::あまやかし



「何故こんな時間に帰ってくるんだ」
「仕方ないでしょ、チケットキャンセル待ちして、無理やり来たんだから」

 早朝の秋葉原駅に、スーツケースひとつを持った紅莉栖がいた。岡部は眠そうにしたまま、やや不機嫌そうに彼女を見つめる。

「それにしてもいきなりだな。どうしたんだ、こんな時期に日本に来るなんて」
「……」

 紅莉栖はむっすりと頬を膨らませたままだった。岡部は段々と目を覚ましてきて、ぱちぱちと瞬きした。紅莉栖は斜め下をじっと見ていて、こちらを少しも見ようとはしない。屈んで顔を覗き込むと、いっそうそうっぽを向いてしまう。

「紅莉栖?」
「……」
「どうした?」
「……別に」
「この構ってちゃんが」
「構ってちゃんじゃない」

 顔をそらして、何があったか聞いてよ、とでも言いたげな態度を見せておきながら、それでも構ってちゃん扱いは嫌なのだと言う。岡部の恋人は人一倍意地っ張りで、強情で、プライドが高いのである。

「……休暇」
「ん?」
「休暇、もらったの。研究が行き詰って、休んでいいって言われて」
「そうか」

 紅莉栖は岡部のTシャツの裾を摘まむと、やわい力でそれを引っ張った。屈んだ岡部の額に自分の額をぴたりとくっつけて、はあ、と息を吐く。何でうまくいかなかったんだろ、と疲れ切った言葉を吐きながら、ぐりぐりと額を押しつけてくる。

「こら、痛いぞ」
「うー……」

 今回は相当参っているようだった。良く見ると目じりに涙が浮かんでいる。岡部が指先でちょいとそれを拭うと、それを隠すように、肩に顔を押し付けてきた。すん、と鼻をすすり、腰にしがみつくように腕を回される。

「これは別に、あんたに会ってほっとしたとか、気が緩んだとかじゃないからな!」
「ツンデレ乙」
「うっさい、ばか」

 こうして明確に甘えられると、どうして良いか分からないと同時に、頼られているのだと実感して胸の奥がくすぐったくなる。あの三週間で、岡部は紅莉栖に頼りっぱなしだった。何度も話を聞いて、そのたびに理解して、信じて、助けてくれた。いつでも「味方」でいてくれた。それにどれだけ救われたか、今ここにいる紅莉栖は知らないけれども。

「大丈夫だ」
「何がよ」
「俺はいつだって、お前の味方だ」

 いつか言われた言葉をそっくりそのまま返すように、岡部はしがみつく紅莉栖にそう告げた。紅莉栖は顔を上げず、たっぷり間をとってから、ん、と小さく頷く。

 ぽんぽんと優しくその背を叩いてやると、紅莉栖はようやく顔を上げた。そして、誤魔化しきれていない隈と、涙が浮かんでゆらゆら揺れている目を見つけて、岡部は苦笑する。小さな子供のようなその姿や態度は、付き合うようになってからようやく彼女が見せてくれるようになったものだ。

「岡部」

 紅莉栖は背伸びをして、岡部の唇のはしにそっとくちづけた。唐突なキスに岡部は驚き、外だぞ、と慌てる。しかし紅莉栖は、人が少ないから、と言って首に腕を回して岡部に抱きついた。

「……岡部」
「何だ?」
「ただいま」
「ああ、おかえり」

 紅莉栖はようやく、甘えることや頼ることを覚えてくれたらしい。そうだ、彼女は自分よりもひとつ年下なのである。だから年上として存分に甘やかしてやらねばなるまい。精一杯自分に言い訳をしながら、岡部は彼女を強く抱きしめ返した。
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