なかったことにできるなら

 喫茶ポアロで働くイケメン店員こと安室透は、割と頻繁にシフトをドタキャンする。
 毛利小五郎氏の一番弟子として名乗りを上げた彼は、探偵業も忙しいらしい。

 ……と云うのは表向きで、ゼロのドタキャンの理由を把握している人々からすれば、トリプルフェイスというおよそ正気の沙汰ではない生活をするゼロの死因はきっと過労死になるんじゃないかとの総意。

 やむを得ない優先すべき事情があるにしろ、シフトに穴を開けている事は事実な訳で。捜査の一環とは言え、アルバイトとして雇用している喫茶ポアロに対してあまりに不誠実だ、とゼロが私とヒロに相談してきたのが先月のこと。

 そして三者と途中から合流した風見さんとの話し合いの結果、ヒロが臨時で働くという事に。

 上層と喫茶ポアロのマスターに話を通し、めでたくヒロもトリプルフェイスの称号を得たのであった。

 使う偽名は『翠川唯(みどりかわゆい)』。
 バイトを掛け持ちながら路上でギターを爪弾き夢を追うアラサーのバンドマンというなんとも形容し難い設定に、漏れなく全員の腹筋が鍛えられたが、よくよく考えたら安室透の設定も系統的には一緒だった。つらい。

 そしてまぁ、喫茶ポアロに安室とはまた毛色の違うイケメン店員が増えた事で客足は更に増え、元来面倒見と人当たりの良い性格のヒロの評判は老若男女問わず大好評。

 美男美女店員の居る喫茶店として、今日も今日とてポアロは大繁盛だった。

「聞いてくれよ、唯」
「おー、いいぞ」
「この前また幼馴染みあのバカが元カノに刺されたんだけどさ」
「またかあ。今年で何回目だ?」
「三回目。通算二十二回目」
「はは……もう笑うしかないなあ」
「ホントだよ。一時意識不明でICU行きになったんだぞ。さすがに肝が冷えた」
「ええ……大丈夫だったのか?」
「心配してお見舞いに行ったら看護師を口説いてる最中の現場を見た私の心情を述べよ」
「最低」
「正解」

 客足が落ち着き空席が大半になった昼下がり。ヒロはグラスを磨きつつ、私はカフェオレを飲み、そして隣に座るコナン少年はオレンジジュースのストローを胡乱げな表情でかじっている。

「ねぇ、尾峰さんの幼馴染みってどんな人なの」
「今の話の通りだよ」
「女性関係が最低ってことしかわかんないんだけど」
「それが全てだよ」

 私の返答に、遠い目をしたコナン少年はズコゴッとジュースを吸い込んだ。窓際に座っている女子達に呼ばれオーダーを取りに行ったヒロが、猫撫で声で質問攻めにあっているのをBGMにコナン少年が口を開く。

「ところでさぁ、尾峰さんって翠川さんと仲良いよね」
「まぁ、悪くはないな」
「安室さんのことは名字で呼ぶのに翠川さんは名前呼びだし。なんで?」
「文字数と発音のし易さかな」
「もじすうとはつおんのしやすさ」
「うん」
「尾峰さんてさ、変わった人だよね」
「よく言われる」

 少しぐったりして戻ってきたヒロにアイスコーヒーとレモンパイを2つずつ追加オーダーする。

「夏休みの宿題は終わったか?」
「うん。あとは読書感想文と自由研究くらいかな」
「懐かしいな……よくダメ出しされた」
「えっ、意外。どうして?」
「アイスコーヒーとレモンパイお待たせ。コナン君、それ多分聞かない方がいいやつだぞ」
「なんで? そう言われると絶対聞きたくなるんだけど。ねぇ尾峰さん、教えてよ」
「んー……一番ダメ出し食らったのはビリー・ミリガンの読書感想文と身近にいる節足動物の自由研究だな。頗る大不評だった」
「うわぁ……ホントに聞かなきゃよかった」
「だから言ったろー?」
「何でだ。頑張ったのに」
「尾峰の頑張りはベクトルが斜め上どころじゃないからなあ」
「意外性があると言って欲しいな」
「何だか想像できるよ……」

