シャリシャリ
音がする
目の前でだんだんと裸にされてゆく果実
どっちがいいですかと聞かれてどっちもと答えたら欲張りっスねと笑われた
なんとも器用に手際よく軽やかに、いっそ優美なまでにナイフがきらめく
もしかして兄貴より上手いんじゃないかしらとじっと見つめていたら困ったように笑われた
──今日はなんだかよく笑う
「なんで、そんなにじょうず、なの?」
じっとナイフの刃を吸い寄せられるかのように見つめたまま、投げかける
するすると螺旋を描くかのように皮を剥かれて白い果肉をさらけ出されていくのは梨
ナイフは徐々に果汁にまみれて、不思議な光彩を放つ
「──商売道具、だったんで」
動きは全く変わらず、まるでフォルトマーレンを表記されてでもいるかのように一定のリズム
ただ声だけが、単調なそれが微かに狂い、一拍置いてまぁいいじゃないスかと元に戻る
商売道具、そういえば今はしていないけれど常に指先が露出したグローブ、なんだっけ指抜きだとか半指というのだったかしら、それをしている
あれはナイフを扱いやすいように、なのかしら
確かにあのよくわからない上司と違って部下であるこのひとは強い
そこいらの人間ではこのひとにかすり傷すら与えられないのに違いない
底が見えないからどれほどの強さなのかはわからないけれど、少なくともあたしよりは強い
普段は兄と同じくらい穏やかなこのひとは強さなんてものの片鱗すら見せないけれど
でも、たまになんと形容すればわからないような空気を纏う
ひとりでいるときだとか、一瞬だけしか見せないとかだから、気づくのはあたしだけ、だけれど
ふとしたときに遠くを見る瞳には、怪しい光が、どこか人を底冷えさせるような色があって、だというのに不安を促進するその光にいつも魅せられてしまう
引き寄せられて、微動だにできずに、呼吸すらままならなくなったときに彼はパッとこちらを見るのだ
そうして、どうしました、と穏やかに笑う
──なんでもないスよ
そんな言葉を言われたような、だから何も言うなと言われたような
ちら、と目線を上げると、婉然と笑われた
「ほら、こっちはもう終わりっスよ」
終了だと柔らかな声が指すのは梨なのか、それとも話題なのか
剥き出しにされた梨に、一回二回三回、ナイフが無遠慮に入れられる
食べやすい大きさにされた梨は綺麗に皿に盛り付けられて、男は指についた果汁を舐め取った
ゾクリ、と背筋に快感が走る
赤い舌が蠢いて、たらりと伝う果汁を追う
息を飲んで目を引き離すと、かちりとかち合う視線
そこにあったのは、あのめ
身体が震えたのが、わかった
何か言いたくて、でも何を言えばいいのかわからなくて、ふっと息をついて諦めて口を閉じようとした
そのとき男の口元から先の梨のように剥き出しの指が離れて、ひとかけらを摘まんだ
そのまま薄く開いたあたしの唇に軽く押しつける
彼を見返すと真意が見えない笑みを浮かべられて、あたしはまばたきをして戸惑いと疑問を表すけれど
湛えた笑みは全く変化しなくて、だから黙って咥内にかけらを招き入れた
すると咀嚼しようと閉じた口唇をつ…となぞられて、また肌が粟立った
じ、と見つめる瞳はほの暗い
まるで吸い込まれそうなそれはあたしを誘う
どこになのか、なにになのかはわからないけれど
ひどく蠱惑的で目眩がする
誘われたあたしは耳鳴りがして、目の前がぼやけて、身体を支えられなくなる
それほどこのひとに魅せられている
でもきっといっちゃだめ
未だ残る指先の水気を唇に塗りつけるかのようにまた這わせられて思わず声が漏れそうになったとき、再度笑われた
「どうします?」
こっちは、と 空いていた右手が弄ぶように林檎を持つ
左手はまだ、あたしの顎に添えられて、時折軽くとんとんと指先が下唇を叩く
どうしますか、と
どうしようかしら、と男の右手のひらで跳ねる紅を目の端で捉えて、震える両手を握りしめた
目を閉じて一度深呼吸すると、なぜだか唐突に悔しくなったから少しだけ舌を出して、男の甘い指先をちょっとだけ舐めて、それから軽く歯を立ててやった
「──いらない」
へぇ、と少しだけ瞠目して、次いで眉尻が下がる
──本当に今日はよく笑う
「─…それがいいっスよ」 「言っとくけど、食べないわけじゃないわよ」 「…ありゃ、そうなんスか」 「──そっちは、うさぎさんにして」
だから剥き出しにしてさらけ出したりなんてしなくていいわ
そう続けると今度は優しく微笑まれた
嬉しそうに目元と口元を綻ばせたひとは、再びその手にナイフを取った
「──そうスか」
はい、あーんして (ありがとう、と言われた気がした)
2010/05/19 |