かの料理人を間に挟んで、あの男に初めて面白くない感情を覚えた短いやりとりは、今も記憶に新しい。
「ちなみに…小松はオレのパートナーでもある」
「へぇ」
で?っていう。
…あの当時には、そこで胸をよぎったかすかな苛立ちの意味が分からなかった。
だが、今なら分かる。
あれは闘争心。
『これは俺のもんだ』
と、無自覚に垂れ流されるマーキング行為に対する、純然たる反抗心でもあったわけだ。
メルクマウンテンの頂上に来客はめったにない。
当然郵便などの類いも、唯一の同居人(?)であるヴァンパイアコングが運んでくれる。
以前なら、手紙なども研ぎの仕事に関するもの以外に届くことはまずなかったが、今は違った。
「ありがとう、ポチコ…小松シェフからの手紙だね?」
まだ朝も明けきらぬ薄ぼらけの中を、朝露にしっとりと全身を濡らした相棒がゆっくりと羽ばたいてくる。
彼がふもとから運んでくれたのは、待ちわびていた例の彼からの手紙に違いない。
メルクは目を期待に輝かせて風呂敷包みを開いた。
山積みになった仕事依頼の一番上に、その手紙はチョコンと乗っていた。
薄いピンクのナイフとフォークの柄をあしらった小松らしい封筒に笑みがこぼれる。
もう一度、ポチコを労ってから、メルクは荷物を抱えて足早に工場へ戻った。
もちろん、小松の手紙は懐に大事にしまって。
《拝啓メルク様
お元気ですか?
もちろん僕も、トリコさんも元気ですよ!
僕らは今、この間お手紙したように、砂塵の谷を移動しているところです。
トリコさんの昔馴染みの方がちょっと…その…血気盛んな方で…トリコさんとしょっちゅうケンカするので、借りているリフトハウスはもうすでにボロボロです。
でも、この土地特有の材料で料理ができるのは楽しいかな?
トリコさんもその方も沢山食べてくれるので、作りがいありますしね!―》
「……………………」
ここまで読んで、メルクは一旦文字を追うのをやめた。
毎度ながら文面にはやたらと
「トリコ」
のキーワードが多い。
先週届いた手紙では、およそ便箋3枚と半の中に
「トリコ」
は21回も出現していた。
数える自分も自分だが、トリコも少々出たがりだ。
ただでさえ図体でかいんだから、大人しくしてろ…!
しばし黒い思考に沈むメルクだったが、彼女とてなにも最初からここまでトリコに対し対抗心は持っていなかった。
当然だ。
なにせ、人里離れまくった標高4000メートルの鉱山で育ち、師匠と仰ぐ義父以外、人の姿を見ることすら稀な環境で育ったメルクである。
しかも、強くある為に女を捨てようと自分を律してきた一面もある彼女が、自身の恋心を自覚し、前向きに小松との今後の進展を手探りながらも図っていることが奇跡とも言えよう。
いわんや、「恋敵」を認識しーしかも相手は性別上恋敵になどとなりようもないはずの、男ー相手に対抗心を抱こうとは…数ヶ月前のメルク本人にすら予想だにしない出来事に違いない。
だが、やはりメルクは女だった。
あの素朴な―
けれどとても暖かな人柄の料理人・小松への想いを募らせるたび、脳裏によぎる不快感にも似た不安。
いつでも小松の傍らにあり、またそうありたいという強い意思を伺わせる、色の濃い瞳。
常に小松の身を案じ、迫る危険があれば躊躇なくかばい、その身を守る大きな体。
女性らしさをぬぐい去ろうと苦心してきたメルクだが、それでも彼女の身に宿る本能…言い換えれば女の勘は、如実に警鐘を響かせた。
コイツは、あんたの乞い慕い、心から求めるものを、いつか横からかっさらうかもしれないぞ、と。