 コナン少年と一緒にレモンパイを頬張る。ヒロは先程の女子達に品物を届けに行って戻ってこない。

「尾峰さん、今日は随分ゆっくりしてるけど、お休みなの?」
「いや、夜から仕事だな。あぁ、そうだ。その前に警視庁寄らないと」
「えっ!? 警視庁? なんで!?」
「何でって……これを届けに」

 鞄から一枚のカードを取り出しコナン少年に手渡すと、彼は大きな瞳を更に大きく見開いて固まった。



【七星が揃って月光に歌う頃
 一縷の水の緒にて導かれし
 不可視の宿った奇跡の蛍を
 頂きに参上致します
        怪盗キッド
 P.S.虫籠に鍵は不必要
    清水のみで結構です】



「〜〜〜〜〜ッ!! 何でッ!! 尾峰さんがこんなの持ってるんだよッ!!」

 コナン少年の叫びが店内に響き渡る。

「こらコナンくん。お店の中で騒ぐのは感心しない」
「ッ、ご、ごめんなさい。でも、なんでキッドの予告状なんて持ってるの!? なんで尾峰さんに!?」
「おーコナン君、急に叫んでどうしたー? って、なんだそれかあ。また来たのか」
「そうなんだよ。暇なのかな?」
「また!? またってどういうこと!? そんなに頻繁に尾峰さんに予告状くるの!?」
「落ち着けコナン君」
「これで六回目かな。そろそろ取っ締めてやろうか」
「はぁ!? 待って、ねぇ。尾峰さんはこの暗号解けたの?」
「暗号というか私の個人情報だからな。迷惑な事この上無い」
「え、ちょっと、ねぇホントにどういうことなの?? ボク頭痛くなってきた」

 言いながら本当に頭を抱えたコナン少年を横目に、予告状を毎回わざわざ手渡しで貰っているとは教えない方がいいなとぼんやり考えた。


 * * *



 澪が提出した事件の報告書と始末書に目を通し、文字に起こされたあんまりな出来事に深くため息を吐きながら目頭を強く揉み込む。

 その様子に風見が心配そうな視線を遣すが、一方の本人はどこ吹く風で違う事件の調査書を作っている。

 ……事の端末はこうだ。

 珍しく有給申請と旅行届けの書類を実に微妙な顔をしながら俺に提出しに来た澪に理由を聞くと、幼馴染み(ミヤ)に旅行に行こうと誘われたらしい。

 最初は断ったが、誕生日だからと云う理由でゴリ押しされ、そのあまりのしつこさに澪が折れた。いつものパターンである。

 旅行先の月影島へと向かい、島を散策し旅館で夕食を摂り、その際幼馴染みあのバカによって酔わされた澪はピアノが弾きたいと散々駄々を捏ねた挙句、無理を通して島の公民館にあったピアノを借りたが音が悪いと自分で調律(雅曰く、技術がプロ)した際、その内部から大量の麻薬を発見。

 学生時代からこの幼馴染みペアの組み合わせは米花町も裸足で逃げ出すと評判だったのに、超現役の公安局の狂犬ゼロの捜査官と麻薬取締の駄犬マトリの捜査官へと無事立派にジョブチェンジした二人が揃っていた時点で、以後のことは最早お察しである。

 元来音楽や楽器が好きな澪が麻薬の密輸にその器を使われ、近年稀に見るほどに怒り狂ったのは言うまでもなく。

 犯人達の取調は実にスムーズだったとほかの捜査官がにっこりしていたが、島で犯人達に何があったのかを尋ねられた際に揃って過呼吸の症状が出たとの報告が上がっている。

 ……果たして休暇とは何だったのか? と云う疑問が他の捜査官の間でゲシュタルト崩壊したのは記憶に新しい。

 その際知り合った浅井成実とは、雅は医者として、澪はピアノ奏者として、お互いに仲良くやっているそうだ。

「……雨音。俺は報告書を書けとは言ったが、どう考えてもこれはフィクションだろう」
「私の休暇を何だと思ってるんだ。全部事実なんだが」
「それにしてもあまりに出来過ぎだろう。そもそもお前、酒で酔えたのか?」
「風見さん、降谷が疲れてるみたいだから寝かせませんか。物理的に」
「物騒過ぎるだろう……」

