※BLD注意
とある悪の組織の本拠地に、耳をつんざくような怒号が響き渡る。
発生源は、目の前の般若のような顔をした一個下の後輩。
職場(?)では上司でもあるその後輩にしばかれているのは、これまた戦闘員である俺の上役、主任戦闘員のヤス先輩だった。
「うわ、またですか」
扉を開いて、悪の秘密基地のリビングに入ってきた戦闘員のドヴァーこと寺門君が、呆れたように顔を歪める。
ひらひらと笑って手を降れば、彼はダイニングテーブルについている俺の隣の席へと腰を落とした。
「カイリさんってば、また逸花さんにヤスさんのことチクったんですか」
小声で耳打ちしてくる寺門君。
彼もまたこの組織の戦闘員であり、立場上は彼の方が上なのだが、彼は自分は年下だからと律儀にさん付けで呼んでくれる。
そんないい子な寺門君に、俺は頷いて手元のカメラを指さした。
いい写真が撮れたと、小声で呟いて歯を見せれば、いい子の寺門君は眉を寄せて怪訝そうな顔をする。
「それがなければ尊敬出来る人なのに...」
「え、寺門君たら俺の事リスペクトしてくれてんの」
「いや悪趣味なんで無理です」
「悪趣味なんてそんな」
そうこう言っている間に、逸花ちゃんが鼻の穴を膨らませて俺達の横を通り過ぎていく。
バタンと大きな音を立てて、リビングから廊下へと続く扉が閉まった。
どうやら、折檻が終わったらしい。
「ヤス先輩、大丈夫っすかー?」
カメラをポケットにしまい、席を立つと、ボロ雑巾ようになった先輩の下へと足を歩めた。
俺の軽薄気な声に反応したように、屍と化していたその体が、勢いよく起き上がる。
「カイリ、てんめぇええ」
ガシリと胸ぐらを強く掴まれ、引き寄せられた。
おお、急接近。
「横から余計な事ばっかり言いやがって!おかげで見やがれっ、また姉さんにこっぴどくやられただろーが!」
青痣の出来た目を潤ませて、キッと俺を恨めしげに睨み付けるヤス先輩。
「ヤス先輩が洗剤の詰め替えと間違ってコンディショナーの詰め替え買ってくるからでしょーが。以前もそれで逸花ちゃんつゆだくで洗濯しちゃったらしいし、俺の服コンディショナーで洗濯されたらたまんねえっすもん」
へらりと正論で返してみせると、ヤス先輩は悔しそうに顔を歪める。
寺門君はと言えば、視界の端で、腰を浮かして不安そうに俺達の様子を伺っている。
「謝ったほうがいいなら謝りますけど」
「〜〜っとにかわいくねぇ!」
突き飛ばすように解放され、尻餅をついた状態で、不機嫌そうにリビングから去る先輩の背中を見送る。
「だ、大丈夫ですか」
駆け寄って来てくれた寺門君の手を借りて立ち上がるが、堪えきれず、片手で隠すように顔を覆う。
「や、ば」
「カイリさん?」
「すっげぇ今の顔可愛かった」
締まらない口元を押さえる俺に、引きましたと言わんばかりの目を向ける寺門君。
「どうしよう、やばい、死ねる」
きっと今、鏡を見たら、俺の顔は凄い事になっているだろう。
恋する乙女の気持ちっていうのは、こんななのか。
「好きな人に胸ぐら掴まれて、すごまれて、突き飛ばされてそんな風に身悶えするのは海里さんだけだと思いまけど」
「だって好きなんだからしゃあねえじゃん」
肩を下げてため息を吐く寺門君を上目遣いでいじけたように見上げるも、パッと目を逸らされた。
「そういう目禁止にしてもらえませんか」
「なに、ドキッとした?」
「いえ全然」
ちえー。
そっけない寺門君に、頬を膨らませてポケットから取り出したカメラを眺める。
「あー、やっぱ可愛いくそ可愛い」
「でもあんまり虐めすぎるとそろそろ本気で嫌われるんじゃないですか?」
「てかもう嫌われてるくね?」
「あはは...」
「そこはフォローして!?」
日本人の得意技、愛想笑いを発動した寺門君にツッコミを入れるも、内心ハートはボロボロ。
俺だって出来る事なら好かれたいのだ。
「ていうか、嫌われたくないならヤスさん虐めなきゃいいじゃないですか」
「それがさぁ、ヤス先輩見てるとなんかついなぁ」
カメラの中のヤス先輩をそっと撫でながら呟く。
ヤス先輩を見てると、困らせてやりたくて、泣かしてやりたくて、怒らせてやりたくて、どうしてもついつい告げ口したり、嫌な態度を取ったりと裏目裏目の行動を取ってしまうのだ。
