―その女は、まるで月の様だった。


物静かで凛としていて人を包み込む様に慈しむ様に優しい笑みを浮かべる女。夜独特の雰囲気を持ち合わせる女。女は月の下に居るのが不気味な程似合っていた




「今晩わ」




濡玉の様に艶やかな漆黒の髪を耳に掛け夜風に揺らし目を細めふわりと笑う女は何時も夜にしか現れなかった。他のクルーは女が毎晩毎晩甲板に現れる事を知らない。知っているのはおれだけ。突然現れた女に最初は驚いたがこの偉大な海に常識なんて関係無いのだとその内慣れてしまった。女が現れる度他愛も無い話をしては時間を過ごした、それはおれにしては珍しく特に嫌な時間では無く、深く入って来ない女との時間は寧ろ何処か心地良かった。




「毎回思うんだが、どうやって此処に来るんだ?」

「空からかな」

「……」

「ふふ、内緒! 全部が全部分っていたらつまらないじゃないっ」




愉しそうにくるくると純白のワンピースが宙に舞う、純白に漆黒が映えるその光景は素直に綺麗だと思えた。勿論口に出す事は無いが。女は未だに眩しい位の月の光をスポット代わりにしながら上機嫌そうに笑っている。おれは小さく溜息をつきながら、もう一度尋ねた。何故この船に現れた、何が目的だと。すると目の前の女は不思議そうに此方を見据え、



「そんなに知りたいの? 私の事」

「そりゃ、周りは海しか無い上に夜のしかもおれだけしか目撃してないからな。おれの妄想か何かだと疑いたくなるだろう」



前に他の奴らに聞いた事があった。夜に甲板で女に会った事あるか、と。返って来た返答は予想通りノー。あまつさえおれの頭の心配までして来たモンだからそいつ等にはシャンブルスで体のパーツを暫く取り替えてやった(ベポは例外)。

おれの話を聞いた女はまた愉快そうに笑う。




「…何が可笑しい」

「あ、ごめんごめん。けど、大丈夫よ、私はちゃんと存在している。ただ、他の人には必要ないだけ」

「何?」




必要無いだけ、その一言が引っ掛かった。片眉がぴくりと上に上がる。その些細な変化に気付いた女はずいっとおれの前で人差し指を立て、一つだけ、と声を掛ける。




「一つだけ、ヒントをあげるわ。私と会う夜、何かが何時もと同じです、さあそれは何かしら?」




突然の質問。素直に答えを探すのは癪だが此処は女の質問に答えを探した。この女の現れる時、同じなのは純白のワンピースに夜現れる事。けど女の顔を見ればその二つとも違うと直感的に分る、なら答えは一つだ





「月だ、お前は満月の晩だけに姿を現す。しかも晴れた晩のみだ」

「正解、流石は船長さん。じゃあ…ご褒美をあげなくちゃ」

「ッ!?」



バッと女が手を翳した瞬間、体に異変が襲った

ぐらっと眩暈がしたかと思うと体は突然鉛の様に重くなり足元がふらつく、視界が揺らぎ瞼は重くなる。ぼんやりとなる頭で弾き出したこの異変、それは強烈な睡魔。しかも体が避けられない程の。意識が沈みそうになるのを何とか堪えながらキッと女を見据える。




「―貴方がずっと眠らないから、我が儘を言ったの。だから私は満月の時にしか姿を現せられない。でもそれも今日で最後。だって貴方に私はもう必要無いから」

「な、にを…」



言ってる、その言葉は出て来ない。何よりも眠ろうとする体には逆らえずにその場で膝を付く。視界が朦朧とする、嗚呼畜生、まだ眠る訳にはいかねぇんだ! 眠ったらコイツはもう―



思いも裏腹にゆっくりと前が暗くなっていく。聞こえて来たのは一つの慈しむ様な優しい声。




「大丈夫、恐がらないで。夜は貴方を優しく包み込み月は貴方をずっと優しく照らし続けるから。だからもうお眠りなさい、こんな隈など作らずにゆっくりと安心して。…嗚呼けど本当はロー、貴方ともっと―…」




――その先は聞こえなかった







「――船長ッー!!」




次に目覚めた時には女の姿は無く月の代わりに太陽が輝いていて、夜が明けた事を知らせていた。心配していたキャスケット達が言うにはおれは甲板に倒れていてその後三日丸まる眠っていたらしい。そのお陰か最近ずっとあった倦怠感は今日は無い。



「…」



それから女は予告通り満月の晩になっても姿を現さなかった。

その次も次も次も。

あの夜、最後に覚えているのは暖かい温もりと優しい声と、うっすらと涙を浮かべ何処か寂しげなあの女の笑顔。





『嗚呼けど、本当はロー、貴方ともっと―…』

「……」




あの時聞きそびれた言葉。続きを聞きたくても女はもう居ない。

残ったのはチリチリと胸を焦がす焦燥感


胸を焦がすモノと共に夜空を見上げればあの女と同じ様な満月が一際強く優しく辺りを照らしていた―…











(もう一度会いてぇ)







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