 会話に巻き込まれた風見ががっくりと肩を落とした。

「とりあえず、雨音と隼雀の組み合わせで旅行に行くのは今後一切却下だ。わかったな?」
「私ではなくミヤに言ってくれないかな……いつも旅行先を選ぶのはアイツだ」
「そう言えば、スキー場の事件も……」
「ウッ頭が」
「やめろ風見」

 ……うん、やはり旅行は絶対阻止しよう。




 そう心に誓ったのは、いつだったか。




 ガタンゴトン、と軽快な車輪の音が響く車内。

「……どうして、二人がここに居るんです?」
「いや、そんなこと言われても……なぁ?」
「これはマジで偶然なんだけど……なぁ?」

 ミステリートレインの中で遭遇した二人に、(バーボン)は強く目頭を押さえた。


 * * *


 そこそこに席の埋まった休日の喫茶ポアロに、一組の美男美女が来店した。

 対応した梓さんが、大興奮で厨房に居た僕安室透にその男女の特徴を伝えてくるが、思い浮かんだのは凶悪な異能を持つ怪物二人の顔だった。

 厨房から出て一瞬目を向けたテーブル席に座る二人はやはり、真朝(スピリタス)月夜(ロキ)。お冷とおしぼりをサーブしてきたらしい翠川(スコッチ) が、凄く複雑そうな顔で視線を遣す。

「……何でスピリタスがここに来るんだ?」
「あぁ……言ってませんでしたか?たまに来るんですよ。月夜さんを連れて来たのは初めてですが」
「月夜って向かいに座ってるあの美人? まさか、真朝スピリタスの彼女か?」
「翠川、あの子も男性ですよ」
「え、嘘だろ……」
「可愛い顔してますが滅茶苦茶口が悪いです」
「くちがわるい」
「えぇ」

 客席に背を向け誰にも聞かれないように小声で話していると、例の二人はオーダーが決まったのか、スピリタスがすみませーんと声を掛けた。

「……いらっしゃいませ、真朝さん、月夜さん。ご注文は?」
「ボク、コーヒーとサンドイッチ」
「オレ、紅茶とケーキセット」
「かしこまりました、少々お待ちください」

 カウンターの内側へ戻り準備をしながら店内を伺うと、二人は揃って携帯端末を弄りながら強そうな文房具について議論している。何だその会話。

 隣のテーブルに座っていた常連の女子高生グループが、チラチラと二人を見て頬を染めながらヒソヒソと何かを話している。そして、その中の一人がこっそりと二人にカメラを向けた。

 まずい、と思った瞬間、月夜が舌打ちをして女子高生グループを睨んだ。

「なぁ、人の事勝手に写真に撮るのはマナー違反だろ。やめろよ、クソうぜぇ」

 ……うん、相変わらず口が悪い。

 可愛らしい顔からは想像もできない言葉が発せられ、唖然とする店内。待て、ヒロ。お前までポカンとするな。気持ちはわかるが。

「はぁ!? 何言ってんの!? 自意識過剰じゃない!?」

 立ち直った女子が反論を試みる。つよい。

「あっそ。躾のなってねぇガキだな」
「その口の悪さで言われても、ぜんぜん説得力ないと思うよぉ」
「うるせぇよ、ほっとけ」
「はいはい。ごめんねぇ、でも写真撮るのはやめて欲しいなぁ?」

 にこりとスピリタスが笑みを向けると、彼女たちは顔を真っ赤にして俯いた。

「出た、必殺スマイル」
「はは……ガワは良いですからね」

 トレーに品物を乗せてサーブしに行くと、テーブルの中央に置いた携帯端末を覗き込みながら二人は何やら黙り込んでいる。

「お待たせしました……何してるんですか?」
「んー、ちょっとねぇ……お、きたきた」
「うげぇ、またオレだけ海外かよ」

 画面いっぱいに表示された数字の羅列…何かの暗号らしいそれを見ながら、月夜が顔を顰めた。

「NZかぁ。おみやげよろしくぅ」
「ブッサイクなぬいぐるみ買ってきてやるよ。クソでけぇやつ」
「うっわぁ、すごく要らない」

 けたけたと笑いながら注文の品を受け取ると、二人の会話はまた別の話題に移る。
 側から見たら、本当にどこにでもいる若者だ。後ろ暗い組織の中で生きているとは思えないほどに。

