novel | ナノ






「…ぃゃ…」

か細くもはっきりとした拒絶の声に、ウィルバーは聞こえぬようため息をついた。

目の前には真っ赤な顔で震えながら、可能な限りウィルバーから距離を取ろうとベッドの端に寄って縮こまる日野てつこ。

「お願いですから」

懇願してみるも、小さく、それでもやはりはっきりと首を振る少女に、ウィルバーは今度は大きく息を吐いた。
それに僅か身動ぎした少女から、自分の手に視線を移す。

そこにあるのは白い錠剤。

それを見つめて、さてどうしたものかと眉根を寄せた。



話は至極単純だ。てつこが風邪を引いた。だから看病についた。そして解熱剤を飲ませようとしている。ただそれだけ、実に簡単な話。

ただ、相手が全く了承の意を示してくれない。

いや、やだ、だめ、やめて、知らない、聞こえない、聞きたくない、触らないで、近寄らないで、あっち行って、出ていって。
困ったことに、一体私が何をしたと叫びたくなる言葉ばかりを口にする。口にして欲しいのは錠剤一錠なのに。用法用量を守って服用して欲しいだけなのに。

──なんだってそんな目を向けるのだ。

キッと睨んでくる目には正直見慣れた──それでも綺麗だと見とれてしまうときもある──が、なんの他意もなくただただてつこの身を案じているだけなのに、否定の言葉と共にされれば感受性が豊か(過ぎ)なウィルバーの顔は歪むというもの。

「…お嬢さん」

苦しげにさえ聞こえる呼びかけに、一瞬ぴくりと肩を震わせたものの、その赤い唇はやはり“いや”の二文字をかたどった。ひたすら繰り返されるNO。

今度こそ、ウィルバーの瞳に怒りが宿った。

ウィルバーが眉尻を吊り上げた理由はてつこが彼を気に入らないから、ではない。
ただただウィルバーを気に入らないといういっそ下らないその一点の事実で看病を受け付けないことが許せないのだ。
自分の体をなんだと思っている、もっと自分を大切にしろ、というわけだ。

また、てつこ自身「ウィルバーが嫌い」というより最早ただの意地になって拒んでいるのがウィルバーには手に取るように分かって、やはり下らない、と腹が立ったのだ。
たまたま一番始めにてつこの体調不良に気づいたのがウィルバーだっただけで、なぜそうも頑なになるのか。

きつくなったウィルバーの視線に、てつこは唇を噛みしめた。



少女は朝起きてすぐ体温の高さと回る視界に自分の状態を知った。
しかし、熱があることを誰にも感づかれたくはなく、そして自分ならばきっと隠し通せると思って平然と廊下に出た。
だがウィルバーと出会った瞬間ベッドに戻された。おはようの“お”の字を言う前に「いけませんよ」と。

悟られない自信があったし、よしんば気づかれるとすれば肉親の兄だけだろうと踏んでいた。
なのにまごうことなく赤の他人であり日頃から“しょうもない”というレッテルを貼っていたウィルバーに瞬時に見抜かれたことがてつこを動揺させた。

そして、高熱に判断力の鈍った頭はこう結論を出した。
悔しい、と。
元来負けず嫌いな少女の、熱がすっかり回ってすっかり回らなくなった頭はウィルバーの言うことを絶対に聞いてなるものかと、その一つしか考えられなくなった。

だから口にするのだ。いや、と。

「飲まないと辛いのはあなたですよ」
「いや…」

は、と荒い息で答える様子にほらまた熱が上がったではないかとウィルバーはいよいよ苛立つ。
少女が辛いとウィルバーは言い知れぬ苦しみを味わうのだ。だから早く治ってほしいのに。

日野兄が仕事なのが悔やまれる。
部下を買い物に出したのが悔やまれる。
隣の双子が学校に行っているのが悔やまれる。

──彼女に拒否される己が悔やまれる。

思わず震える指先でなんとか摘まんだ錠剤を差し出す。

「─…いいから口をお開けなさい」

知らずきつくなる口調に、ああ私は紳士なのにと思いながらも止められない。

「いい加減になさい」
「…………のよ…」
「─…?」
「…んであんたなのよっ」

微かに涙を滲ませて、それでも声を張り上げる。


なんでよりによってあんたなのよ。
──あんたなんか大嫌いなのに。
なんでよりによってあんたなの。


そう少女の瞳が告げたとき、何かが切れた。
堪忍袋の緒と日本では表現するのだと後でウィルバーは知ったが、果たしてそれが本当に堪忍袋の緒だったかは分からない。

「きゃ──!?」

力の入らない体をベッドに倒して、口を塞ぐ。
少女の腕を掴んだ瞬間に自分の口内に放り込んでいた錠剤を無理やり舌で捩じ込んだ。目を見開いて驚きを表す少女を無視して、唾液を送り込み、錠剤を喉奥へ押し込む。
苦しさに今度はきつく閉じられた瞼を一瞥して、熱い内部をかき回す。
呻きと共に唾液と錠剤を飲み込んだのを確認して、それでもウィルバーはてつこから離れなかった。
解放するものかと華奢な体を抱き込んで呼吸すら奪い尽くす。

「…ぁ…んんっ、ゃ、らあっあ──は、」


少女が完全に上がりきった熱でふっと眠りに落ちた頃、ようやっとウィルバーは体を起こした。

そうして、手袋に覆われた手で目を覆った。
ああやってしまったと。

布地の眩しいまでの白さが自分を責めているような気がした。その白さに言い訳めいた言を吐く。

「─…私は、早く良くなって欲しかっただけなのですよ」

薬が効き始めたのか今は静かに寝息を立てる少女を一度見やってから、気まずそうに目を逸らした。







(こっちだって薬が欲しい)
(君にしか治せない病だけれど)







2010/07/04