多分、一番に目を覚ましたのは自分だった。まだ薄暗い病室に響くのは自身の呼吸音だけで、何度か瞬きをしてみた。白い天井をぼんやりと見上げながら体を起こそうとすれば、右腕がビリビリと痛む。いてえ、と漏らした声は間抜けで、情けないものだったけれど、まあ、不可抗力だ。全治までどのくらいかかるかなんてさっぱり分からないけれど、本当にひどい怪我をしたのだから。それに男しかいない上、全員が大口開けて寝ているような空間で格好つけたって、何の意味もありゃしないよ、全く。

 最後まで強情だった本田が膝を折って地に伏せたのを見て、安堵の溜息を吐いたのは多分、俺だけじゃない。アルフレッドは自身もボロボロだったくせに彼を抱えて病院に連れて行き、王は唇を噛み締めてそれを見送った。イヴァンの表情からは相変わらず何を考えているのか読めなかったけれど、指先はもう固い拳を握ってはいなかった。フェリシアーノは幼い子供のように泣きじゃくり、ルートヴィッヒは黙ってその場に立ち尽くしていた。俺達はもう満身創痍で、立っていることすら困難であったように思う。嘆きの声がひっきりなしに響く。俺の国から、味方の国から、敵の国から。もうすぐその区分は無くなるだろう。とりあえず、この大きな戦いの中においては。

 治療をして、休息を取らなければいけない。誰がそう言ったかは覚えていないけれど、皆がそれに頷いた。病院のベッドは祖国にある俺のものに比べたら随分と固かったけれど、疲弊しきった体には漂白された白いシーツが何よりも優しく見えた。その上にばたりと倒れこみ、そのまま眠った。そしてどうやら、俺は夜明け前に目を覚ましたらしい。

 カーテンで仕切った向こう側には、アーサーがいるはずだ。そう言えば、アーサーはあの時、どんな顔をしていただろうか。良く覚えていない。かつて同盟を組み、友人であったという本田が、国民のためと最後まで無謀なたたかいに身を投じていたのを見ながら、アーサーはいつも眉を寄せていた。俺達という存在はいつも人間に振り回されて、誰かと仲良くなっては離れる、なんて現象は日常茶飯事だ。けれど、仲良くしてたこと自体を忘れることはない。アーサーが本田を殊に気にしていたのは、かつて彼が孤独であったとき、その手を取ったのが本田であったからなのだろう。アーサーはあれで寂しがりだから、手を伸ばしてくれた相手や、手を掴んでくれたには滅法甘い。例えそこに彼らの上司の策略が隠れていたとしても、彼らは互いの家を訪れる程に仲良くしていたし、二人の同盟が破棄されると決まったとき、本田とアーサーの顔は、ひどく暗かった。

 遠く離れた彼らは、同盟の破棄の後、やはり関係を悪化させていった。俺達はいつだって人に振り回されてばかりで、でもどうにも「そういうもの」だと割り切って考えることは苦手だった。アーサーは特にそうだ。アルフレッドに対しても、本田に対しても、そしてこの俺に対しても。

 ぼんやりと布団の上の左手を眺めた。開いたり閉じたり、幼児の一人遊びみたいに繰り返していたら、早いな、と声をかけられた。アーサーだった。カーテンの向こうの気配が揺れる。

「坊ちゃんこそ」
「目が醒めたんだよ」

 カーテンが質量のある音と共に開かれると、寝癖をつけたまま、間抜け面のアーサーが欠伸をしながらこちらを見ていた。膝を抱えるようにしてベッドに腰掛けて、じいとこちらを見る。なあに、惚れ直してるのアーサー。ふざけて言えば元々惚れちゃいねえよと厳しいお言葉。全く可愛げのない。

「……なあ、フラン」
「……何?」

 しかし珍しく幼い頃のような甘えたな呼び名で呼ばれれば、俺もどこか甘やかすような声色になってしまう。喧嘩して時には本気で殺し合って、長い長い歴史の中で数え切れないくらい馬鹿やってきた俺達だけど、やはり幼い頃の思い出は捨てられないものなのだ。何かきっかけがあれば、不意にあの頃の面影が過ぎる。今のアーサーはどう見ても立派な青年なのに、彼の呼ぶ「フラン」の目には幼い金色毛虫が映っていた。背を丸めているところなんかほんと毛虫みたい。ふ、と口に笑みが零れた。

 ためらうように口を噤み、きゅうと唇を噛み締めた金色の毛虫は、俺を真直ぐに見ていた。「たすけて」と縋るような情けない表情だった。

「菊は……本田は、さ」

 縋る幼い口調とは裏腹に、低い青年の声で紡がれた第三者の名は、容易に俺の目の前の幻想を打破った。少年のアーサーは姿を消して、青年のアーサーが姿を表す。そりゃそうだ、だって、金色毛虫のあいつは、本田のことを知らない。本田の名前を知っているのは、すっかり可愛げをなくしてしまった大人のアーサーだけだからだ。

「目を、覚ますのかな」

 祈るように指を絡ませ、アーサーはそう言った。俺はいつものように軽い返事をしようとして、失敗した。

「大丈夫なんじゃない」

 突き放すような乱暴な口調で、そのくせ震えてしまった声にアーサーは目を見張る。お前らしくない、なんて言われたら発狂してしまいそうだ。何だよ、俺なら気休めの言葉を、無責任に安心させるような言葉を言ってくれるだろうって期待してるの、坊ちゃん。あああもう。

「……悪い」

 アーサーは突然苛立った俺の様子に驚いた珍しく素直に謝った。気まずい空気が流れて、アーサーはそれを振り払うように、二度寝する、と言ってカーテンを閉じた。こちらに背を向けて寝転んだのが、気配で分かった。

 俺は自分の大人気ない態度に呆れながらも驚いて、「……疲れてんのかな」と、アーサーに聞こえるように言い訳を呟いた。疲れてるんだ、だから些細なことに苛立っちまうんだよ。許しを請うような情けない行為に尚更惨めな気分になってくる。

 俺達は人に振り回されてばかりで、でもだからと言って人間の関与しない場所において完全なコミュニケーションが取れるというわけではなかった。俺達も人と似て不器用で、他者と繋がりたがるくせに繋がれない。俺達は結局のところ、人間とも俺達繋がれないで、けれども繋がりたくて足掻いているのだと思う。

 だから、明日になればきっと俺は何もなかったかのような顔で、おはようアーサー、そういや本田はどうしたのかな、おいアルフレッド、面会はできんのかよ、なんて言って、いつものように軽く笑うのだろう。俺が俺として世界に存在するために、俺がこの世界と、どうにか繋がっているために。それが無駄な足掻きだと知りながらも、俺がそうせざるを得ないのは、とどのつまり、俺が俺達とこの世界を愛しているからなのだろう。叶いっこない永遠の片思いを思って、俺はほんのちょっとだけ泣きたくなった。