「安室、俺そろそろ上がるわ」
「ああ、お疲れさま」

 ヒロがバックヤードへと向かい、僕は空いた皿を下げにホールへと戻る。その間にも数組が退店していく。先程の女子高生グループと入れ違うように蘭さんと園子さん、コナン君がやって来た。

「いらっしゃいませー!」
「こんにちは! あれ、真朝さんだ!」
「嘘ウソ!? きゃー! ホントだ! こんにちは真朝さん!」

 目敏くスピリタスを見つけたコナン君の声に反応した園子さんが黄色い声を出す。それを聞いた月夜があからさまに嫌そうな顔をした。

「……誰」
「えっとねぇ、コナンくんと園子ちゃんと蘭ちゃんだねぇ。こんにちはー」
「キャッ、今日もイケメンですねお連れの方は? まさか、彼女!?」
「コイツはねぇ、月夜って言うんだぁ。あと男だよぉ」
「は!? え、ウソ!?」
「うるせぇな、嘘付いてどうすんだよ」
「ごめんねぇ、月夜は口が悪くてさぁ」
「い、いえ……あの、私鈴木園子って言います!」
「ふー……ん?もしかして鈴木財閥の娘か?」
「ええ、そうですけど……どこかでお会いしました?」
「あー……いや、会ってない。うん、知らん」

 これは絶対嘘だろうな。ほら、コナン君が興味深々で見ている。ちゃっかり隣のテーブルに座った三人に、梓さんが水とおしぼりを出す。

「ボク、江戸川コナン! ねぇねぇ、月夜さんも真朝さんと同じ会社の人?」
「あ? 会社?」
「……ほらぁ、ボク今ブラック企業戦士じゃん?」
「あー、そーいう……ふーん」
「ねぇ、同じなの?」
「ちげぇよ。でも似たようなモンか?」
「まぁ、確かにねぇ」
「へぇー、どんなお仕事なの?」
「さぁな」
「えぇー、ボク知りたぁい」
「ごめんねぇ、コナンくん。これ以上突くと月夜おこるから、やめたげてねぇ」
「……はぁい」

 うん、コナン君、その二人だけは絶対に怒らせないでくれないかな。

「すみません、いつも騒がしくしてしまって」
「別にいいよぉ、気にしないで、蘭ちゃん」
「いっつもなのかよ。オレは御免だね」
「す、すみません……」
「月夜、女の子には優しくしなきゃダメなんだよ? そんなんだからいっつも双葉に殴られるんだよ?」
「うるせぇ、黙れ」
「はいはい」

 のんびりと返事をするスピリタス。三人に品物をサーブしていると、ドアベルが鳴った。
一人の男性が入店し、梓さんが対応してカウンター席へと通す。それを月夜が目線だけで追い、小さな声でスピリタスに話しかけた。

「……エウレカ、エウレカ」
「あー……うん、そだね」
「どーすんだ?」
「ボクたちの管轄じゃないからなぁ……」
「あいつら何の役にも立たねぇじゃん」
「それなぁ。でも食べるかなぁ。どうだろ」
「無理矢理詰めときゃいいだろーがよ」
「戻されても面倒なんだよねぇ」
「クソかよ」

 吐き捨てるように呟くと、月夜はカップに残った紅茶を飲み干した。


 * * *


 ベルモットからパーティ潜入の任務の命が下され、もう一人と顔合わせ及び合流するために組織御用達のBARに呼び出された僕バーボンとスコッチは、カウンター席に座りながら部屋の中央のテーブルで繰り広げられている一戦の行方を見ていた。

 ガラスのチェスボードで黒の騎士ナイトを動かすジンに対し、強気に歩兵ポーンを進める少女。

 よく手入れされた濡羽色の長い髪、長い睫毛に縁取られた瞳は深い海の蒼。陶器のように色白な肌に紅く濡れた唇。派手にならない程度に化粧の乗った端正な顔立ちは、どこか作り物のよう。

 盤面は一見するとジンが押しているように見えていたが、少女が女王クイーンを動かした途端、ジンは防戦一方を強いられる。絶妙に配置されていた白の駒たちが、一気に黒い駒を刈り取って行く。ゆっくりと弧を描き勝負の行方を呟いた。

