novel | ナノ






今日、姉貴は部長会、宇佐美は図書委員の当番、ほかの友人たちも部活やら補習やらで、珍しく帰りが一人だと聞いたから、ならおれがと思っててつこを迎えにきた






放課後の誰もいない教室のドアを開けると、日直だからと掃除の行き届かない場所を綺麗にしようと奮闘するてつこがいた



「…─楽しいか?」
「ん…あたしは別に。兄貴はこういうの好きだけど」



ならんなのほっときゃいいじゃねえかとおれは思うが、なんのかんの言いながら真面目できれい好きなのは兄弟と同じてつこはそうは思えないようだ


まるで手伝う気のないおれをとがめる様子はない

てつこのそういう価値観だとかこだわりだとかを人に求めないところは好ましいと思う──もっとも、おれにてつこの嫌いな部分なんてないわけだが



そうやって、おれが机に凭れて傍観する前で、教壇の中の整頓まで始めたてつこはてきぱきと動く


揺れるそのツインテールを眺めながら、ふと思った



おれがこいつに好意をいだいて、もう8年になるのだ、と


おれが明確に言葉にしなかったせいもあるだろうが、恐ろしく鈍いこいつは一向におれの想いに気づかず、無為に時間は過ぎて今に至る



──8年



数字と記憶を脳内でなぞる

呼び起こされた今までの数えられないほどの苦難に、知らず眉根が寄った


年相応に性欲もあるおれが俺自身を抑えるのにどれほど苦労したのか、しているのか、目の前のこいつは全く知らないのだ

知るよしもないのだ

理不尽かもしれないが、おれはその事実が無性に腹立たしかったりする


だってそうじゃねえか

おれはこんなにもてつこが欲しくて欲しくて仕方なくて、それに苦しんですらいるというのに、こいつはそんなことを一切関知せず日々を平穏に過ごしている



…そんなの、不公平だ



そんなことをつらつら考えているうちに本格的に苛立ってきたおれの前で、しゃがんでいたてつこが、



「─…と、終わり! お待たせさくら」



口元だけで笑ってみせながらパッと立ち上がった


──弾みで、スカートの裾がふわりと揺れる

覗いた膝頭に、妙に胸がざわついた



つと頭をもたげたのは、そういった欲求



「──てつこ」
「なに?」
「そのまま、そこに立ってろ」
「? なん、で」
「いいから」



遮るように言えば、不可解な顔をしながらも言う通りに教壇の横に立った


律儀にも姿勢を正すてつこのスッと伸ばされた首に目をやる

細く、白い


じっと見つめて、想像する


舌を這わせたら、どんな味がするだろうか──きっと極上の菓子のような甘さを持っているのに違いない

そしてそこに、痕を残すように吸い付いたら、同じくらい甘い声が上がるのだろう

歯を立ててやったとしたら、吐くのは抵抗の言葉か
…それとも、享受、だったりするのだろうか

もう一度だけうっとりと目をやってから、視線をゆっくりと落とす

すぐさま水がたまるのではという鎖骨に行き当たる

窪んだそこを、なぞってみたい、と思った
指で、舌で、丁寧に

指先で触れるように視線をねっとりと這わせ、上がる声を思い浮かべながら更に目線を下にやれば、スカーフが飾る胸元に辿り着いた

なだらかに盛り上がった部分をじっくりと眺める


そういえば姉貴とオリガさんが、着痩せして小さく見えるだけだの触り心地がいいだのと言っていた

─…ついでに言えば反応もいいんだとか


指一本触れられないおれの前で嬉々としててつこにじゃれつく二人に舌打ちするのがおれの常なわけだが、得られた情報はありがたいと言えなくもない

…まぁ余計に持て余したりもするのだが


白いセーラー服に守られたその膨らみに目をやりながら、それを包む布地は何色だろうか、などと考える

てつこの性格を鑑みるなら、白辺りか

けれどもてつこが好んで着る服の色を思えば黒や紫もあり得ないでもない

─…紫、か、…エロイな

そういうはっきりした色は、てつこの透き通るように白い肌によく映えるのに違いない

首から肩に手を這わせて、余さず暴いてやりたい

防御するそれを取り去ってやれば、その白皙はみるみる桃色に染まっていくのだろう

なんて、うまそうな

その光景と柔らかな感触は、きっと世の中のどんなものよりおれを満たしてくれる

白いまろみを手のひらで捏ね回して、先端を摘まんで、ねぶりたい

嫌だと泣くてつこの声を聞きながら顔をうずめたい


僅かに喉が鳴ったのを自覚しながら更に目は下にいく


と、てつこが声を出した



「─…ね、え、さくら…?」



黙りこくってガン見されりゃ当然だが、不審に思ったのか身動ぎする

動きにしたがって脇腹がほんの一部、刹那の間ちらりと覗いた



──折れそうにくびれた腰

を、鷲掴みして打ち付けてやりたいなどとおれが思っているとは夢にも思わないだろう



「っさくら! ねえってば! いったい、なんなのよ…?」



沈黙したままのおれに怯えたせいで震える呼び掛けを無視して、身体の線を辿り続ける


そうして、長く綺麗な脚に釘付けになった

晒されているのは膝から下だけ、という特にどうということもない部分

なのに、自然と目がいく



