/終わりは始まり
明治か大正くらい。


「申し訳ございませぬ」

深々と頭を下げ詫びるのは、つい先程まで恋人だった女。あれだけ互いの気持ちを交わしていたのに、突然余所余所しく思えて無性に虚しくなった。

「伊達家との婚儀が正式に決まりました」
「いつ頃か」
「梅雨明けには、もう」

引き留める方が可笑しいのだ。
他人の目からすれば、自分がやっているのは最低な事でしかないから。


「早いものだな」
「ええ……貴殿とはこれで、最後になるでしょうし」
「奴は好かぬが、婚約者である以上はな。幸村、」
「はい?」

達者に暮らせと、ただ一言かけるだけ。それなのに、思った通りに口が動かなかった。

骨の奥で、享受するなと疼いている。



それから、散らかった部屋を綺麗にするのに何時間も要した。
未練とは人を此ほどまでに狂わせる。窓を見やると外は大雨で、遠雷の音が聞こえたような気がした。



/か弱きを求む
年齢差ネタR18


私の父はとても厳しかった。
母によく似た私に剣を教え込んだ。まるでその影をかき消すかのように。
豊臣に召し抱えられた頃、手をひいて歩いてくれる母親代わりの女性がいた。私は忘れてしまっていた子供の心を取り戻した。栗色の長い髪に、紅葉色の打掛を纏ったきれいな母。太陽みたいに明るくて、沈んでいた心を癒やす。

小さな離れの縁側で独りきり座っていた所を見つけた。とうに滅んだ国の家臣の娘だったらしく、人質として長い間過ごしていたようだ。冷遇を受けている事も承知で、私は何度も通い続けた。

心の中で母上と何度も呼んだ。口にする事はなかったけれど、それでも母は幸せそうに笑っていた。
けれどその幸せも長くは持たなかった。




私が元服を迎えたその日の夜、茶をとくよう命令を受けた母は寝所に訪れた。震える手つきで寝着の帯を解く姿は鮮明に覚えている。

なだらかな曲線を描いた女の肌が目の前に迫る。私を組み敷く母の目は涙に濡れているように見えた。

母はごめんなさいと呟くと、私から離れ寝所から消えた。夢のような出来事だった。むしろ、夢であればどんなに良かった事か。


翌日、母は自ら命を絶って死んだ。今は遠い記憶だが、つい昨日のようにも思えて、私は今更哀切に詰まった。


本当の名は、幸せと書くらしい。



/ため息は泡となる
家幸♀


僅かの灯がある地下牢から草履が擦れる音がした。
足音の主、家康は今いる場所にそぐわぬ落ち着いた面差しで奥へと歩みを進める。
関ヶ原は終焉を迎え、勝者である彼にとっては、この日の本に恐れるものなどありはしないだろう。

「幸村」
子をあやすような優しい声色で家康は座敷牢の奥に潜む人影に話しかけた。


敗北した西軍の配下、武田の将。真田幸村は、白地の着物を纏い鎮座していた。

長らく牢の中で生活していたせいだ、短かかった髪は伸びまるで姫君のような容貌へと変わっていた。しかし血色の悪い唇にややこけた頬からして、食事もとれていない様子だった。

幸村の目に光は宿っていない。何故なら、家康によって全てを奪われたからだ。


「報告だ。三成の処分が決まった」
三成。たったその名だけで、死んでいた筈の目に光が灯る。いつもそうだったと、家康は心の片隅で嫉妬した。



「斬首だ。

明後日三条川原にて執り行う」
「あのお方を斬ると、そう仰るのですか」
「何度も和睦を申し入れたが、それでもあいつは犠牲を出すことを選んだ。儂だってあいつを許してやりたかった、だがもう」
誰も許してはくれんのだ。
幸村は静かに俯くと、ぐっと裾を掴み、震える声でこう言った。


「それでも、某はあの方を、あの方の罪を許してあげたいのです」
「幸村」
「力を失い申したこの西軍に、もう戦を起こす力も余ってはおりませぬ。あの方を助ける代わり、この首、好きにして下さいませ」
目の前には跪く幸村の姿があった。乱れた髪が彼女の顔を隠す。かつて戦地で槍を奮い猛攻していた姿とは程遠い。

それでも、好いた女がまるでかしずくように頭を下げているのを、哀れに思わない筈がない。
家康の答えは決まっていた。





ある晩、家康は三成のいる牢獄に訪れた。鎖に繋がれていた三成はやはり殺意を隠そうとせず、家康をぎろりと睨み付ける。

「今更何の用だ……嘲りに来たか」
「いや、大事な話だ」
家康は持っていた蝋燭の灯りを後方へ照らす。


「ゆき、むら?」
浮かび上がったのは、紛れもない幸村の姿。今生誰も心を許す事はないと思われていた彼が唯一許した相手だった。

幸村は背中を向け、静かに帯を解き始める。着物が落ち、晒された背には


立葵に佇む観音の刺青



「三成、これをお前の命を救う代償とする」
「何の、つもりだ、貴様」
「敗将である幸村は、今から儂の室へと入って貰う。儂の所有物である以上、指一本でも触れると思うな」

幸村の腰を引き寄せ、家康は妖しげに笑ってみせた。




/お前なんか嫌いだ
幸♀←家+三(仲良し時代)
のちに三幸♀



「実は儂、好きな人がいるんだ」
神妙そうな顔をしてどんな悩みを抱いているのかと思えば。思わず目が瞬いた。もしかしたら丸くなっているかも知れない。それからすぐにどうでも良くなって、呆れただけだった。

「何だそれは」
思った事を口にすれば、家康は「その反応は無いだろう」と崩していた足を丸めて俯いてしまう。打ち明けるのを躊躇って置きながら別に大した内容でも無いと思うし、何しろ俺にとってはそれはあまり縁の無いものである。


「それで、何だ」
家康の顔は赤く、よくは分からないが打ち明けるのにかなり苦労した事は何となく理解した。せめて話は聞いてやろうと思い、続きを促す。

「…な、何って」
「貴様が好いている人間がどうしたと聞いてる」
「あ、待ってくれ。ちょっと頭の中で整理する……よし!三成、誰にも言うなよ」
「分かったからさっさと言え」



話によると、ずっと前から好きだった女に思いを打ち明けようとしているが、今のままの自分では好きな女と釣り合えないと考え踏み止まっているらしい。

「諦めようと思った時期もあったが…やっぱり好きなんだ。」
家康の表情は柔く、幸せに見えた。どのような人間なのか若干ながら興味を抱く。

「活発で、明るくて、太陽みたいな子でな」
「貴様も似たようなものだろう」
「なっ、それは違うぞ三成。
あの子はむしろ……陽だまりみたいに暖かくて、笑った時の顔がとても」



可愛いんだ







暗闇の中、瞼をそっと開けた。
少し前に戯れで解いた茶色の髪が、帳のように外界を覆っている。

「起こしましたか」
「……いや」

邂逅したあの日。
家康は表情にこそ出しはしなかったが、俺を捉える瞳の中に、ほんの僅かな憎しみを垣間見た気がした。その意味を今ようやく理解する事ができた。

すべてはゆめのおかげだ。


「このまま居たのか」
「ええ。ずっと、貴殿の寝顔を見ておりました」

家康。目の前でお前の言っていた女が、笑っている


「童のようなお顔をなされて、とても愛しゅう思いました」
「―――」
「子を持つ母の気持ちとは、この様なものなのでしょうね」




これが夢幻ではない限り、きっと俺は一思いにこの世を発つ事は出来ない。






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