風羽が烏天狗に師事しようと決意したのは、広瀬と出会ってから四年後、真新しい中学校の制服に袖を通した頃だった。
「お願いします、私を弟子にしてください!」
「……また来たんか」
 烏天狗は呆れた顔で、大きくため息を吐いた。広瀬と出会ってから十九波と連絡を取り合い、何事かを画策していたのはなんとなく知っていたが、それに烏天狗までもを巻き込もうとしているとは思わなかった。
「ニャンコちゃんに何吹き込まれたかは知らんが、お前の微弱な浄化体質程度で現状が解決するわけないわ」
「どうにかならないのが現状ならば、未来は変えられるはずです」
「おいチビ、広瀬の事情についてどこまで知っとるんや?」
「とてもたいへんな思いをしていらっしゃるということと、私の浄化体質というものが、役に立つかもしれないというお話は聞きました」
「アホか」
 心底くだらないと見下しながら、烏天狗は木から下りてくる。その黒い羽根が広がると、幼い風羽の頬に影を落とした。
「たったそれだけしか知らんで、役に立てると確定したわけでも無し。ほんまアホやな。……お前は可能性に過ぎん。その可能性に賭けられるほどの時間が、広瀬にあるかどうかも分からん」
「……」
「感情に振り回されて状況を見誤るほど間抜けなことはないわ。お前はただちょっと年の近い男に優しくされて酔っとるだけで、自分が何か出来るかもしれないっちゅうヒロイズムに侵されとるだけや。それにお前が気を揉まんでも、広瀬のことは烏天狗が打開策を探っとる。人間のお前が関わる必要はない」
 烏天狗のはっきりとした拒絶に、風羽は顔を俯かせた。いまだに幼さの残る少女には酷かとも思ったが、ここで言っておかななければ彼女は諦めないだろう。菅野の女は本当に厄介なのだ。
「……十九波さんから、聞いたお話があります」
「何や」
「私の浄化体質についての話です」
 烏天狗は彼女の言葉に目を見開く。顔を上げて真っ直ぐにこちらを見る風羽の顔は、彼の知る彼女の母親のものと似ていた。
「……どういうことや」
「十九波さんが、私の体質の奇妙さを指摘なさったのです。浄化体質なのに妖怪の姿が見える。けれど、声を聞くことはできない。これは一体何故なのかと。そして、どうやら私の浄化体質は、後から上書きされたものらしいことが判明いたしました」
「……」
「浄化体質の内側に無穢体質という、妖怪が見える体質が隠れていたそうなのです。十九波さんは、強い浄化体質のものと接触したせいかもしれないとおっしゃっていましたが、それならば何故、完全に上書きされず、無穢体質も中途半端に持ち合わせていたのか、ということは分からないご様子でした」
「……それで?」
「思い出したのです。ずっと幼いころ、母が死んですぐの夏に、あなたにお会いしたことを」
 烏天狗は眉を寄せた。もうとっくに忘れてしまったと思っていたのに、彼女はあの出会いを覚えているようだ。
「あの時は、確か人の姿をしていらっしゃいましたね。妖怪が人間に化けるとき、その力をセーブするというお話も聞きました。恐らく、私の体質はあなたによって中途半端に浄化体質に上書きされたのでしょう」
「……それで、その話を持ち出して、俺に何を言いたいんや」
 まだるっこしいことは止めろとばかりに、烏天狗は話を打ち切らせる。風羽は挑むような視線を烏天狗に向けたまま、続けた。
「あなたが私の体質を上書きしなければ、この一本の線は繋がりませんでした。……私が優希くんの力になれるかもしれないという、その可能性は、生まれませんでした」
 風羽の体質が浄化体質になったこと。広瀬が月宿の土地に来たこと。そして、正反対の体質を持つ二人が出会ったこと。
 その発端は烏天狗にあるのだから、責任を取れということか。全く、恋する女は厄介だ。想う男のためならどこまでもその心を醜くさせる。
「……ほんまに厄介やな」
 母親によく似たまなざしを見ながら、烏天狗はため息を吐いた。
「烏天狗殿」
「あー、分かった分かった。ええわ。面倒見たる」
「! ほんとうですか!」
「ただし、音を上げたり逃げたりしたら、お前から俺ら妖怪に関する記憶と広瀬の記憶抜いてポイや。ええな」
「はい。菅野風羽、粉骨砕身の覚悟で挑みます!」


(番外編「烏天狗の憂鬱」より)