家と家の間の壁に人が挟まっていた。
無理矢理、蟹歩きで滑り込んだようにして、すっぽりと隙間に収まってしまったその人を見た時、私は思わず口を半開きにして凝視してしまった。何分、それを見つけた時の時間帯が時間帯だったので、幽霊かなにかだと思ったのだ。暗闇に、それの両目のみが炯炯と輝いていた。
「出れなくなったんだけど……」と、それは呟いた。喋りかけられて、はじめて、『あ。これは生きてる人だ』と私は認識した。しかし、どうしたことか、それは次いで、「助けを呼んで来てくれないかな、カイリ」と私の名前を呼んだのだ。
途端に私はそれに対して警戒心を抱いた。誰だ、知り合いか?でも、この声に聞き覚えはない。
無言で、動けないらしいそれへと近づく。顔をじっと見ることで、ようやく私はそれの正体に気が付いた。こいつは間田、間田敏和だ。
「たのむよ、誰でもいい。助けを呼んでくれ。」
何も答えない私に、間田が焦ったような声を漏らす。間田敏和。喋ったこともないが、私と同じ学校の、一学年上の男だ。
そんな奴がどうして、私の家と、その隣の空き家の壁に挟まっているのか。その答えは、最近至るところで感じる視線や悪寒を考えれば定かであった。
助けを求め、声を荒げる間田を無視して、私は彼に背中を向ける。
「おい!何処行くんだ!?たすけを、たすけを呼んで来てくれるんだろうな!?」
頬にぽつりと、水滴があたった。そういえば、今日の夜は雨が降ると天気予報で言っていた気がする。
早く干しっぱなしの洗濯を入れてしまおう。

翌朝。カーテンを開くと、窓ガラスが水滴で濡れていた。なかなかの量の雨が降ったらしいが、空にはもう雲一つ浮かんでいない。
気持ちのいい青空にほっとため息をついて、学校へ行く支度を始める。
朝ごはんはお茶漬けにしよう。親と別居暮らしだと、好きなものが食べれる。朝は食が細い私にとって、それはなかなかに快適なことだった。

「……ぃ、……おい。」

朝出ていく時、掠れた男の声が聞こえたので、そちらに目を向ければ、男にしては長めの黒髪をシャワーを浴びたようにぐっしょりとさせた間田敏和がいた。その存在だけを確認して、私は学校への道のりを歩むため、足を進めた。

夕方、帰宅すると、「なあ…」と隙間から泣き声がしたが、目線だけをくれて玄関に手をかける。
相変わらず声はカスカスだ。この周辺は空き家ばかりだということも知らずに助けを求め叫んでいたのだろうか。
すすり泣くような呼び掛けは扉の向こうに掻き消えた。
下駄箱に革靴を入れて、リビングへと向かう。
学生鞄をソファに放り投げると同時、ふいに空腹を感じた。キッチンの鍋に、昨日作ったホワイトシチューが入っているが、 今はどうにもあれを食べる気分にはならなかった。冷しゃぶやそうめんが食べたい。と、いってもこの炎天下だ。今日食べなければ鍋に入ったホワイトシチューは傷んでしまうだろう。さて、どうしようかと考えて、ひとつのアイデアが浮かんだ。
「そうだ。」

窓を開けて、鍋の中の物を外にぶちまける。空に吐き出された熱々のシチューは、宙を舞って下へと落ちていく。次の瞬間悲鳴が聞こえた。
真下を向けば、ホワイトソースで汚れた顔面がそこにあった。唖然とした表情をしたそれと視線が合う。
失敗。床や壁にも飛んでしまった。次からはもう少し考えて生ゴミ処理をしよう。

一日、二日、三日と、日を追うごとに、衰弱しているのか間田敏和は声を出さなくなってきた。
ただ、窓から私が顔を出すと、虚ろな目で口を開けて、舌を突き出す。
その姿はまるで餌を求める水槽の魚みたいだ。
人差し指と親指で摘まんだ生ゴミを狙いを定めて放り込みつつ、間田を観察する。
病的な青白さを伴っていたその肌は薄汚れて汚ならしさを帯びていた。髪にも艶は無く、異臭も鼻をつく。
今にも死にそうな魚を見ている気分だった。
あれが生ゴミになったその時は、昔飼ってた金魚みたいに空き地に埋めてやろう。
渇いた青空に私はふとそう思った。



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