novel | ナノ






ぼんやりと浮かび上がる三角の目と、三日月のような口。

中に灯された蝋燭の灯りが、時折ゆらゆらと揺れ、暖色の筈であるそれは、どこか肌寒い、不気味な雰囲気を醸し出していた。


「っはー、お兄さんこんなのも作っちゃうんスね」


所謂ジャックランタン─分かりやすく言えばハロウィンのカボチャ─を見ながら、長髪の男は呟いた。


「だって器用だもの、兄貴」


それに事もなげに返すのは、何の変哲もないカボチャを、ちょっとした道具を駆使して見事にジャックランタンにしてみせた少年の妹である。


─器用、などというレベルのものではないだろう。


少女の言葉に、男は内心で苦笑する。

ランタンの出来栄えは最早職人の域の筈だが、あのようなアブノーマルの兄と暮らしてきた少女には、兄ならこれくらい出来て当然という感覚なのだろう。

第一、レンガに指で穴を開けてみせる彼女も、到底普通ではないのだが。


「大体、あたしハロウィンって好きじゃないし。仮装して何が楽しいの?」


少女はぼやくように言って、カボチャの硬い表面を指でつつく。

少女の疑問に、男は軽く肩をすくめてみせた。


「さぁ……。日本じゃハロウィンはそういうもんですし、しょうがないんじゃないっスか」
「?日本じゃ、って?」


少女が怪訝そうに眉をあげる。


「あー…欧米のハロウィン…も仮装しますけど、地方によっては、墓地にお参りして蝋燭を点けたり。その点で日本の送り火とかに近いっス」
「へぇ…」


男の披露した豆知識に興味を持ったのか、少女はじっと橙のランタンを見つめた。

本当なら、それに合わせて欧米では火災が多発する、などという神秘とは掛け離れた"因みに"があるのだが、それは内緒にしておく事にしよう。

ゆっくりと瞬きをした少女。

男勝りとは言われつつも、実は少女らしい、ロマンの溢れた思想を持っている事を、男は知っている。


─蝋燭の炎が少女の黒い瞳に映り、微かに煌めいているように見える。


そうぼんやりと思い、男はふと我に帰って、あぁ自分も甚だ重症だと、微かに溜め息を漏らした。

男の視線に気付かず、少女はこつんとランタンを突く。


「ただ仮装してお菓子貰う訳じゃないのね、ハロウィンって」
「まぁ、キリスト教の行事ですからね、一応は。…そのランタンだって」


どうやら少女がジャックランタンに興味を持っているらしい事に気付いていた男は、もう一つ豆知識を披露してやる事にする。


「このカボチャ?」
「えぇ。元はカボチャじゃなくてカブなんスけどね」


そうして男は、まるで昔話でもするように、オレンジの灯りを揺らめかせるそれについて語りだした。


「…ま、おとぎ話みたいなもんですけどね」


昔々在るところに、
それはそれはずる賢い─それも飲んだくれの─遊び人がいた。

遊び人の名前を、ジャックという。

ジャックはその質の悪さから"けちんぼジャック"、"嘘つきジャック"などと、不名誉なあだ名を付けられ嫌われていた。

ある日彼は、その悪知恵を駆使して悪魔を騙し、例え死んでも地獄には落ちないという契約を取り付けた。

地獄の門が開かないのであれば、残る道は天国のみ。

これで俺は天国に行けると、ジャックは残りの人生を自由気まま─悪く言えば自分勝手─に過ごしていった。


「…で。いざ死んでみると、勝手が違ったんスね」


ジャックは死後、生前の様々な悪事から天国への扉を閉ざされてしまった。

勿論、悪魔との契約により地獄にも行けない。

居場所を失ったジャックは、とにかく地上に帰ろうと、地獄の門番に渡されたカブに火を灯してランタンにした。

しかし死者であるジャックに、生者の世界の居場所がある訳もなく──。

それからジャックは、ランタンを手に安住の地を求め、永遠に彷徨い続けているのだという。


「─これが、Jack-o'-Lantern、つまり"ランタン持ちの男"の伝説っス」


男は話し終えると、相変わらずファンタジーだと軽く肩をすくめた。


「……う」
「え?」


少女が何か呟いたのかと目を向けると、男は思わずその目を見開いた。


「かわいそう………」


何と少女は、目に涙を浮かべそれを懸命に堪えているのである。

さすが我慢強さは天下一品で、泣き出す事こそ無かったが、少女の声は既に涙声であった。


「えーと、………てつこちゃん?」
「っ何よ!引いてんじゃないわよ!!あたしだって自分に引いてるの!」
「はぁ……すみません」


男は頭を掻きながら言う。

正直驚いた。まさか、こんなおとぎ話で少女の涙腺が刺激されるとは。


「だって──、地上で、1人なんでしょ」


男の疑問に答えるように少女は言った。


(─あぁ、そうか)


少女自身、男や男の上司がこの家に身を寄せるまで、兄が仕事に行く間は家に1人きりだった。

クラスで孤立した経験をもつ少女にとって──何より恐いのは"1人きり"。


(─綺麗事だ)


「─かわいそうって言うんですか?悪事を働いた、どうしようもない人間を」


男は自分でも驚くほど冷たい声で言った。

それに対し、少女は怪訝そうに眉を寄せる。


「…何言ってんの?」
「だってそうでしょう。飲んだくれで、悪知恵ばかり働く──まるでクズのような人間っスよ?」


それでも。
かわいそうって言いますか。
全てを赦して、哀れみますか。

─手を差し伸べたいと思いますか?


「──……」


そう言った男の眠たげな瞳を見つめ、少女ははっきりと頷いた。


「─だって、居場所がないほど惨めなものって……ないでしょ」
「……」


少女の言葉に、男は軽く息を吐いて──微かに微笑んだ。


「てつこちゃんは…─優しいっスね」
「…?何よ急に」
「いいえ」


男は天井を仰いで、そっと目を閉じる。


この少女は。
例えるならば聖母の如く広い心で、何もかもを赦してしまうのだろう。

どんな悪人も、
嘘つきジャックも。

─それより薄汚れた自分も。

ジャックの伝説を語りながら正直、次にランタンを持って彷徨うのは自分だろうと自嘲していた。

自分がどれだけ汚れた人間か、
自分が一番知っていたから。

だが、少女の真っ直ぐな瞳は、それすらも全て洗い流してくれるようで。

その優しさが辛くて、─男は酷く泣きたくなるのだ。

まさか、まだ幼さの残る少女に、救われる事になるとは。


「─ちょっと、ねぇ、どうしたのよ?」
「…何でもないっス」


─出来るなら、赦さないで欲しい。
しかし、願っても無駄なのだろう。

少女はいつまでも男を赦し続け、
居場所を与え続けるはずだ。


「─幸せ者っスねー、おれ達は」
「はぁ?訳分かんない」


男は─少女に気付かれないほど微かに─頬を緩めた。


─もしも少女と同じ時に居たならば、ジャックはもしかしたら、彷徨う事にはならなかったのではないか。


そんな、酷く無駄な事を考えたのは秘密にしておこう。


「…分からなくていいっスよ、てつこちゃんはね」


自分と同じ、中途半端な存在のジャックが、何故か酷く愛おしくなった。









2010/10/31