::ぐらぐらハニー



 ぐらり、と体全体が揺らされた。

「……またか」

 岡部はカタカタと震えるラボの壁を見ながら、ソファに寝そべっていた。おもむろに携帯電話を取り出しニュースを確認すると、地震情報は上がっているものの特に問題はなかったようで、ただの余震だと判断して岡部は携帯電話を閉じた。しかし同時にやかましくそれが震え出し、画面を確認せずに着信に応えた。

「もしもし」
「お、岡部?」
「……クリスティーナ?」

 時刻は真夜中。もうそろそろ日付が変わろうかという時間帯である。これが彼女のアメリカ帰省中ならば時差のミスとでも解釈できるが、紅莉栖は長期休みを利用して現在こちらに滞在している。今の時間ならばホテルにいるはずだ。

「こんな時間にどうした?」
「あんた、今どこにいる?」
「どこって、ラボだが」
「今からそっちに行く」
「は?」
「いいから待ってて。動くなよ。絶対ラボから動くなよ! 池袋に帰ったりしたら許さないからなあ!」
「いや待て、この時間にラボに来るのか? 夜道は危ないからやめろ。そもそもこの時間帯にラボに来る必要なんて」
「うるさい! 良いからそこで待ってなさいよ!」

 聞く耳を持たない紅莉栖の様子を電話越しに聞きながら、これはおかしい、と岡部は首をひねる。

「紅莉栖、ひとまず落ち着け。もうこの時間に電車はないから、俺が池袋に帰ることはない。それは確実だ」
「……う、り、理解した」
「だから今晩はラボにいるが、お前がホテルから一人でラボまで来ることは許可できない。理由は先ほど述べた通りだ」
「で、でも」
「それでも、どうしてもラボに来たいというのなら迎えに行く。俺が行くまでホテルの部屋にいろ。良いな?」
「え、む、迎えに? わざわざ?」
 岡部の一言を聞いて一気に冷静になったらしい。いやえっと、そこまでしてもらわなくていい、ちょっと気が動転しちゃっただけで、と、紅莉栖は慌てて自分の発言を撤回しようとする。

 岡部は岡部で自分の発言が、その、いかにもな紳士(笑)発言だったことに気付いて、首元辺りがもぞもぞと痒くなるのを感じていた。まゆり相手だと「自分は保護者だから」という意識の方が先立つが、紅莉栖相手だとそうはいかなかった。「夜道が危ない」という口実は一緒でも、「迎えに行く」という行為に結びつくまでの媒介が違う、と言えばいいだろうか。

「……別に、何でもないならば行かん」
「あ、いや、待って……っ、きゃあっ」

 ぐらりぐらりとまた地面が揺れる、先ほどよりも少し強かった。

「む、迎えに来て岡部!」

 その揺れに後押しされたように、紅莉栖は涙声になってそう訴えた。そして一つ、この電話の理由を思いついて、思わず岡部はそれを口にする。

「もしかして、地震が怖いのか?」
「……うー……」

 悔しげに唸る紅莉栖の声に、岡部はこっそり溜め息を吐いた。怖がりに呆れたわけではなく、素直に認めなかったことに呆れたためだった。岡部は立ち上がり玄関へ向かう。意地っ張りで怖がりな恋人を迎えに行くためだった。


   ***


 ホテルの前に行って携帯電話を鳴らすと、すぐ近くでコール音が聞こえた。影がびくりと震えて、覗き込むとホテルの出口付近に座り込む紅莉栖がいた。

「俺が電話するまで部屋にいろと言っただろうが」
「……岡部!」

 柔らかい髪がふわりと揺れて、涙目になった紅莉栖が立ち上がってこちらへ歩いてくる。そんなに地震が怖かったのだろうか。岡部が首を傾げていると、ひらり、と紅莉栖の足元で何かが揺れた。目を向けると、彼女の着ている服装がいつもと違うことに気付いた。いつものきっちりと体にフィットした白いシャツとホットパンツの組み合わせではなく、足元でひらひらとレースが揺れるワンピースだった。

