上書きの匂い


漸く日が出てきてきた頃に、シチューとバケットで満腹になったお腹を抱えて外に出れば、早朝ジョギングをしていたらしいディスコに拾われた。曰く、「女の子がこんな薄暗い時間帯に出歩いちゃあ駄目だろ!」とのことだ。フリッピーとヒーロー、それにモール以外だったら、私でも多分逃げることくらいは出来るよと言ってみたが、聞く耳は持たれず、「体も冷えるから」とディスコ宅に連行された。知り合いといえど、男の家に上がりこむのは、彼的にはオーケーなのだろうか。
そこんとこどーなのよと、棚で茶請けを物色しているディスコを見ながら、出された紅茶に砂糖を二個放り込んで、ソーサーでかき混ぜる。

「ディスコ、この紅茶美味しい」

「でしょ。こないだカイリちゃんが絶賛してたメーカーのアプリコットティだよ、それ。いくつか箱で取り寄せたから持って帰る?」

「まじっすか あざっす!ディスコ大好き!」

大歓迎の申し出に思わず、ティーカップから口を離して破顔する。ここの紅茶そこそこ値段はるのよ!流石ディスコ!太っ腹!素敵!抱いて!
羨望の眼差しでディスコを射れば、彼は眉を下げてくすりと笑った。

「もう、カイリちゃんってば相変わらず現金だね」

「貰えるものは何でも貰いたいし、自分が好きなものならなおさらです」

「なんでも…、クッキー缶とかも持って帰る?」

「ぜひ」

作って貰ったお土産用の紙袋を机の端に据えて、温かいティーカップに今一度口付ける。

「そういえばカイリゃん、なんで今朝はあんな早くから外に?」

「ん?ああ、気分転換にちょっと散歩を…」

「気分転換…」

ディスコの視線が、私を訝しむものへと変わる。おおよそ体調の心配でもしてくれているのだろう。でも私の『これ』は『常』なので、心配は最早無用だ。年中船酔いしてるみたいな不安体さと、時折起こる発作。気分の悪さは慣れてしまえば、普段はどうともない。発作も少し血反吐を吐くくらいだ。痰みたいなもので、痛みも、後を引く苦しさなんてものもないから、これも問題無い。
発作が起きても一度死ねば、次の日には元気。フレイキーやフリッピーのピーナッツアレルギーや、ナッティの糖尿病と同じのようなものだ。ハッピーツリーは外から持ち込んだ疾患は慢性的に治せないそうだから仕方ない。子供の頃からあるハウスダストアレルギーだってこの通り未だ健在だ。あれ、そういえば、この発作が始まったのって何時からだったっけ。

「スニフの所を訪ねた方がいいんじゃあないか?」

同じ医師免許を持つランピーの名前を挙げないのは、ディスコの医療におけるランピーへの信用が欠片もないからだろう。一度、レンジで心臓をチンされた挙句、ポテトを移植されたらしい。

「はっは、大丈夫大丈夫。この通りピンピンしてるから」

パンッ、パンッと自分の心の臓あたりを力強く叩く。大丈夫、私の心臓はまだレンジでチンされちゃいない。

「本当にー?」

「ええ、もちろん」

「ならいいんだけど…」

そう言うディスコさんの眉の間の渓谷は戻らぬままだ。自分の眉間をとんとんと叩けば、今度はハの字になった。表情のレパートリーが豊富な眉毛。

「心配するだけ損ってもんですよ。どうせこの街で持病は治らないんだし」

「とは言ってもねえ、間の前で吐血を何度もされりゃあ心配もしちゃうよ。最近激しさに磨きかけてきてるし」

「一種のパフォーマンス性があるでしょ?」

「不謹慎」

「ディスコは外見に似合わず固いねえ」

「カイリちゃんが自愛を疎かにしてるだけ」

「ご自愛してますよ?」

ディスコの眉がさらに下がる。私わるくない。

「…はあ、もう。とりあえず最近冷えてきたから暖かくするんだよ。風邪だけはひかないようにね」

「ディスコは私のマッマかな?」

「だーれがママだ。もうカイリちゃんも子供じゃああるまいし…」

「説教垂れマッマ!!」

「わかった!せめてパパにしてくれない!?」

何処か消沈したように悲鳴を溢すディスコを笑って一蹴する。ディスコはマッマだ。
私のやや偏った父親像に寄ると、父親は子にあまり干渉しないように思う。やはり甲斐甲斐しく世話を焼いてくる像は母親にあるだろう。よってディスコはマッマ。
まあ、像とか言ったって、自分の親も朧げにしか覚えてない癖に、という話かもしれないけれど。
遠い記憶の果てにあるのは、綺麗な長い黒髪と、おもったるい香水の香り。
尾行を擽る過去の幻香を打ち消すように、懐から煙草を取り出して、一本噴かす。莨の葉を発酵させて作られた嗜好品は時に、人を蝕むのではなく癒しもする。って言っても、この街に居る限りは健康も不健康もしったこっちゃあないか。

ディスコにも一本勧めて、一息。

あゝうまい。


 

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