年の瀬の、冷え込みも厳しい朝─。
ここはとある臨海都市の大型展示会場。
…そう、もうこれだけ言えばお分かり頂けよう。
─祭りである。
夏の祭典同様、リンはやはり会場にいた。
しかし今回は一般参加ではない。
リンが颯爽と向かうのは
『サークル入場口』
…どうやら彼女は順調にお腐り道の業を積んでいるらしい。
『ただいまを持ちまして、第81回グルコミマーケットを終了させて頂きます…』
会場にイベント終了のアナウンスが流れ拍手が響く中、朝方に意気揚々と会場入りしたはずのリンが、自スペースで所在なさげに肩を小さくして座っている。
そんな彼女を見下ろす一人の若い女がいた。
やはりリンと同じくスペース内にいるにはいるが、こちらは椅子に座るでもなく、気色ばんだ様子で腕を組み仁王立ちになっているのが異様な雰囲気だ。
「…一体全体何を考えてるのよ、あんたはッ!?説明してもらおうじゃないの!!」
怒り心頭といった様なその声は、決して張り上げているわけではないのによく通る。
普段なにかと気に食わない言動の多い女ではあるが、なるほどさすがグルメキャスターの名は伊達ではない…などと思考を飛ばすリンの頭上に、『さすがのグルメキャスター』の雷がビシャリと容赦なく落ちてくる。
「あんたちょっと聞いてんの!? 売り子の私を朝から一人放置でさんざっぱらふらついた挙げ句、閉場15分前になってやっと帰ってきたその不可解かつ勝手極まる行動の理由を述べなさいって言ってんのよ、こっちは!!」
怒りのままにまくしたてる女のセリフは、近辺で黙々と帰り支度をする同業者の耳に嫌でも入る。
口にも顔にも、態度にすら出さない彼女達の心中に浮かぶ言葉はただひとつであろう。
『それは怒っていい…!!!』
片やお叱りを被るリンはと言うと、さすがに悪いと思うのだろう…愛想笑いを浮かべつつも、返す言葉は弱々しい。
「…お…お昼過ぎには帰ろうと思ってたんだけど…今回のイベント限定グッズとか…コピー本とか…夢中で買い漁ってて…あとグルメッターのフォロワーさんと偶然会って…話し込んでたらいつの間にかあんな時間になっちゃってて…び、ビックリだし〜!」
あは、あはは!
ひきつったごまかし笑いを浮かべるリンに、女キャスターも額に青筋を浮かべ微笑んで見せ─。
「そんなもん、私だって買い漁りたかったっつーの、オバカーッ!!!!」
今度こそ自慢の美声をフルに張り上げて怒鳴り声をあげたのだった。
「ハァ…失敗したし…」
帰りの電車の中、リンは一人小さくため息を溢した。
駅で別れたキャスターには、彼女が買い逃したココサニ本を可能な限り通販で補填し、なおかつサニーの身内という特権を利用しお宝ショットを必ず送ってくるように、との厳命を受けた。
確かに『早く会場入りすれば買い逃しもないし〜』と、サークルチケットを餌に、最近ココサニ信者であることが発覚した知人の女キャスターに売り子を頼んでおいて、結局1日放置は悪かった…
もうなんというか、ハッスルしすぎて全ての思考が頭から吹き飛んでいたとしか、言い訳しようにない。
恐るべしはトリコの魅力だし…!ごくり…!
唾を飲むリンはあくまでも本気だ。
イベント帰りの人々で込み合う電車内で、鬱々と自戒と反省に沈むリンではあったが、彼女の性格上その反省タイムもあまり長く続かなかった。
(そうだ、チョー楽しみにしてた、新刊…!)
一番楽しみにしていたR指定本の存在をキャリーの中に意識し出したが最後、すぐに読みたくてたまらなくなってしまった。
(電車の中っても、どうせ周りは同業者ばっかだし…)
人でごった返す車内ではあったが、椅子の端に腰かけたリンにすればキャリーを探るのも、そう苦にならない作業だった。
程なくして同人誌を手にしたリンは、ワクワクしながら─あられのない姿でこちらを気恥ずかしげに見つめてくる─青い髪の大男が描かれた表紙を捲った。
しかし次の瞬間─。
「……!?」
何者かの手がサッと伸びてきて、リンが開いていた薄い本がごく軽い力でゆっくりと閉じられた。
本を手にしたままのリンは、手が伸びてきたほうを半ば唖然として見上げる。
すると真横の手すり越しに立っていた人物と目が合った。
黒目に長い黒髪のその人は結構な身長ではあったが、よくよく見れば美しい女性的な顔立ちをしていた。もしひとつ難癖をつけるならば、頬に刻まれた十字傷であろうか?
しかしそれも彼女─いや、彼だろうか─の魅力のひとつと言って差し支えないであろう。
大体が、リンの顔にだって同じような傷痕がある。
さてリンの行動をやんわりと止めたその人は、伏せ目がちながらも毅然とした表情で静かに呟いた。
「…家に帰ってから…」
ごくごく短い一言ではあったが、やはり素知らぬ顔をした周辺の同業者達は内心で
『お家に帰るまでがイ ベ ン ト で す ! 』
と同調の叫びをあげまくっているにちがいない。
リンはリンで、マナー違反は薄々承知の上であったが為、ばつが悪い…と言うよりは羞恥のほうが勝った。
顔が真っ赤な自覚がある。
「うぅ…つ、つい我慢できなくって…ごめんだし…」
しょんぼりと項垂れながらも精一杯に謝ると、相手はその整った顔からは想像つかぬほど、あどけない表情を浮かべて
「…いや、気持ちは分かるよ。今度から気を付ければいいんじゃないか?」
と面映ゆそうに微笑んだ。リンは─リンだけでなく、その周辺にいた女子達は殆ど─その遠慮がちな笑顔に見惚れたのだが…。
山百合のような笑みを見せた彼─いや彼女がIGO系料理人ジャンルにて活動する某大手サークル主催であることは、この場の誰もが知らぬことであった。
ちなみにサークル名は『めるく屋本舗』…現在注目度No.1と巷で囁かれない日はない、某6つ星ホテルのシェフ受けを扱う、唯一にして最大手と謳われているというのは─まあ、蛇足であろう。