「……珍しい格好をしているな」

 岡部はいっそう気分が落ち着かなくなる。鎖骨がはっきりと見えるくらい胸元の空いたワンピースは、岡部が今まで一度も見たことが無い服だった。

「もうお風呂入って着替えた後だったから。そういうあんたこそ髪上げてないじゃない……」

 ぷい、とそっぽを向いて、紅莉栖は肩にかけたストールを胸元に引き寄せた。岡部は手櫛で自分の髪を掻き上げるが、ムース無しで髪型が決まるはずもなく、また前髪はだらりと前に落ちる。慌てて出てきたために白衣も着ていない。

「仕方ないだろう。俺もシャワーを浴びた後だ」
「そ、そうね。こんな時間だもんね……」

 いつもと違うお互いの格好に思わず顔を背け合ってしまう。夏の暑さにやられたせいか、じりじりと顔が熱くなるのを岡部は感じていた。

「とにかく、ラボに来るんだろう。行くぞ」
「うん……」

 恥ずかしさを誤魔化すように踵を返すと、紅莉栖は後ろから黙って付いて来た。紅莉栖の足音を聞きながら、それが急ぎ足であることに気付いて岡部は歩くスピードを落とした。

 二人の間にいつもと違う空気が流れていて、何をどう話せばいいのか分からない。フゥーハハハお前が地震を怖がるとはな! とか、言えば良い台詞は次々頭の中に浮かぶのに、喉がからからに乾いて何も言えそうになかった。

 しばらくしてから、く、と腰の辺りが引っ張られた。驚いて振り向くと、紅莉栖が俯いたままで岡部のTシャツの裾を引っ張っていた。

「何だ、どうした」
「……」
「紅莉栖?」
「お、怒ってる?」
「は?」
「だって、さっきから何も話さないから」

 こんな非常識な時間に電話をしたから。ワガママを言ったから怒ってるんでしょうと、紅莉栖はまるで見当違いなことを言い出す。もしかすると先ほど涙目で座り込んでいたのも、地震が怖いというより、呼び出してしまったことへの罪悪感だったのかもしれない。普段見られない殊勝な紅莉栖の様子に、なおさらどう対応していいのか分からなくなる。

 紅莉栖は少し生意気な方がちょうどいい。こんな態度をとられると、徹頭徹尾甘やかしてしまわなければいけないような気がしてくる。これは罠か、罠か、どっきりか。思わず辺りを見渡した。しかし周りは暗いばかりで、人影ひとつ見当たらない。

「怒ってはいないから、そう謝るな。調子が狂う」
「……本当に?」
「本当だ!」
「迷惑じゃない?」
「お前が呼ぶならいつでも来てやるから、安心しろ」
「えっ、な、何言って……!」

 顔を赤くして、紅莉栖はぱっと岡部の裾から手を離した。顔を逸らしておろおろとうろたえ、一歩後ずさる。

「あ、その、アメリカじゃこんなに頻繁に揺れたりしないから! だからちょっと不安になったの! それだけ! この時間にママに電話したりできないし、まゆりは寝てるかもしれないし、そうなったらあんたしかいなくて……。別に、あんたの声が聞きたくなったとか、顔見たら安心できるかなって、思ったわけじゃないからな!」

 いきなり本音が駄々漏れである。岡部は思わず、離れて行った紅莉栖の手を掴んだ。

「お、岡部?」

 戸惑う紅莉栖の顔を見ながら、岡部はどくどくと高鳴ってうるさい心臓を抑えるのに必死だった。思いっきり抱きしめて、キスをしたかった。かつて紅莉栖を頼るばかりだった自分に紅莉栖が頼ってきているという事実が、どうしようもなく独占欲や支配欲をちくちく刺激するのだ。紅莉栖は戸惑いを浮かべたまま、意を決したようにぎゅっと岡部の手を握り返す。緊張を抑えるようにこくりと喉を鳴らす紅莉栖を見て、岡部はもう片方の手で彼女の肩を引き寄せた。

「ふぇっ、あ、ちょっと……!」

 その勢いで紅莉栖の肩にかかっていた薄地のストールが滑り、地面に落ちて行った。目でそれを追う紅莉栖を、岡部は腕の中へ閉じ込める。むき出しになった肩に意図せず唇が触れて、紅莉栖はびくりと肩をすくませた。

 少し強い力に、紅莉栖は、ん、と声を漏らす。ぴったりと体がくっついて、その部分からじりじりと熱くなっていくように感じた。頬を紅莉栖の髪に擦りつけると、シャンプーの匂いがいつもより強く、首元に鼻を寄せてその匂いを吸い込んだ。じっとりと汗ばんだ肌に、幾らか髪が張り付いていた。

