その時、ゾンゲの脳裏にはフグ鯨の三文字しかなかった。

なので、

「ゾンゲさま…ボク、この人達について行っても構いませんか?」

という小松の申し出に衝撃は受けこそ、止めるだとか理由を聞くだとか、そういった方向に頭が働かなかった。

「お、おう…お前がそうしたいなら、俺は別に…」

とにかく目の前に掲げられた“フグ鯨”と言う一攫千金の夢に目が釘付のゾンゲは、よくよく考えもせず上の空で返事をし
小松が見せたかすかな落胆の色に気づきもしなかった。


元よりあまり人の心の機微に鋭いほうではないゾンゲだ。

そして今は喉から手が出るほどに求めた、幻の食材を目の前にしている。

無理もない反応とは言え、しかし些か軽薄とも言えよう。

「小松、俺らについてくるか?」

薄く笑んだトリコの問いに、小松は押されぎみながらも確かに頷いた。

「…ハイ、ご一緒させて頂きます。若輩ですが、よろしくお願いします」

「おう」

小松の返事に満足気に頷いたトリコは、話が決まったならばとばかりに、フグ鯨の入ったグルメケースをゾンゲにやろうと差し出した。

だが、そこで

「小松くん、外で待とうか」

「ココさん…?」

ココから背中をそっと押された小松は、洞窟の外へ出るように促され。

結局、フグ鯨を受けとるゾンゲらの姿を小松が見ることはなかった。





「やっぱり、彼らと別れたくないんじゃないのかい?」

洞窟外の明るさに目をしばたかせていた小松は、ココに訪ねられて少し考え込むような顔をした。

「………少し、寂しい気もしますが……」

目を伏せる小松にココは心中、さもありなんと同情心のようなものを抱く。

目の前で自分の旅の連れが、自分と食材を交換するような現場を目撃したのだ。
それは落ち込むだろう。というよりは、憤慨していい状況でもある。

小松の性格上それはないようだが。

─そもそもが小松を連れていきたいと言い出したのは自分とは言え、トリコもトリコだ。
よくものを考えないで、あんな取り引きのようなやり方を…。

いつの間にかトリコへの非難へ逸れ始めたココの思考を、続く小松の言葉が遮った。

「それでも、“ドール”としてじゃなく、ボク個人に一緒に来いって言ってもらえたことが何より嬉しかったですから」
…思わず顔を上げ、まじまじと小松を眺めるココの反応に、小松は何を勘違いしたか

「…あっ!ボク、なんか思い上がってました…すいません」
眉を寄せて謝ってきた。

それは粗相をした従僕の響きそのもので、ココの眉間に知らず皺がよっていく。
(この子は、なんて─)

ほんの短いやりとりの中に、小松の辿ってきた半生がうっすらと透かし見えたような、そんな気がしたココだったのだけれど
当の小松はと言うと、ココの強ばった表情を全く逆の意味に解釈したらしかった。

「あ、あの…ボクはご飯を作ることくらいしかできませんが…ココさん達のお役に立てるよう、精一杯がんばります!」
「小松くん…僕らが君に無理に同行を頼んだんだ、役に立つとか立たないとかそんなへりくだった言い方はよしてほしいな?」

できる限り優しい声音で言い聞かすココだが、それでも小松の表情は晴れない。

「美味いメシ食わしてくれるっていうなら何よりじゃねぇか」

唐突に声をかけられた二人は、そちらへと顔を向けた。

トリコだ。ゾンゲらと話をまとめてきたのだろうか。よ、と気軽に上げる手は空だ。

「あの…ゾンゲ様は?」

「ん?今来るんじゃねぇの?挨拶してくか?」

「そうですね…ハイ、そうします」

ちょっとお待たせしますね、そう断りながら小松がトリコの脇を通り抜ける、その途中。

「なぁ、小松」

ごく気安い口調で、トリコが小松を呼び止める。

「お前、今日から“人間”になったんだって、そのつもりでこれからは生きてみろよ」

ニカッと笑う男の言葉は、その内容と比べるとあまりに軽い調子だった。

咄嗟のことで、小松もこれと言った反応ができずに立ちつくす。

「…俺はお前のこと深くは知らねぇし、そこのココもそうだ」

顎で示されたココは、トリコが何を言いたいのかがすでに解っているようだ。
不思議そうに振り仰いできた小松に、静かに頷いてみせる。

「…お前がお前自身を“ドール”と言うならそれは確かなんだろうさ。だがな、小松」

…呼ばれて、小松は愚直とも言える真面目な顔でトリコを見上げた。

…その姿はまるで
疑いひとつ知らぬ幼子が
小さな世界で唯一絶対である親の教えを聞き漏らすまいと、真剣に耳を傾ける姿を思わせる。


「…人間だって、そう悪いもんじゃねぇぜ?」

破顔一笑。
まるで三人の遥か頭上、長く尾を引く鳴き声の
名もない鳥が翔ぶ空のような
そんな清々しいまでの笑みだった。


大きな目を一杯に見開いて、その笑顔を見つめていた小松の表情は
唖然としたものから、次第にむずかゆそうな複雑そうなものへと変わり
やがてくしゃくしゃな、笑顔とも泣き顔とも表現しがたいものになり

「…は、い…ハイッわかりました、トリコさんっ!!」

と元気すぎるほど元気な声を上げた。



それを「声がでけー」と冷やかすトリコと、頭を掻いて照れ笑う二人を
ココは苦笑いの混じった目で優しげに見守っていたのだった─。













シェフ・プヘフグレヌ
〜トリコの場合〜

















─しかしこの時からしばらく後、
トリコはもうひとつ小松に言うべき言葉があったのだ、と思い返すこととなる。


…後悔など知らぬトリコの、それは唯一の心残りとなるのだが…今は知るよしも、ない。












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