novel | ナノ







例えば誰かが想い描く理想。
金持ちになりたいとか。
学年一位になりたいとか。
美人になりたいとか。

そんな理想は、今日も世界のどこかで、誰かの人生として描かれる。

そしてその人生を歩む誰かは、また別の理想を描いている。

結局いつだって、隣の芝生は青い、隣の花は赤い、という事なのだろう。


─今回は例えるなら、そんな話。


「─ねぇ聞いたー?B組の遠藤さん、年上の彼氏出来たんだってー!」
「へ、へぇ…」
「あ、聞いた聞いた!時々バイクで迎えに来てる人でしょ?!」
「いいよねー、私も送り迎えとかしてもらいたーい!」
「ふ、ふーん」
「わかるわかるー!バイクとか車とかねー!!」
「…………」


キャー!と楽しそうな声で話す少女達を横目で見ながら、日野てつこはそっと息を吐く。


(……だめだ)


わからない。全くもってわからない。

─相変わらずクラスメイトの話には、とてもじゃないがついていけなかった。

別に、てつこはこの女子生徒達が嫌いだという訳ではない。

むしろ皆優しく明るい、元気で好感のもてる女子生徒達だ。

しかし、てつことは根本的に何かが違っているのである。

てつこはテレビは見るが好きなアイドルはいないし、メイクなんてした事も無い。

体を動かすのが好きだから体育は好きな科目だし、勉強もそこまで嫌いではない。

であるからして、話が全く合わないのだ。

因みに、先ほどの会話を聞いていて、てつこが瞬間的に思った事はこれである。


─送り迎えされたら、体がなまるじゃない。


何とも男らしい意見である。この意見が頭に浮かんだ瞬間、てつこは激しい自己嫌悪に陥った。


─これでは"普通"とは縁遠い。


お察しの通り、てつこは普通で普通の普通な"女の子"に憧れているのである。

そういった意味で、クラスメイト達はてつこにとって目標であり憧れであった。

その為まずは慣れようと会話を聞いていたが──前述の通り、あまり上手くはいっていない。


─というより、未来永劫この会話に慣れる気がしない。


やっぱり駄目なのかと内心溜め息をついていると、クラスメイトの1人がてつこを見て、笑顔で言った。


「─ね、日野さんはどう思う?」
「っ、え?!」
「だーかーら、年上の彼氏とか欲しい?って」
「い、いや、何ていうか…」


唐突に話を振られ、てつこは口籠もりながら、だらだらと汗を流した。

まさかここでパスが来るとは思ってもみなかった。

勿論、女子の会話のキャッチボールは消える魔球もフェイント─どちらもようは話し相手を急に変える事─も有りだと、この時てつこは知らない。


「…え、えと、」
「─あー!ねぇねぇ、見てアレ!!」
「へ?」


急に他のクラスメイトが大声をあげ、窓の外を指差した。


「校門のとこ、凄い車止まってるよ!」


途端に、てつこと話していたクラスメイト達も窓の外に目を向ける。


─助かった。


てつこがほっとしたのもつかの間。


「うわスゲー、あれベンツだろ、ベンツ」


クラスの男子のポツリとした呟きが耳に届いた。


「…!!?」


ガタン!!


「え?!どうしたの日野さん、急に立ち上がって」
「ご、ごめん、ちょっと急用……」
「顔色、悪いよ?」
「大丈夫!大丈夫だから気にしないで、じゃっ!」


てつこは言うなり、ダッシュで駆け出していく。

普段廊下は走らないてつこだが、今回はそんな事言っていられない。

走って走って、階段も飛び下りる勢いでてつこは駆けた。


─よし、もうすぐ校門。


思った瞬間、一階の曲がり角で男子生徒の姿が見えた。


「っご、ごめん、どいて……っきゃあ!!」


案の定、てつこは曲がってきた生徒と勢いよくぶつかった。

しかも少女漫画よろしくぶつかって尻餅なんてもんじゃなく、肩だけが地味にぶつかった。勢いあっただけに相当痛い。


「っ?…てつこ?」
「…は?」


涙目で顔を上げると、そこには見知った顔があった。

てつこは思わずげ、と声を漏らす。


「さくら、何であんたが」
「げ、っておまえよく言うな。さっきまでおれ達は音楽だ」


言いながら桜は親指で、背後の音楽室を示した。


「で?急ぎの用じゃないのかおまえ。息切れしてるけど」
「!!忘れてた!悪いけど廊下走るのは見て見ぬフリして!」


てつこは言いながらまた駆け出して、無表情な友人の横を通り過ぎた。


「─別に廊下ぐらい、いいんじゃないか?」


相変わらず堅いな、と桜はてつこの背中を見つめた。

─本当は、この堅さがてつこの長所であり、また女子生徒達と違う根本的な何かであったりするのだけれど、

てつこはそれに気付く事は恐らく無いのだろう、と桜は思っていた。


******


「─馬鹿じゃないの、何でアンタこんなとこにいんのよ!!」
「開口一番それ?酷いねぇ、オレのガラスのハートにヒビが」
「防弾ガラスの間違いでしょ!!」


校門に着いたてつこが睨む先には、明らかに海の向こうの出身であろう男が佇んでいた。

黒のスーツに身を包んだ、いかにも軽そうな─多分美形の部類に入る─男である。

男の背後には黒の高級車─勿論、先ほど生徒達が話していたベンツの事だ─があった。


「走って会いに来てくれた訳か。とりあえず汗拭いとけ、な?」
「い・ら・な・い」


てつこは一語一語を強めて男の差し出したハンカチを断った。


「冷たいねぇ」
「大体、あんた仕事中じゃないの?!その車、あんたの仲間も前に乗ってたじゃない!」
「仕事中、仕事中ねぇ……」


男は遠い目をして呟くように言う。


「……あぁ、そうとも言う」
「何で今ためたのよ」
「何となく雰囲気で?」
「帰れ!今すぐ帰れ!」
「まぁまぁそう言わずに」


男はてつこの腕をぐいっと引いて、ベンツの助手席に無理矢理押し込んだ。


「ち、ちょっと!何すんのよ!」
「ドライブだけど?」
「はぁ?!いい加減にしなさいよ、あたしこれからホームルーム……!」
「れっつらごー」
「─あんたのせいでまた変な目で見られるじゃない、このボンボン!」
「オレはエリート組だって」


男─ピエトロは心底愉快そうに笑って、アクセルを踏み込んだ。


「それじゃ行きますかお嬢様」
「あぁあもう…勝手にすれば」


てつこは諦めたように言って、柔らかいシートに凭れ息を吐く。

そうして、段々遠のいていく学校が映るサイドミラーに目を移した。

あの中の一部にすぎない、普通で普通の普通な人間になるには、まだまだ長い時間がかかりそうである。


─その普通で普通の普通なクラスメイト達が校門の一部始終を窓から観察していて、

そしてまさに今、てつこは年上の─それも外国人の─恋人がいるのだと大騒ぎしている事を、てつこは知らない。

何でもない日常を過ごすクラスメイトを、ただただ車中で羨ましがるだけである。

実はこの時、クラスメイトだけでなく学年の大体の女子が、てつこを羨ましがっていたのだが──てつこがそれを知るのは、翌朝の登校時であったという。


(あぁ皆、)
(あぁ日野さん)

((なんてなんて、羨ましい!))


ドライブはまだ、始まったばかりだ。





2010.8.20