「……チェックメイト。相変わらず弱いわね、ジン。また今度遊びましょう?」
「チッ……」

 舌を打ったジンにウインクを投げる少女は、さて、と呟くと立ち上がり僕たちの前へと歩み寄る。

 黒地に繊細な黒の刺繍が施され、デコルテと袖がレースになった膝下丈のドレスワンピースに、踵部分が瞳と同じ青で彩られた黒のヒールを上品に揃えると、少女はまるで検分するかのように僕とスコッチを順番に眺めた。

 瞳の色と相まって、どこか冷たく凍った視線に、隣のスコッチが小さく息を飲む。この初めて見る少女は、一体どんな役割なのだろうか。

「ねぇ、ベル。どっちも連れてくの?」
「あら、そう言ったでしょう。アマレット」
「ふぅん。まぁ、よろしくね」

 興味なさげに呟くと、アマレットと呼ばれた少女はくるりと踵を返してジンの座るソファーの背もたれに両手をつくと、後ろ側から覗き込むようにジンに話しかけた。

「ジン、この仕事が終わったら、約束通りお休み貰うからね!」
「……フン、好きにしろ」

 さすがはネームド、臆面も無く言い放つものだから、大したものである。と思うのと同時に考える。探り屋バーボンの情報網でもアマレットと云うネームドの存在は感知していない。しかしベルモットとジンのやり取りから、新参者では無い様に思われる。

 この任務のついでに探れるだけ調べてやろうと内心意気込み、アマレットを連れてパーティ会場へと向かった。


 *


 アマレットをエスコートしながら会場の扉を潜る。少し先で給仕に扮したスコッチがターゲットの男に飲み物をサーブしているのが見えた。

「今回のターゲットはあの男だけど、あっちの──壁際に居る赤いドレスの女からも話を聞いた方がいいと思うわ」
「……随分と詳しいんですね。どこからその情報を?」
「あら、それを調べるのも貴方のお仕事でしょう? 探り屋さん」
「おや、ご存知でしたか」
「貴方結構有名よ? 見目が良いからベルのお気に入りだって」
「お気に入り……ですか。複雑ですね」
「あと、スピリタスの保護者なんでしょう? 可哀想に」
「あぁ、彼については……え、保護者?」

 誰が? 僕が? 彼の? 待て、そんなの初耳だぞ。

「あら、違うの?」
「保護者になった覚えはありませんが……あの問題児を御せられる人間は居ないのでは?」
「確かにそうね。怪物スピリタスを飼い慣らすのは骨が折れそうだわ」

 アマレットは少し考えるように瞳を細めると、ターゲットの男へと視線を向ける。

「さて……そろそろ薬が効く頃かしら。一旦ここで別れましょう?」
「わかりました。では僕は女性の方を」
「えぇ、気を付けてね。あの女、好みの男に薬を盛るから」

 恐ろしい情報を残して背を向けたアマレットに内心ため息を吐きながら、壁際に佇む毒華へと足を向けた。


 *


 スコッチから連絡を受け、パーティ会場の上階の一室に向かう。部屋に入ると、スコッチとアマレットがベッドに横たわり寝息を立てる男を見下ろして居た。

「……何か問題でも?」

 尋ねると、二人は顔を見合わせたあと、スコッチが口を開いた。

「この男……武器の横流しだけじゃなく組織に渡す筈の金をちょろまかしてたらしい」
「ハァ……ジンが激怒するやつですね。とりあえずコイツは連行するとして、横領の証拠も押さえなければ……」
「この男の会社の会計データなら持ってるけど?」

 アマレットが当然のように言うと、クラッチバッグの中から小さなポーチを取り出し、口紅型のUSBメモリをスコッチに渡した。

「……用意周到なんだな」
「貰ったのよ。優から」
「優……あぁ、小鳥遊ですか」
「えぇ、そう。私の仕事は情報を引き出すだけの約束だから、それは要らないわ。余計な仕事はしたくないの」
「……それなら、有り難く貰っておきます」
「そうしてくれると助かるわ。あぁ、そう言えば女の方はどうだったの?」
「お陰様で武器流出経路を上手に歌って頂きましたよ。このデータと併せて洗いざらい絞れそうです」
「ふふ、それは何よりだわ。さて、それじゃあ帰りましょう?疲れちゃったわ」

