今夜は星が綺麗になる。
そう言った彼は、"星が綺麗"とかロマンチックな言葉がお世辞にも似合わない男で。
少女は思わず眉をひそめ、
「は?」
と返した。
「今日1日雨が降ってたじゃないスか。雨が降った後の星はそりゃあ綺麗スよ」
だから、夜中にこっそり見に行きましょう。
「二人でね」 「……」
最後に付けられた言葉に、少女はコクリと頷いた。
「─……ぁ」
日野家に住まう者達が寝静まった、真夜中。
日野てつこは居候の男と共に自宅の庭に出て、思わず声を上げた。
「ね?」
てつこの頭上には、正に満天の星空が広がっていた。
小さな星達がそれぞれの強さで瞬き、まるで絵本の中を見ているようだった。
「綺麗…」 「地面も見てみるといいッスよ」 「地面?」
言われて、足下に目を下ろす。
すると、てつこは再び感嘆の声を上げた。
「雨の後は、空にも地面にも星が出るんス」
男の言う、地面の星。
それはてつこの足下の、水溜まりに映る星の事だった。
1日中降り続けた雨のお陰で、日野家の庭は水溜まりがいくつかできている。
その一つ一つに夜空の星が映り、小さな星空のようになっているのだ。
てつこはその素晴らしさに思わず、と言った感じでしゃがみ込み、水溜まりを見つめた。
「あんた、こういう事も知ってるのね。似合わないけど」 「それは自分も承知の上ッス」
男はぼやくように言う。
てつこは再び空を見上げた。
それぞれ輝く無数の星達は、見ていて少しも飽きない。
幼い頃、両親に一度だけ連れて行ってもらったプラネタリウムを思い出し、てつこは少し懐かしい気がした。
「本当に綺麗ッスよねー」 「あんたが言うと嘘っぽいわよ」 「そうッスか?あ、でももっと凄いの知ってるからかもしれませんね」 「もっと凄いの?」
てつこは男を見た。
こんな光景より"もっと凄いの"とは、一体どういうものなのだろう。
「うーん……ウユニ塩原って知ってます?」 「うゆにえんげん?」
聞いたことがない、とてつこは首を振る。
「まぁそこまで有名って訳じゃないッスからねぇ。─南米にある、世界最大級の塩の採掘地ッス。地面が全部塩の平原って言った方が分かりやすいッスね」 「……全部……」
想像が出来ずてつこは首を捻る。
「まぁ見た目は白いんで、雪原みたいなもんッスね」 「ふぅん。それで?」 「そこって、世界で一番平らな場所なんスよ。だから、雨が降っても雨水は流れない。どういう事か分かります?」 「ん……想像つかない」 「簡単に言えば、平らな床に水を零した感じッスよ。どうなります?」
てつこは首を傾げた。
「水はそのまま広がる…?」 「そうッス。ウユニ塩原は、いわばデカい平らな床なんスよ。雨水は薄く塩原に広がって、蒸発するまで空をそのまま鏡のように映す……」
そりゃあ綺麗なんスよ、と男は言う。
「青空も夕焼け空も、勿論星空も映して、まるで自分が空を飛んでいるみたいになるんス。だから、雨が降った後のウユニ塩原は、"天空の鏡"なんて呼ばれてるんスよ」 「へぇ……」
てつこは少し想像をしてみようとしたが、見たことも無い塩原などというモノも、勿論"天空の鏡"もいまいちピンとこなかった。
「─まぁ、あたしには今、この空があればいいわ」
てつこはそう言って、空をぐるりと見渡す。
もう少し高い所で見れたらいいのに、と小さく呟くと、男はさらりと言う。
「マリーちゃんに幽霊化させてもらえばいいじゃないスか」 「…何かロマンチックじゃない」 「てつこちゃん、女の子ッスねー」 「うるさいわね」
ふてくされるてつこに苦笑し、男は「あ」と何かを考えついた。
「んじゃ、こうしましょう」 「え?きゃっ……?!」
てつこは突如感じた浮遊感に声を上げる。
見ると、男がてつこの膝裏の辺りを抱え上げていた。
「俺の方が、身長はずっと高いッスから」 「………ふん」
てつこは薄く頬を染め、それを隠すように慌てて空を見上げた。
見上げてみれば、なるほど、確かに先ほどより空が近く感じる。
「─ねぇ」 「なんスか」 「さっき言ってた天空の鏡、いつか見れると思う」 「勿論。俺が連れて行くッス」
だから見に行きましょう。
「二人でね」
再び言われた、その言葉に。 てつこはコクリと頷いた。
二人の頭上では、数え切れないほどの星屑達が、いつまでも燦然と輝いていた。
END.
2010/05/26 |