→こんな雨の日には

「はあ」
「どうしました広瀬くん」
「また、雨降らせたなって」
「雨は嫌いではなくなったのでは?」
「嫌いではないけど、好きでもないよ」
「……では、今日は相合い傘で一緒に帰りましょう」
「……どうして今の話がそれに繋がるの?」
「いえ、雨のたびに相合い傘をして帰る約束をすれば、嫌ではなくなるのではないかと」
「俺、今日委員会だから遅くなるけど」
「お待ちしております」
「……君って、俺を浮かれさせる天才だよね」
「? 何かおっしゃいましたか?」
「いーや、何でもない。君が好きだなって再確認しただけ。……あー、またひどくなってきた……」




→君を待つ雨の午後

 雨が降る中、ぼんやりと窓から外を眺める。友人達はとっくに帰宅して、教室に残っているのは風羽一人だけだ。しとしとと屋内に人を閉じ込めるかのように降り続ける雨を見ながら、今日は帰ってからてるてる坊主を作ろうかと風羽は思う。寮生の人数分作って吊せば、何か効果がないだろうか。学園祭も近いから、こうして雨が続くと外飾りの準備が捗らないと実行委員が嘆いていた。

「……おや」

 ずっと外を眺めていたから、雨粒が窓を叩く力が弱まっていくのが分かった。今日は随分と止むのが早い。広瀬が雨を降らせる体質になったばかりの頃は、些細なことで雨が降り出し、夜まで続いていた。最近はあまり持続しない。広瀬の体質が改善されてきたということだろうか。彼にとっては吉報だろうが、風羽は少しばかり残念だ。雨が降ると彼が喜んでいると分かる。それに、こうして一緒に帰る口実もできる。

(恋をすると女は変わるのだと芳子さんはおっしゃっていた。それは、こういうことなのか)

 「君は変わらないよね」と広瀬に言われたことがある。けれど風羽は自分が変化していることに気付いていた。広瀬に恋をしている。その事実がどうしようもなく胸をくすぐる。

「ごめん、遅くなった」

 後ろから投げかけられた声に振り向くと、教室のドアを開いて広瀬が立っていた。今まさに広瀬のことを考えていたから、何となく顔が合わせにくい。

「はい、帰りましょう」

 歩き出す彼の横に並んで覗くように顔を伺うと、広瀬がじっとこちらを見ていた。ぱちりと目が合い、けれど逸らしては負けのような気がして、じいっと見つめ返す。

「何?」
「広瀬くんが見ていたので、見つめ返しています」
「見てても面白いことないと思うけど」
「ならば何故広瀬くんは私を見ていたのですか?」
「そりゃ、君見てると面白いから」
「……複雑です」
「ずっと見てたいくらい面白い」
「私は挑発されているのでしょうか」
「してないよ」

 くすくす笑う広瀬を見ていると、その言葉も嘘っぽく感じる。広瀬は意地悪だ。女の子に向かって「面白い」と言うのは、確実に褒め言葉ではないだろう。

「ごめんって。怒らないでよ」
「怒ってません」
「じゃあこっち向いて」
「さあ帰りましょう広瀬くん」

 わざと少しだけ早足にすると、ぱし、と腕を掴まれる。思わず振り向くと広瀬が困ったように眉を寄せて、恥ずかしそうに笑っていた。

「面白いって言うかね、ただ目が勝手に追ってる。気付いたら君のこと見てるから、理由なんて後付けだよ」

 そう言う広瀬の顔は少しだけ赤い。風羽は掴まれた腕がちりちりと熱を発しているような気がして、何だか落ち着かなかった。広瀬がふれている部分が、自分から切り離されて別の生き物になってしまったかのようだ。

「……広瀬くんは、私を浮かれさせる天才です」

 そのたった一言で、へそを曲げていた自分が融解していくのが分かる。想いが通じ合っていることを感じる瞬間が、堪らなく恥ずかしくて嬉しくて風羽は戸惑ってしまう。これが恋をするということなのだ。風羽はこうしてどんどん広瀬のことを好きになっていく。広瀬もそうだったら良いのに、と思っても、残念ながら今日の雨はもう止み始めていた。広瀬の今の嬉しさは雨を降らすには至っていないらしい。

「雨、止んできたね。今のうちに帰ろう」
「おや、それだと待っていた甲斐がありません」
「え? 何で?」
「相合い傘をして帰る予定でした」
「……」
「雨が止んでしまっては仕方ありませんが」
「じゃあ、もう一回降らせようか」

 きょろきょろと広瀬が辺りを見渡した。もう時間も遅いので、人影なんて全く見当たらない。誰もいない廊下に響くのは、広瀬と風羽の声と足音だけだ。

「どうやっ」

 て、と続けようとした声は、少しだけ屈んだ広瀬の唇に吸い込まれてしまった。最初は唇だけの接触だったのに、掌が伸びてきて風羽の頬を撫でて、柔らかい前髪が風羽のまぶたをくすぐる。突然の口付けに目を丸くする風羽とは反対に、広瀬の目は閉じられていた。思わず見とれていると、

「ほら、降ってきた」

 俺も現金だなと至近距離で広瀬が笑うので、風羽は視線を窓に向けた。止みかけていたはずの雨はまた勢いを取り戻していた。雨粒は木々を揺らし、窓を叩く。これなら少なくとも寮に着くまでに止んだりしないだろう。

「ご希望通り、相合い傘で帰ろっか」

 そう言う広瀬の笑顔は、やっぱり意地悪だった。