「…なにしてるのあんた」
午後の鍛練を終えてガレージから出てきたてつこの言葉に、庭にいた黒ずくめ──といっても一部は見事に丸出しだが──の男が顔を上げた。
「おつかれさまですてつこちゃん」
汗を拭いながらこくんと頷く少女に目を細めた男は、次いで手にしていたナイフを指先で器用にくるんと回した。
「Jack-o'-Lantern作ってるんスよ」
発音良く口にされた単語に、てつこは庭先で無造作に座り込む男の足元に目をやる。 中身はすでにくりぬかれており、たった今右目が出来上がったばかりらしいカボチャがそこにあった。男の脇にはほかにも二、三のカボチャが転がっている。
「ああ、ハロウィンだから?」 「ええ。しあさってだし、そろそろ作ってもいいかと思って。わんこ…ていうか日野さん一家こういうの好きっスよね」 「兄貴がああだし…ていうか父さんからもう、ね」
肩を竦めたてつこは男の近くまで歩を進めると、ちょこんとしゃがんでカボチャを指でつついた。
「やっぱりカボチャで作るのがフツーよね」 「はい?」 「父さんはカブで作ってて、あんまりかわいくなかった」
つんつんとつつかれたカボチャはやや傾いてあぐらをかく男の膝にこつ、とぶつかる。
「あー、ルタバガじゃないスかそれ?」 「そうそうそれ。スコットランドじゃこうなんだぞー! とかなんとか言ってたわ」
思い出したのか膝に肘を置いて頬杖をつくてつこは小さく笑った。 懐かしそうな笑みを目にした男はふぅんとてつこを覗き込んだ。
「…な、なによ」 「や、てつこちゃんてブラコンかと思ってたら、ファザコンでもあったんだなと」 「はぁ!?」
目を剥くてつこの頭を、男はうんうん、と頷きながら撫でる。
「淋しいですよね。あ、なんならウィルバーさんのことお父さんと呼んでもいいんスよ?」 「絶 対 イ ヤ。ていうかなんで紳士なのよ! そういうときって普通おれのことって言うんじゃないの」 「え、てつこちゃんておれのことお父さんて呼びたいんスか?」 「ちがう!」
的確に反応してくるてつこが面白いのか、男は珍しく感情を露に肩を揺らしている。 それに対して当のてつこがむぅと頬を膨らませたところで、ようやく男は笑いを収めた。
「冗談っスよじょーだん」 「あっそ」
きつい目を向けてくるてつこだが、座っていても歴然な身長差により必然的に見上げる形となる。 上目遣いでそれやられてもなぁなどと思ったが、口にすれば少女がどう出るかなど明白で、それは心中に閉まっておいた方が良さそうだ。男はおくびにも出さずにてつこを見つめる。 かち合った視線を、てつこはふいと逸らした。 どこを見ているかわからない視線の先を男が追ったとき、微かな音がこぼれた。
「……さみしくなんか、ないわよ。もう、子どもじゃないもの」
男は片眉を僅かに上げて、沈黙した。 いや明らかにてつこちゃんトリックオアトリート言う方でしょと茶化しても良かったのだが、引き結ばれた唇が目についてやめた。
男は顎の下を軽く掻いて、今までさりげなく少女から遠ざけて脇に置いていたナイフを再び手に取った。 存外柔らかい皮に刃先を入れ込み、く、と手に力を入れる。 男が作業を再開したことに気づいたてつこは、首を傾けて、カボチャに左目が出来上がっていく様を見学する。
「…まあ、ほら、」
目線は下に向けたまま手を動かしながら発された声に、てつこはぱちりとまばたきした。
「お兄さんはりきってましたし、わんこもハロウィンのお話聞いてはしゃいでましたし」 「うん?」
男がナイフを引き抜いて、左目が完成した。そのまま鼻も作ってやろうとナイフが動く。
「マリーちゃんもお兄さんと一緒にカボチャ料理作るんだって喜んでましたし、ごむぞうもモギューとかってテンション上げてましたよ多分」 「そ、そう」 「で、ウィルバーさんてイベント好きっスから」 「…でしょうね」 「お、鼻完成」
一度手を止めて、顔の高さにカボチャを持ち上げてバランスを確認した男は再度足の間にカボチャを置き、ナイフを入れる。 そういえば、カボチャに何も書かずに感覚でくりぬいていっているようだ。器用というか、要領がいいというか、なんでもできる男だ。てつこは羨ましそうに、軽やかに動く指を見つめた。
「おれもこうやってランタン作るくらいには気分高揚してますんで、」
また男が口を開き、少女が一瞬考えてああさっきの話の続きね、と顔を上げると、男も手を止めててつこを見ていた。
「だから、きっと楽しいパーティーになりますよ」
へらっと笑顔を向けられて、てつこは息を飲んだ。 ──別の言葉に聞こえたから。 だから寂しくないっスよ、と。 ふわりと心が温かくなって、だが妙に気恥ずかしい気持ちになった少女は思わず俯いた。 同時に、男もまたカボチャに取りかかる。
数拍置いて、てつこは何かをごまかすようにちらりと宙を見て、息を吸った。 自然と浮かんだ笑みを湛えたままカボチャに視線を移すと、ジャック──いつの間にか完成していた──も笑いかけてきていた。
「─…ほんと器用よね、あんた。あたしは作れそうもないわ」
普段の調子を取り戻した少女の声を聞き届けた男は、二つ目のカボチャに手を伸ばした。
「あぁ、粉砕しそうスよね。一瞬で」 「どういう意味!」 「ははは」 「はははじゃないっ」
噛みつくように叫ぶ、すっかりいつも通りの少女を軽く流した男は、心底楽しそうに笑いながら、さてハロウィン当日はこのかわいらしい女の子のためにどんなお菓子を用意しようかと久しぶりに考えを巡らせ始めた。
Trick or Treat? (もちろんおもてなし致しますよ) (まぁおれとしてはイタズラの方でもいいんスけどね?)
2010/10/28 |