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「ねえキノ、あれ」

入国審査を終え、安い宿を探してエルメスを走らせていたキノは、そのエルメスの声に顔をあげ、そして見慣れた白い犬と白い女の子を見咎めてブレーキをかけた。
モトラドのエンジン音に気づいていた犬が振り向く。笑ったような顔──陸である。女の子もこちらを向いた。
奇遇だねと声をかけようとしたキノは、ティーの無表情に口を噤んだ。平時の無表情ではあるのだけれど、いつもよりどこか重苦しかった。


──30分後、キノはとある宿屋の二階、角部屋にいた。
上品な調度品に飾られた室内、普段ならばまず泊まることのないような宿、真っ白いシーツから慌てて身を起こす男の前にいた。

「馬鹿ですかあなたは」

平坦な声はまっすぐ男に突き刺さる。
首から腹まで包帯が覆う上半身、誰が見ても重傷だとわかる。

「…キノさんはいつこの国へ?」
「今日です。今、さっき」
「そうか、では観光はまだなんだね? 陸とティーに案内してもらうといい。ふたりはもうこの国についてよく知っているから」

なんとか普通の会話を試みた男、シズは笑みを浮かべてキノを見返した。数秒後、その頬はひくついた。キノが黙してしまったからだ。

「あ、あの、キノさ、」
「馬鹿ですかあなたは。いえ、馬鹿ですあなたは。大馬鹿だ。救えない。こんな馬鹿なひとは他に知りませんよ」

この数分で一体何度馬鹿と言われたろう、数えようとして悲しくしかならないことに気づいたシズは指を折るのをやめた。

「ろくに素性も知れぬ人間の護衛を買って出て20人余りと大立ち回りして挙げ句金を払われるどころか金品持ち逃げされてまともに食べることもできずになんとか辿り着いたこの国で入国金支払う代わりに盗賊退治することを条件に入国許可貰ってそしたら盗賊団の人数多くて結果このザマなんだそうですね」
「…………勝ちましたよ?」

それが? と冷たい目をされたシズは口を閉じた。

「旅人失格の大馬鹿」

反論できずに眉を下げて肩を竦める男に、キノはまた目つきを鋭くさせた。

「笑い事じゃありません。へらへらしないでください。─…わかってるんですか。……死ぬとこ、だったんですよ」
「わかってるよ」
「わかってませんよ」
「これでも闘い慣れてるんだ。どれくらいから命に関わる傷かくらいわかるさ」
「そんな話をしてるんじゃない!!」

不意に大きくなった声に、シズは目を見開いた──キノ自身も。
そうして、ふたりとも息を飲んだ。
キノの目尻から水滴が一筋伝ったからだ。

一筋のそれにいち早く気づいたキノは慌てて背を向けた。背中に男の視線を感じながら、なんとか平静を装う。

「目にゴミが入ったようです。洗ってきます」

言い置いて右足を踏み出したキノは、そのまま動けなかった。

「……なんですか、放してください」
「嫌です」
「腹に風穴空いてる人間は黙って寝ててください」
「お断りします」
「いい加減怒りますよ」
「もう怒ってるじゃないか」
「もっと怒りますよ」
「どうぞ。キノさんに叱られるのは好きだ」

気の抜ける応酬に、キノは諦めた。馬鹿に何を言っても無駄なのだ。

「──すみませんでした」

やや間を開けて放たれた謝罪にキノは唇を噛む。

「何に対して謝ってるんです? 今ボクを拘束してることに対してならとっとと放してください」
「違います。考えなしにケガを負ったことです」

シズは後ろから抱きしめた小さな身体が微かに震えたのを感じた。

「俺の身体だから、俺の命だからと好き勝手し過ぎました。遺される人間のことを、考えなくてすみません。陸やティーのこと、考えなくてすみません」

ほんとのところを言えば、陸とティーのことを考えなかったというのは正確には少し違う。
陸はいつだってシズの後を追ってくる。だから陸とはきっと最期まで一緒だろう。だから陸のことは考えないのではなく考える必要がないのだ。

ティーは。
ティーも、きっとシズの後を追おうとするだろうけれど、それを許すつもりはなくて。
ティーは。ティーのことは、託そうと考えていたのだと思う。今、腕のなかにいる少女に。
どこまでも旅人然としている彼女は邪魔だと捨て置くかもしれない。
けれど、彼女ならば、とまっすぐ思えるのも事実で。

だからこそシズはあんな無茶をすることができたのだろうと思う。

だがそれはなんて傲慢な考えなのだろう。

こうして目の前で涙を見せた少女のことを勝手にあてにして、信じて、それで自分は死んでも大丈夫だなんて。
──彼女はこんなにも弱々しく震えているのに。
こんなにも愛されていると知っていたのに忘れていた。

シズが死んだらキノだって辛いに決まっているのに。

「すみません」
「……」
「すみませんキノさん」
「もういいです」

短い言葉とともにシズの腕をすり抜けたキノはドアまで歩を進めた。
ドアノブに手をかけて、しばし制止する。

「──次は、ないですから」

もう無茶はしないでください、と空気に溶けるような小さな音を残してキノは廊下に消えていった。

残されたシズは黙って閉まった扉を見つめて、しばらくのちベッドに座り込んだ。
──ああ言われたものの、そして反省しているものの、きっと同じ状況になればきっと同じことをするだろう。
それがシズだから。

そして、それをキノもよくわかっている。
だから、背中越しでしか言えなかったのだろう。
次はないと言いつつ、キノは次もきっと怒って泣いて、許してくれるのだろう。
どんなに辛くとも。

あの華奢な背とか細い声からその思いが痛いほど伝わってきて。

「すまないキノさん。──ありがとう」

シズはただそう言うしかなかった。







(僕は君を幾度も)






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お待たせ致しました夕凪様
「久しぶりに会ったらシズ様が怪我してる→キノ怒る→涙ぽろっ」でございます

なんか夕凪様の思い描いてたものとは激しく違うのだろうなという確信にも似た予感が、が、が

えっとその、愛だけは込めております…!ので生温かい目で読んでやってくださ…!


リクエストありがとうございました!



2011/07/04