「ちょ、ばかっ、嗅ぐなあっ……」

 恥ずかしがって紅莉栖は離れようとするが、岡部はそれを遮るようにいっそう強く紅莉栖を抱きすくめてしまう。

 甘い匂いがした。くらくらと、目の前が眩むくらい甘い匂いだった。

「岡部っ、待て! こんなところで」
「紅莉栖」
「だ、だめ……だってば……」

 名前を呼ばれて紅莉栖は顔を上げると、岡部は少しだけ体を離し、強く肩を抱いていた手を紅莉栖の腰に添えた。顔がしっかり見える距離で抱き合っていると、先ほどよりもずっと恥ずかしく感じてしまい、紅莉栖は結局顔を俯ける羽目になる。

「こっちを向け」
「……は、恥ずかしい、からっ」

 俯く紅莉栖の顎に指が伸びて来て、ゆっくりとそのラインをなぞる。それがくすぐったくなって思わず顔を上げると、真剣な目をした岡部がじっと紅莉栖を見ていた。ゆっくりと近づいてくるのが分かって、紅莉栖は観念して目を閉じた。

「ん……」

 あつく、湿った唇がふれる。紅莉栖の長いまつげが瞼にあたった。少しだけ目を開けて紅莉栖を見ると、紅莉栖は頬を赤くして、ぴたりと目を閉じて、従順に口付けを受け入れていた。時折息継ぎをするように離れても、すぐにどちらからともなく、ちゅ、と音を立てて唇をふれ合わせた。

 苦しげな吐息を抑え込むように深くキスをすると、紅莉栖は少し体をこわばらせながら、ぎゅっとこちらの肩を掴んでくる。甘えるようなその仕草に、もう少し、もう少し、と思って、そっと舌をさしいれると、固い歯に侵入を拒まれた。

「ふ、あ」

 しかし驚いて口を開けたその隙を見て、にゅるり、と舌を滑り込ませる。すぐに紅莉栖の、自分より小さな舌に行きあたった。じっとりと熱い、普段ふれられる部位とは全く違うその感触を夢中になって追ううちに、紅莉栖は苦しげな声を上げるだけになる。

「ん、ふぁ、んん」

 しずかな夜の道で、お互いの唾液の混ざりあう音だけが聴覚を支配していた。くちゅ、くちゅ、と卑猥な音ばかりが聞こえる。周りに響いて聞かれてしまうのではないかという背徳感を感じながら、紅莉栖はその背中に強くしがみついた。

「あ……んっ」

 唇の裏側を舌でなぶられ、紅莉栖はふにゃりと力が抜けるのを感じた。それに気付いた岡部は咄嗟に紅莉栖の体を支え、気まり悪そうに目を逸らす。

「わ、悪い……。調子に乗った」
「はあ……、もう、ばかっ! 立てないじゃない!」

 くったりと岡部に寄りかかって、紅莉栖は恨みがましく岡部を見上げた。岡部は岡部で、紅莉栖の顔を見ようと視線を下げればそのまま胸元まで目に入ってしまうため、顔を逸らすしかなかない。二つのふくらみのすきまにちらりと白い下着が見えた。ワンピースを俯瞰するのは良くない、としみじみ感じた岡部であった。

「馬鹿、岡部の馬鹿」

 先ほどの艶っぽい表情はどこへやら、一変して不機嫌そうに、紅莉栖は頬を膨らませた。俺のせいか、と憤慨しそうになってから、どう考えても自分のせいだと思い当って岡部は黙り込んだ。道端で盛るほど飢えていたのか。野獣か俺は。

 紅莉栖はまだうまく立てないらしく、岡部の腰にしっかり腕を回してしがみついていた。胸元に顔をうずめているせいで紅莉栖の表情は見えず、とりあえず気の済むまではこのままでいてやろうと思い、岡部はそっと紅莉栖の背中を撫でてやった。

「……岡部」
「……何だ?」
「、その」

 言いにくそうにもじもじと恥じらう紅莉栖は、しばらく迷った後に、ごくごく小さな声で囁いた。

「あと、いっかい、だけ……」

 恥ずかしげに告げられたリクエストに、岡部は従順に応えることにした。
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