 *

 またBARへと戻ると、ジンの姿はなく、カウンターでベルモットがグラスを傾けて居た。

「あら、おかえりなさいアマレット」
「ただいま、ベル。ねぇ、早く二人に確認して? 私ちゃんとお仕事したのよ」
「そうなの? バーボン、スコッチ」
「えぇ、お陰様で手際良く終わりましたよ」
「そうだな。大したもんだ」
「ほらね、だからお願い! もうやめていい?」
「それはどうしようかしら……ふふ、ねぇ二人とも、本当にわからなかったの?」
「待ってベル! やめて、言わないで!」

 やめていい? わからなかった? 何を? と隣に目配せするがスコッチの方も、訳わからん、と目で訴えた。それを見たベルモットが、実に楽しそうに笑みを浮かべる。

「ふふ、ねぇ。この子、スピリタスよ?」

 アマレットの頬を手の甲でなぞりながら、勝ち誇ったように宣言した。

「「えっ」」
「もぉー! ベルモット! ボク言っちゃダメって言ったのにぃ!!」
「あ、ホントだ……スピリタスだ。マジか」
「ええ……スピリタス……アナタ、嘘でしょう……」
「なにさその目はー! ボクだってやりたくないよ! ベルモットがボクで遊ぶから!! もー!」

 地団駄を踏みながら頬を膨らませる姿は間違いなくスピリタスだ。化粧だけでこんなに変わるのか。

「……スピリタス、両眼が蒼いのはどうしてです?」
「あぁ、カラコンだよぉ」
「完全に騙された……何かくやしい……」
「良く出来てるでしょう? ふふ、また遊びましょう? スピリタス」
「うぇえ……絶対イヤぁ……」

 この世の終わりかと思う程に悲壮な声で呻きながら、スピリタスはがっくりと項垂れた。


 * * *


「あーれれぇ、こーんなとこでなーにしてんの?」
「おぉぅ、まじかぁ。生ルパンだぁ……」

 ちょっと野暮用があって、ヤのつく自由業の方々の事務所で一方的な家宅捜索をしていたら、真っ赤なジャケットが印象的な大泥棒がドアを開けた。

「可愛い顔して、この顔のこわーいオジサンたち全部やったの? うそぉ」

 床や机の上で伸びている自由業の方々を見て、大泥棒はわざとらしく驚いた顔をする。

「んー……さて、どうかなぁ。ナイショ」
「はっはー、なぁ、その赤と青のオッドアイ……もしかしてキミが噂のスピリタスか?」
「……どの噂かは知らないけど、ボクがスピリタスだよぉ」
「ほぉー! こいつぁ驚いた! こんなに可愛いお嬢ちゃんだとはなぁ!」

 おやぁ、初見で性別バレするのは流石に初めてだぞぉ? 世紀の大泥棒の鑑定眼を甘く見てたかな。首に掛けていたゴーグルを直して、手に持っていた宝石を掲げて見せる。

「大泥棒さんの狙いはこれかなぁ? でも残念、ボクの探し物もコレなんだよねぇ」
「ほぉー、なかなか肝が座ったお嬢ちゃんだ」

 懐から銃──ワルサーP38を取り出すと、ピタリと宝石を持つ左手に照準を合わせた。それに構わず不敵にニヤリと微笑んで見せると、大泥棒は躊躇いなくトリガーを引く。

「なぁるほど、噂通りって訳だ」
「……銃が効かないって? そだね、そんなオモチャ程度じゃぁ、ボクには傷すらつかないんだよねぇ」

 ピン、と右手の親指で乾薬莢を弾いて返すと、空中でそれを受け取った大泥棒が笑みを返す。

「面白いお嬢ちゃんだな。なぁ、オレと一緒に来ないか? 歓迎するぜぇ?」
「生憎だけど、ボクには先約があるんだよなぁ。あと、お嬢ちゃんって呼ぶのやめてくれない? 好きじゃないんだよねぇ」
「そりゃぁ悪かったなぁ。で、モノは相談なんだが、その宝石オレにくれない?」
「んー、どうしよっかなぁ……」

