受かったよ、という嬉しげな広瀬の言葉に、風羽もほっと安堵の息を吐いた。

「私もです」

 ぶい、とピースサインをして見せると、広瀬はくすくす笑いながらその立てられた指を掴み、「やったね」と言う。外見に表れているよりもずっと喜びが大きいらしい。子供のような無邪気ないたずらに、風羽も指を絡めることで答える。冬の冷たい空気の中では、互いの手が擦れ合う感覚が少しだけ痛い。

「まあお互い、成績的にはあまり心配なかったけど。結果が出るまでは緊張するね」
「万が一がありますからね」
「その万が一もなく、無事合格。これで長かった受験も終わりか。やっと気が抜ける……」
「はい。後は卒業式ですね。広瀬くん、答辞は進んでいますか?」
「まあね。最初は嫌で仕方がなかったけど、断れそうになかったし、やれるだけのことはやるつもり。今度読む練習するから付き合ってね」
「御意。一番に広瀬くんの答辞聞けるとは光栄です」
「……噛んでも笑わないでよ?」
「ふふ、善処します」

 冷たい空気に寄り添うように、ぱた、と雫が頬に落ちてくる。悲喜交々の受験生達へ雨は等しく降り注ぎ、風羽は慌てて鞄の中を漁った。しかし目当てのものを見つけるより早く、風羽の頭の少し上でぱっと何かが開き、不躾に体温を奪おうとする雨から守ってくれた。広瀬の折り畳み傘だ。

「準備が良いです」
「なんせ雨男だからね」
「そんなに受かったことが嬉しかったのですか?」

 広瀬の中の主の力は殆ど抜けてしまい、もう雨を降らせることも殆ど無い。それを知っていながらもからかうような口調で風羽が言うと、広瀬はややむっとしてから、少し考えて、今度はとびっきり意地の悪い笑顔を風羽に向け、ぐいとその体を傘の中へ引き込んだ。

「……嬉しいよ。君と同じ大学に受かったことが」

 少しだけ低い声で耳のおくに直接囁かれ、風羽は体を硬直させる。傘と広瀬によって雨からは守られているが、もっと厄介なものに捕まってしまった気がした。

「さ、帰ろうか。米原先生に報告しなくちゃ」
「法月先輩と千木良先輩にも報告したいです」
「俺の携帯で連絡しよう」

 風羽はまた活躍させてやれなかった、鞄の中の折り畳み傘にひっそりと謝罪を向けながら、傘の柄を握る広瀬の腕にそっと体を寄せる。次は必ず広瀬よりも早く雨に気付いて出してやろうと思う。彼らには、それぞれが傘をさして歩くという選択肢が存在しない。

「部屋を探さなくてはいけませんね」
「一人暮らしの予定?」
「実家からは遠いですから」
「……あの、さ」
「はい?」
「いや、何でもない」
「広瀬くんは一人暮らしですか?」
「そのつもりだよ」
「おお、ならば一緒に住みますか」

 ゲホッ、と広瀬が咳き込み、風羽は目を丸くした。まさかこの雨で体を冷やしてしまったのだろうか。それとも。

「もしや久々の差し込み!」
「いや違う! 違うから落ち着いて! ……はあ……」
「? どうかしましたか?」
「いやね、君に一般的な何かを求めるのは間違いだって、この三年で分かってた、分かってたさ、うん。ハハ」
「……もしや馬鹿にされているのでしょうか」
「してないよ。そういうところも好きだって話」

 広瀬は大きく溜め息を吐いて、風羽に向き直る。一つの傘の中にいるから、ふたりの距離はとても近い。風羽は付き合いだした頃より少しだけ高くなった広瀬の目を真っ直ぐ見つめた。

「一緒に暮らそうか、風羽さん」

 そっと手のひらで包み込むように名を呼ばれ、風羽は寒さでぴりぴりする頬が熱くなったように感じた。広瀬はそんな風羽をからかうことなく優しく見守っていて、それが風羽にはくすぐったくて仕方がない。

「……プロポーズのようです」
「それは経済的に自立してからね。明日にでも、二人で住める部屋、探しに行こうか」
「、はい!」

 風羽が広瀬を見上げて心から微笑むと、今度は広瀬の頬が赤くなる。こっちにおいでと引き寄せられて、二人は傘の中で密やかにキスを交わした。