──惚れた欲目とかではなく、てつこは男の目を引くものをいくつも持っている、と思う

容姿はもちろんのことだが、ふとした時の目線のやり方とか不意に見せる表情だとか


そういった男の劣情を掻き立てる仕草をなんの他意もなくやってのける

時代が時代なら傾国の美女とか言われていたかもしれないとおれは半ば本気で思う



「さくらってばっ! ね…っなんなの…!?」



その何から何までを一向に自覚せず、誰かれ構わず無防備にそれらを晒し振り撒く、こいつが悪いのだ

おれの視線から身を守るように両腕で自分自身を抱き込むてつこの脚に留めていた目線を、見開かれた目に絡めた


瞬間、てつこがひゅっと息を飲んだ

そして、ストン、と落ちる身体



「ぇ…?」



訳が分からないといった顔で力の抜けた身体を見下ろして、胸元に手をやりながら震えて、焦ったようにまばたきを数回

──それがまた煽るのだが、てつこが気づくわけもない


悟られぬよう喉奥でくっと笑って、へたり込むてつこに近づいた



「大丈夫か?」
「へ、…ぁ……うん、」



おれに一体何をされていたのか恐らく本能的には感付いていたであろうてつこは、それでも表層でまで理解するには至らない

まだそういう面では幼く、無知なのだ

男がどういう生き物であるかなんて考えたことすらないに違いないのだ

その証拠に、



「ほら」
「ご、ごめん」



手を差し出せば、警戒することなくその手を取る

たった今まで感じていた、てつこにしてみれば正体不明の恐怖だったろう感覚なぞすでに“気のせい”であると処理されて、もう安心しておれの手を取る


無防備なのも無邪気なのも無垢なのも無知なのも、行き過ぎれば罪以外の何物でもない

周囲にとんでもない被害を与えるのだから、そのツケを少しは払って然るべきじゃないか

なんて下らないことを思考しながら、細い指先を握った



見下ろすおれをすまなそうに見上げてくる心持ち潤んで見える瞳に、当然のようにある思いが沸き上がった

無邪気さが可愛くもあるが、せっかくてつこが初めてそっちのものに反応を見せたのだ

ここでそのまま終わるのは、もったいない、と


すっかり動揺とか怯えとか負の感情を捨て去ったてつこの右手を引っ張り、左手で支えながら華奢な身体を抱き起こす


掴んだ小さな手を離す直前に

その甲を人差し指の腹で、スルリ、と撫でた

もちろん、そういった意味での行動

もしかするとてつこには伝わらないかもしれないが、どちらにせよおれは愉快だからいい

そう考えながら撫でた瞬間、バッとものすごい勢いで振り払われた



「────ッ!?」



─…ああ、通じたのだ


そうか、おまえもさすがにそこまで馬鹿じゃなかったか

相変わらずはっきりとは分からないにしろ、何か感じるものがあったんだろう?

そうだろてつこ?

おれに“男”を見たんだろう?



思わず口角が上がりそうになるのをこらえて、何事もなかったように、先の触れ合いはたまたま偶然だったのだという風に装う



「どうした」
「ぇ…?…えっ、あ、うん…ゴメ…」



なぜそんな行動に出たのか自分ではわかっていないらしいてつこは呆然として、次いで頭を横に振った

何かとんでもないことがよぎって、それがきっと気のせいだと言い聞かせるように



「なっなん、でもない!」



ふぅん、と言えば誤魔化すように勢いよく両手を振る

その頬は紅く染まっていて、動きそうになった右腕を左手でさりげなく押さえた



駄目だ

今、は



「──片付け終わったんだろ?」



うなじに手をやるお決まりのポーズを取って、帰るか、と言いかけたが、



「─…あっあたし!…あの、ねっ? ようじ、用事あったんだった!─…い、今まで待たせておいて悪いんだけど…っ」



どもりながら叫ぶように声を張り上げるてつこ

必死に言い訳を探していますと言うような、あからさまなそれにはつっこまず、肩を竦めて見せた



「そうか。なら仕方ないな。…気をつけて帰れよ」



すぐそこのてつこの席から鞄を取って手に乗せてやった

すると、初めてその物体を目にしたとでもいうように、ポカンと両手に鎮座する鞄を眺めて、5秒後、ハッとして、何かを守るように、何かから守るように、ギュッと抱きしめた

途方に暮れたような泣きそうな顔で


そうしてもう一度ごめんと叫んで逃げるように教室を飛び出していった

──いや、逃げた、んだろう


その頼りない背を見送って、バタバタという足音が完全に聞こえなくなってから、もうこらえる必要のない笑い声を漏らす



てつこと帰れなかったのは残念だが、今日の収穫は大きい

なにせあのてつこが、片鱗とはいえおれの想いに初めて反応を示したのだから

そう、最早耐える必要はないのだ



──8年



8年だ

8年間抱き、抑え続けたそれが、どんなに激しいかてつこはまだ知らない



そう、これから、だ

これから、いかに俺が内部に激情を孕んでいるか、思い知らせてやる







(覚悟しとけよ)
(いや、お前が覚悟できていなくても)
(今から本気でお前を落としにかかるから)







2010/04/11