 虎視眈々と獲物を狙う大泥棒を挑発するように、大ぶりの宝石を蛍光灯に透かして眺める。

「じゃあ、ボクを捕まえてみな? 世紀の大泥棒さん。そしたら全部あげてもいいよぉ」

 そしてボクは身体の陰に隠していた右手を弾いた。


 *


 ……結果論から言うね。

 あんな事言わなきゃよかった。


「はぁ……ねぇ、暇なの?」
「おぅ、忙しいぜぇ? アンタを追っかけ回すのになぁ」

 組織の任務で向かった先で、最早見慣れた顔となった大泥棒にため息をつく。

「オジサンちょーっと疲れてきたから、そろそろ大人しく捕まってくれると助かるんだけどなぁー?」
「ボクより歳下のくせによく言うよぉ」
「マジぃ? どう見たって未成年でしょーよ」
「よく言われるぅ」

 左腰の刀に腕を預けながら肩を竦めると、大泥棒の背後の気配が色めいた。

「ボクも忙しいんだけどなぁ……」
「だったらとっとと捕まってくんなぁい? いっつもパッと消えちゃって、どーゆー手品なの? 手取り足取り、じぃーっくり教えて欲しいなぁ…?」
「あっは。悪いけど、ボクの食指はそんな軽薄な常套句じゃ動かないんだよなぁ」
「へぇー、言うじゃないの」

 大泥棒の背負う暗闇の向こうから、銀色の糸を引いて影が飛び出す。

「……ッ! この斬鉄剣を正面から受けるとは……お主、只者では無いな」
「はぁ……お褒めに預かりそりゃどーも?」

 薄く鯉口を切った抜身で受けた刃が、キチキチと悲鳴を上げる。InChI=1/BN/c1-2(ウルツァイト窒化ホウ素)で形成された半透明の刀身が僅かに欠けた。マジか。

 バックステップで距離を取ると、剣士──石川五右衛門が、すらりと斬鉄剣を正面に構えた。

「……いざ、尋常に」
「えぇ、やだよぉ。ボクおしごと中なのにぃ!」

 やだぁ! と素早く刀身を納め腕を組みそっぽを向くと、出鼻を挫かれた五右衛門は蹈鞴を踏んだ。

「なっ! 真っ向勝負を拒むとは、剣士の風上にも置けん……!」
「べぇっつにボク、剣士にジョブチェンジした覚えはありませんしぃ? 武器は等しく使い熟せますんでぇ、どーぞお気遣いなく!」

 じゃあね! と右手を弾く。

 はぁー、失敗した、と改めて口は災いの元だなぁと後悔した。


 *


「──と云う事があったんだよぉ」

 ノックバレしたライが抜けてお引越ししたバーボンとスコッチのセーフハウスで、バーボンが淹れてくれたコーヒーで唇を湿らせながら事の次第を説明すると、静かに話を聞いていた二人が呆れたように息を吐いた。

「……いつもの事ですが……スピリタス、これ以上問題を起こすのはやめてください。名目上保護者になっている僕バーボンの身にもなってくれませんか?いい加減自重を覚えてください」
「はは、相変わらずの問題児だよなあ」
「遺憾の意、遺憾の意だよぉ!」

 まぁ、少しは自分のせいかなぁとも思わないこともないけどさぁ。少しくらい味方してくれてもいいんだよ?ねぇ。何で目ぇ逸らすの。

「もう大人しくその宝石渡したらいいんじゃないのか?」
「やだよぉ。断固拒否!」
「『全部あげる』だなんて……無鉄砲にも程があります」
「それについてはぐうの音も出ない」

 ぐぬぬ、と俯くと、二人分のため息。

「それで、その宝石にどんな価値が? 物欲の無いあなたが出し渋るんです、何か理由があるんでしょう」
「バーボンって痛いところ突いてくるよね。……あの宝石さぁ、ちょっと言えない成分でできてんの。わかりやすく言うと、隕石を加工したやつ」
「えっ……放射能とか大丈夫なのか?」
「安全性に問題はないよぉ」
「……何故そんなものを回収しているんです」
「黙秘だねぇ」

 コーヒーを一口飲み込む。
 さて、諦めさせるにはどうしよっかなぁ。

 *

「……おやぁ。何で居るのかなぁ」
「それはコッチのセリフだぜ。黒の組織の幹部サマが、遥々海を渡ってこーんな辺境の国の鉱山に居るわーけ?」
「さぁー? 何でかなぁ。ところでボクお仕事したいからさぁ、泥棒さんにはお引き取り願いたいなぁ?」

