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某日 某時刻



狩魔 冥は、迷っていた。

迷いながら歩き、迷いながら電車に乗り、迷いながら、時折、立ち止まっていた。
そうしながら冥は、『彼』の元へ向かっていた。





自分が何をすべきなのかが、見えなくなっていた。
いつものように、有罪になるはずだった被告人。
しかしそれが覆され、新たな容疑者が浮かび上がり、謎が深まっていく。





そんな中、冥は自分の無能さに腹が立っていた。
天才と呼ばれていた自分は、一体 どこに行ってしまったのだろう。

泣きたくなった。
けれど、プライドがそれを許すはずもなく。

自分は今、何をすべきか。
それは解っているのに。
真実を暴くべきである、それはちゃんと知っているというのに。





悩んでいた。

頭を混乱させるものがありすぎて、何が自分を悩ませているのかも解らなくなっていた。

そんな時、思い浮かんだのは『彼』だった。





『彼』に会って、どうするのだろう。
『彼』もまた、頭を混乱させる原因の一つなのに。
相談に乗ってもらおうという気ではない。
助けてもらおうという気でもない。
けれど、『彼』に会ってみようかと思った。





会ってみようかと思い、歩き出し、一度引き返した。
目的もないままにいきなり訪ねて、一体何を話そうというのだろう。何をしようというのだろう。





引き返し、しかしすぐに止めた。
もう一度歩き出し、立ち止まった。
『彼』に、本当に会うつもりなのか。本当に会いたいのか。
――だとしたら、何故?
それすらも、解らなくなった。
そうして、会おうかどうしようかをずっと迷いながら、歩いていた。





歩いて、歩いて、そしてとあるビルの前で立ち止まる。
ビルを見上げ、三階の窓に書かれた『彼』の名前を見る。
ここまで来て、まだ迷っている自分に呆れた。
後はこのビルに入って、上に向かえばよいだけなのに。
それは解っていても、それでも、冥は迷っていた。
さっきよりもゆっくりと歩き、ビルに入る。
階段を見つめ、目を閉じ、一段ずつ上っていく。




二階まで上りきり、下を振り返る。
そして これから上る三階への階段を見、ここまで来たら同じだろう、と自分に言い聞かせながら、冥は足を踏み出した。










そう、ここまで来たら同じだ。
後は、この目の前にあるドアを開ければいい。
「………………。」
冥はブラウンのドアに下げられた、『成歩堂法律事務所』というプレートを見つめ、ドアノブに手を伸ばし――そして、その手を下ろした。
「………いいわ……ここまで来れたのだから。」
『彼』に、成歩堂龍一に、会おうと思い、会って何をするのかと疑問を感じ、迷い、そして、ここまで来た。

ここまで来て――そして、自分がしようとしていることが、どれほど愚かなことなのかに気づいた。
成歩堂は弁護士で、自分は検事なのだ。
「……私……は……本当、に。」
なんて弱い人間なのだろう。敵であるはずの成歩堂に、甘えようとしていた。





帰ろう。 帰って、自分のするべきことをしなければ。
―――例え今、成歩堂にどんなに会いたくても。
「……私、は……私は…………検事なのだから。」
そう呟き、階段を目指そうとした時だった。





「――あれ、冥ちゃん? どうしたの?」
「―――え?」
顔を上げると、そこには先ほどまで会おうとしていた、成歩堂龍一の顔。
捜査から帰ってきた所なのだろうか、手には資料の束が。
「………大丈夫?」
成歩堂は、冥の顔を見るなり言った。
「……な、にがよ?」
「………元気ないから。」
「……………別にっ……そんなことない……わよ………っ。」
「……………冥ちゃん。」
成歩堂は冥の肩に触れようとした。しかし、彼女がそれを拒むように身を引いた。
「どうしたの……?」
「………あなた、は………敵、なの………。」
「……………冥ちゃん、」
成歩堂は悲しそうに表情をゆがめると、冥に一歩近寄り、
「ッ!?」
彼女を抱き締めた。2人の足元に資料の束が落ちて広がる。
「……はなし、て……ッ。」
「無理しなくていいよ、冥ちゃん。」
成歩堂は冥を抱き締めたまま言った。
「僕の前でなら、泣いてもいいから。 大丈夫だよ、僕がついてる。」
「!!」
冥はその言葉を聞いて、少し黙って、
「…………う……っ。」
瞳から涙を流したかと思うと、
「…………う………っ……あぁぁぁっ!!」
声を上げて泣き出した。
成歩堂の胸を叩いて、叩いて、子供のように泣きじゃくった。
原因がありすぎて、何のせいで泣いているのか明確には解らなかったが、それでも冥は、成歩堂の言うままに泣いた。











「はいこれ、飲んで。」
「………ええ。」
冥は成歩堂に差し出されたマグカップを受け取った。コーヒーにはうっすらと、自分の顔が映し出されている。 うっすらとではあっても、泣きはらした目が見て取れる。
「……少しは、落ち着いた?」
「…………そう、ね。」
「よかった。」
成歩堂は少し微笑んで、自分の分のコーヒーを飲みながら、資料の束を調べ始めた。
「……………ぁ……。」
冥は俯きながら、小さな小さな声で言った。
「………ぁ、りが……とぅ………。」
資料を見ている成歩堂には聞こえていないようだったが、冥はそれでいい、とそう思った。










同日 某時刻 成歩堂法律事務所(のビル)前

ビルの前で、成歩堂と冥は別れようとしていた。
「………僕は、留置所に行くけど……冥ちゃんは?」
「そうね………警察署に行って、あのヒゲと捜査に行ってくるわ。」
冥はそう言いながら、あの刑事なら泣きはらした目は気づかないだろうが、御剣に会って気づかれたらどうしようかと考えていた。
「そうか、分かった。」
成歩堂は 冥が先ほどよりずいぶんと表情が明るくなったことに ほっとしていた。
「それじゃ、明日 法廷でね。」
「ええ。」
成歩堂は背中を向け、だがすぐに振り返った。
「また何かあったら……いつでもここに来なよ、コーヒー 淹れて待ってるからね。」
「………ええ。」
返事をしながら、冥は少しだけ微笑んだ。
「じゃあね。」
そう言って、二人とも反対の道を歩き出した。
少し歩いて、冥は振り返り、小さくなってゆく成歩堂の背中を見つめた。
「……………ありが、とう………りゅう、いち。」
冥の小さな呟きが、晴れた、暖かい春の空に消えていった。

END.


2009/07/29