「好きな子程虐めちゃう、みたいな?」
「そう、そんな感じ」
「小学生の男の子じゃないんだから...」
「だよなぁ」
自分でもつくづくそう思う。
「たまには優しくしてあげてみたらどうですか」
「優しく、って例えば?」
「え、えーと、棘のある話方やめてみるとか、相手のして欲しいことをしてあげるとか...?」
「なるほど...」
その時、扉が軋む音がした。
見ると、ヤス先輩がドアを開いて此方を伺うように覗き込んでいる。
目が合うと、舌打ちを一つ溢して、彼はリビングへと足を踏み入れた。
どうやら、忘れていった禁煙パイポを取りに戻って来たらしい。
机の上にあったソレを回収し、踵を帰そうとするヤス先輩の腕を、思いきって掴む。
「っ、な」
さっきの仕返しかと思ったらしく、ビクリと肩を跳ねさせ、身構える先輩。
「煙草、吸うならいいとこありますよ」
反応は、まさに"きょとん"だった。
「外、行きましょう」
「あ、ちょ、まっ」
予想外の展開にどもるヤス先輩の腕を引き、玄関を目指す。
靴に履き替えて、外へ続く扉を開くと、そこには赤い夕焼けが広がっていた。
高台の鉄塔の上、ヤス先輩は鉄塔の金枠に寄りかかり、朱色の空に煙を吐き出している。
一方の俺は、ヤス先輩の反対側にもたれて、時折、訝しげに此方をちらちらと振り返る彼の後ろ姿を見つめていた。
どこかの誰かさん達のお陰で過激過ぎるとも言える禁煙運動白熱している市内で、煙草を吸える最高の穴場。
今ここには俺とヤス先輩の二人だけ。
そこには静寂が漂うのみだった。
「っとに、なんなんだよ、オメー」
沈黙に耐え兼ねたのか、ヤス先輩が口を開く。
「なにって」
「毒づいたり、いびったりしてきやがると思ったら、いきなり煙草吸いに行きませんかとか言い出すし...」
「ヤス先輩への愛情ですよ」
へらりと吐いた冗談に紛れた本心に、当然彼は気付かない。
「わけわかんねぇ...」
眉間に皺を寄せたかと思うと、また首から上を夕陽へと向けるヤス先輩は、寺門君でも気付いた俺の本心に気が付かない。
「好きなんです」
言ったつもりはなかった、言うつもりもなかったその言葉が、耳を掠め、はっとした。
「この夕陽」
慌て、誤魔化しの言葉を紡ぐ。
開いた間が、不自然過ぎただろうか。
嫌な想像ばかりがわき上がり、不安だけが頭を占拠する。
背を向けたその身体が振り返らない事を、ただただ祈った。
「...確かに悪くねぇな」
ちらりと此方を見て、煙草をふかすヤス先輩のその様子は、地平線の彼方に沈んでいくオレンジ色に確かに見惚れているようだった。
ほっと胸を撫で下ろした俺は、小さくため息をつく。
あ、ぶね。
「さみぃな」
小さく呟いて、ヤス先輩は首に巻いたスカーフに鼻の辺りまで顔を埋もらせた。
「風が出てきましたね、そろそろ帰りますか」
「おー」
気だるげな返事をして歩き出した先輩の背中を追いかけ、俺達はその場を後にした。
「ただいまー」
「あ。二人ともお帰りなさい」
洗濯物を取り込んできたらしい寺門君が、俺達を出迎えてくれた。
玄関口のスリッパに履き替え、基地の中へと上がる。
「わ、ヤスさん耳真っ赤ですよ」
寺門君の驚いたような声にヤス先輩へ目を向けると、寒さのせいか確かに赤くなっていた。
「さみかったんだっつのっ」
荒っぽく返して、背中を丸めてつかつかと廊下を進んでいくヤス先輩に、残された俺達は顔を見合せた。
「ヤス先輩となんかあったんですか?」
「好きなんですって言っちゃった」
「は!?」
「なんてね。うっかり告白しかけたけど、夕陽がって繋げて誤魔化しちゃった」
「ちゃんと誤魔化せたんですか?」
「え、うん、多分...」
考えるような素振りを見せて、ヤス先輩のいなくなった廊下に目を向ける寺門君。
「......はぁん」
「寺門君?」
「いや何も。俺、洗濯物畳まなくちゃなんで失礼します」
「え、なに、なんなの!?」
いやに気になる去り方をした寺門君に取り残された俺は、一人首を傾げる他はなかった。
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