉だったね)






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