初めてヤツを見たのは
フグ鯨のハントに向かう電車内でのことだった。


アイツが話しかけてきた言葉は
一言一句余さずよく覚えている。


なにせやたらと嫌な匂いを撒き散らす
不快なヤツだと思ったもので。



















ガタン、ゴトン。
ガタタ、ゴトン。

心地よい列車の振動に身をまかせながら
その男が車窓に目をやると
外には一面険しい崖肌が広がっていた。


急峻な山間を行く列車の中で飲む一杯は格別だと言わんばかりに、
相当に高い度数の酒を一息に飲み干した彼の名は
美食屋・トリコ。


美食屋四天王の一角を担う彼の旅の目的は、
10年に一度しか現れないという、幻の鯨―フグ鯨―だ。

目的を同じくした強面達がひしめく列車内にあって
威風堂々として一際目を引く。


そんなトリコに、物怖じした様子もなく
あっさりと声をかけてきた者があった。


「あの、すいません。不躾なお願いで恐縮なんですが…」


恐縮しているにしてはやたらとハキハキした大きな声に、
トリコが目をやると。



少年のような見目をした、小柄な男が
曖昧な笑いを浮かべて立っていた。

トリコにとって
―ひどく不快だと感じる―
嫌な匂いを、プンプンと撒き散らしながら。











シェフ・プヘフグレヌ
〜トリコの場合〜












人間に限らず、有性生殖を行う一般的な動物の多くは
同性間の匂いを好まない。

主にオスに強く現れるその特徴は
つまり自らの子孫を残す為の競争意識がもたらす本能的な衝動だろう。

メスの体内に他のオスの遺伝子情報
―有り体にいえば精子―
が入り込んでいる場合、そのメスに対して行う生殖行動は全くの無意味となるからだ。

誰から種を得ようと
とにかく孕みさえすれば間違いなく己の遺伝子を後世に繋げられるメスと違い
オスは常に競争原理の追い風を受けている。

同性の匂い=敵
つまり不快な匂い―という定義が、容易につけられるだろう。


…と、いったような事を
つらつらと考えながら、トリコは人より数段―
いや、数万段高い嗅覚でその
“不快な匂い”
を嗅ぎ付けていた。

それというのも、唐突に話しかけてきた小男。

意識して嗅ぎ分けるまでもなく
その小男からは彼自身ではない
『オスの匂い』
がぷんぷんと漂ってきていたのだ。

先ほどからなにがしかを必死に訴えてきている大きめな口。

その口元を、白けた目線で眺める。


(くせぇ大口開くんじゃねぇよ
淫売くん)


ちょっとやそっとの接触で、
ここまで匂うことはあるまい。

躰の芯、胃の奥までこびりつくオスの精の匂いは、
“定期的に体内に取り込み”でもしていないと説明がつかない。


「…あ、あの?」


返事をしないこちらに訝った様子の
“淫売君”
に、トリコはお愛想程度の笑顔を向けてやった。

「悪ぃ悪ぃ。酒わけてくれってんだよな?
いいよ、持っていきな」

「うわぁ、本当ですか?
ありがとうございます〜!」

満面の笑みで喜ぶ男は、酒豪の同行者の為に車内で酒を探していたらしい。

車内販売の酒は軒並みトリコが買い占めてしまっていたので、分けることには何の躊躇も感じなかった。


「助かります!
あの、お金払いますんで…」


「ん?いや、金はいいよ」


律儀な申し出を軽く断り、大きな片手を振って見せた。

もう話は終わりだという合図のつもりだ。
いい加減、その小さな背丈の男が発する不快な
“ブレンド臭”
を遠ざけたかった。

それが趣味であれ商売であれ、男同士での性的行為に対する嫌悪感はトリコにはあまりない。

しかもそれが他人のことならばなおさらだ。
嫌悪はおろか興味すらない。だが、ことグルメ関係となると話は別だ。

男からしたのは、他のオスの匂いだけではなかった。

野草、スパイス、油の匂い…
決して高級ではないが、なかなか面白い組み合わせを思わせる、
かすかな食材らの匂い。


(恐らくは腕のある料理人…)


美食屋という生業のトリコからすれば、
只でさえ気分の悪い幾多のオスの欲望の匂いが
腕のある料理人からするというのは、到底耐え難い不快以外のなにものでもなかったのだ。


「おい小松ゥゥ!」
「ゾンゲ様!」


まだ何かこちらに言いたそうにしていた料理人と思われるその男は、
車両奥から現れた何者かに呼ばれ、何度も頭を下げながら立ち去っていった。

「おっ!酒を見つけてきたのかよ」

「はい、親切な方にわけて頂いて…」


やかましい大声でのやり取りが、別車両へ消えていったのを確認し
トリコは残った酒に手をやった。

あぁ、臭かった。

フグ鯨ハントに向けて高揚していた気分も、少々萎えてしまった。

不快な出来事や人物のことは、早々に忘れるのが信条のトリコではあったが、何故か先ほどの淫売コックの顔が脳裏から離れない。

やかましい大声、
整っているとは言いがたいが愛嬌のある大きな目と鼻が印象的な…
確か連れの原始人みたいな男から
「小松」
と呼ばれていたっけか。




(淫売コック小松くん、ね)




まあ、もう会うこともないだろうけど。





列車は一路グルメフォーチュンを目指している。



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