 ヴェスパニア王国のある鉱山で、大泥棒と対峙する。この国の状況とかお城の宝石狙ってるとかコナンくんが居たとか色々ツッコミどころが満載だけど、今回のボクの案件には関係無いのでノータッチの姿勢だよねぇ。

「ホゥ、こんな所でどんな仕事だ?」
「それはナイショだよぉ、コナンくんのお父さん」
「何でそれを!? それに俺はお父さんじゃねぇ!!」
「知ってるぅ」
「そーれでぇー? そんな素敵なおべべ着て、どんな仕事なんだ?」
「ボクに銃効かないって言ってんのに、銃口向けるのやめてくんない? 脅しにもならないよ?」
「わかっちゃいるが、格好ぐらいつけさせてくれよ」
「うーん、キミたち居ると邪魔なんだよなぁ…おーい、ロキー? 聞いてるー?」

 ボクが呼ぶと、野鳥に変身して上を飛んでたロキが擬態を解いてボクと泥棒たちの間に着地する。

「おっとぉ!? どっから降ってきたんだ!? お仲間さんか……お揃いのお洋服なんか着ちゃって、かわいーじゃないのぉ」
「ロキ、ちょっと足止めしといてくれる?」
「聞こえてるっつーの。わかったからとっとと終わらせろ。早く帰りてぇんだよ」
「随分と口の悪ぅいお嬢ちゃんだなァ、っと!」
「うるせぇな、黙って狩られてろ!」

 地面を蹴ったロキが、泥棒たちに蹴り掛かると同時に乾いた銃声が立て続けに鉱山に響き渡る。やめてくんない? 人が来ちゃう。

「……ッ、コイツも銃が効かないのか!?」
「うっひょー、バケモノのツレもバケモノたぁ、驚きだぜぇ!」
「っしゃ、バケモノが見たけりゃ目ぇかっぽじってよぉく見やがれ!」

 ズァ! とロキが禍々しい巨獣に『変身』した。今日はベヒーモスな気分なんだねぇ。泥棒たちが揃って顔を硬らせているのを見たロキが、嬉しそうに咆哮した。だからうるさいってば。

「もー、ロキ! 人来ちゃうじゃん!」
「オイ、ルパン。ここは一旦引こうぜ?勝てる気がしねぇ」
「おー次元、ちょーどオレ様もそー思ってたとこ! じゃあなっ!」

 ボフン! と煙幕を焚いて逃走した泥棒たちを確認すると、ロキは一瞬で人間に戻る。

「あ、オレ男だって言うの忘れた」
「ありゃぁ、珍しいねぇ。そんなことより、さっさと終わらせますかぁ」
「だからさっきからそう言ってんだろ、タナトス」

 両手を地面につけて、俗に『ヴェスパニア鉱石』と呼ばれる鉱物の特性情報の解体を始める。範囲が広いから少し時間が掛かったけどね、まぁ仕方ない。騒ぎを聞きつけやってきた鉱山警備の人たちは、ボクたちの姿を認識する暇さえ与えられることなく全部ロキが処理してくれた。





 特性解体しながら思ったんだけど、最初からこうしたらよかったね?

 ヴェスパニア王国から日本まで最短ルートで帰るロキと別れて、ボクはちょっと寄り道してルパン一味のアジトへと向かった。

「おじゃまするよぉ。へぇ、おもしろい部屋だねぇ」

 瞬時に臨戦態勢を取った泥棒たちを無視して、胸元から事の元凶になった宝石を取り出す。

「ッ、全く気配が無かった……不覚ッ!」
「瞬間移動っつーの? 羨ましいわぁー」
「うーん、ノーコメントかなぁ。もうめんどくさいからこれあげるよぉ。だからもうストーカーするのやめてね?」

 ぽいとルパンに向けて宝石を投げると、空中で受け取った彼は、明かりに透かして宝石を眺めた。

「……ヴェスパニア鉱石といい、この宝石といい……どうもアンタの能力は『無かった』事にするモンらしいなぁ?」
「さぁ、どうだろうね? そうだなぁ、じゃあ……次に会ったら、キミたちも『無かった』コトにしてあげようかなぁ?」

 渾身の殺気を乗せてうっそりと微笑めば、ルパン一味は揃って顔色を悪くした。




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