常に湿った空気が漂う独房内は、光さえ朧で、陰鬱な薄闇に支配されていた。



しかし、重犯罪人としてこの独房において一生涯を過ごすゼブラにとって、そんなことは些末な事象に過ぎない。

彼にとって重要なのは、三度の食事と、それを供する料理人の存在だけだ。









沈黙の野獣












(お早うございます、今日はボクが下ごしらえしますよ)





早朝─刑務所の奥深くにあるこの独房では、朝の気配を辿ることすら不可能であるが、かの料理人の挨拶の声からゼブラはそれを知り得る。


しばし時を経て簡素な材料に工夫をこらし旨く調理された朝食が届き、貪る。






(そろそろお昼の時間でーす、配膳はOKですか?)






時間に追われながらも元気な溌剌とした声によって、己には見ることも叶わぬ太陽が、南天に達したことを知り。


時をほぼ同じくして、やはり質素ながらも美味な昼食が届き、貪る。








(さぁ、今日の仕事仕舞いはもうすぐてすよ、皆さん頑張って)



夕方を知らせるその声は、いつもゼブラを陰鬱かつ苛立たしい気分にさせる。

その後届く、美味い晩餐が終わりしばし立つと、ゼブラに時を告げる料理人の声は届かなくなるからだ。


料理人は、この刑務所に通いで来ているようなので。



さすがの超人的なその耳も、特別製の独房内からでは、建物の外の音までは拾えない。


(今日は上がっていいですよ、残りはボクが洗っておきます)



料理人は働き者な性質らしく、厨房を束ねる責任者としての立場も手伝ってか、朝から晩にかけて人の分までよく働く。


(…来週は…豚ひき肉入るんだったな…スープの具材と、あとは…)



ぶつぶつつぶやく独り言すら余さず聞き取りながら、ゼブラは固い寝床に背中を預けて床に胡座をかいていた。


料理人の声が消えた時、その時こそがゼブラにとっての真の闇夜だ。


それまでは、ゼブラは眠ることを知らない。




(あ、…─さん!迎えに来てくれたんですか!?)


ふと、今までとは違う色の声を聞き取り、ゼブラの大きく裂けた口元が歪にゆがんだ。


料理人が呼ぶ人の名の中で、他の誰よりも情愛を込めた声で呼ぶ人間だ。



だが、ゼブラはその人間の名前はおろか、声すら知らなかった。


ゼブラにとって必要のない情報だからだ。

故に、聞き取ろうと耳をすますことすらしない。


迎えに来たという相手に名を呼ばれたのだろう。


料理人の、嬉しげな
─まるで先ほど出た夕食のシチューのような─
とろりとした声が、ささやかな笑いを含んで相手の名を呼んだ。


(ボクも…─ですよ…─さん)


しかしやはりゼブラには聞こえなかった。





そもそもゼブラは料理人の顔も知らなければ、名前も正直どうでもいい。


そうとくれば、それ以外の人間の声や名前など、冷たく湿った独房の、壁の染みほどの興味もない。








なにせ彼にとって重要なのは、三度の食事と、それを供する料理人の存在だけなものなので。









しかしそれにしては

何故にあのシチューのような声が

こうまで己をかき乱すのか?










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