「見つけた」

 メロがにんまりと笑んで見せ付けたのは対のトランシーバーだった。

「近くのゴミ捨て場にあった。おもしろそうだから拾って来た」

 珍しく饒舌に語るメロをニアは横目に眺めた。ニアはパズルのピースを一つ埋めた。どこから引っ張り出してきたのか、数種類の工具を持ち出してメロはトランシーバーを分解し始めた。ニアはその隣で引き続きパズルをしていた。

「危ないと思います」

 ニアは無駄だと自覚しながらも、分解を続けるメロを咎めた。メロは分解に夢中で聞いていなかった。違う意味で無駄だったと気付き、ニアはそれから黙ってパズルのピースを拾う。パチ、とピースが組み合う音と、メロが工具を扱うガチャガチャという音だけがあった。

「メロ、遊ぼうよ」

 ニアとメロの部屋を訪れそう言った子供もいた。メロは「後でな」と言って追い返した。ニアは「聞こえてるんじゃないか」と思ったけれど口にするのはやめた。単に面倒だったことと、きっとまたメロは聞かないだろうと思ったのが理由だった。

 ニアが今日三十二回目のパズルを完成させたときだった。左上に「L」の文字が現れる。ニアがパズルの板を持ち上げ、それをひっくり返そうとしたときだった。

「できた!」

 ニアは手を止める。メロは工具を放って、一つトランシーバーを掴んで耳に当てた。もう一方は右手の中だ。ゴム製のボタンを押して音を確認している。ザアザアとノイズ音ばかりが聞こえた。だが先ほどの、何も音がしなかった状態よりは何倍も良かった。

「直せたぞ」

 誇るように、メロは笑った。

「そうですか」

 ニアはパズルを返し、床にピースをぶちまけた。メロは立ち上がって部屋を出た。ばたん、と乱暴にドアが閉まる。ニアは気にせずまたパズルを始めた。メロはすぐに戻ってきた。ニアの姿を見、はあ、と大げさに溜息を吐いた。

「仕方ないから、ニアでいい」

 で、というのが気になったが、それよりも主語の方がニアは知りたかった。一体何が、ニアでいいと言うのだろうか。

「何がですか」
「これ」

 トランシーバーの片方を渡される。とりあえず受け取った。皆外にいるんだ、とメロは言った。メロは遊んでいる子供を無理やり自分に付き合わせることはしない子供だった。メロはすぐにもう一つを耳に当ててボタンを押した。

「ニアもしろよ」
「……」

 床に散らばったままのピースを名残惜しそうに見つつ、ニアはトランシーバーに耳を寄せる。黄色いゴムのボタンを押すとガガガ、と引っ掻くような音がした。

「聞こえる?」
「こんなに近いと肉声の方が聞こえます」

 ニアが言うと、メロはぱたぱた駆けてドアを開け、廊下へ出た。ニアはボタンを押したままメロを見送り、またパズルを始めた。片腕があればパズルはできた。

 ノイズに混ざったメロの声が聞こえた。どうやらメロはきちんと修理できたようだった。

「ハローハロー、ニア。聞こえますか」

 幾分楽しげなメロの声が聞こえる。こんなに機嫌がいいメロも、ニアとこんな風にしたがるメロも珍しかった。ニアは少し驚きつつ、パズルを解く手を休めずに答えた。

「はい、聞こえます。メロ」

 メロの足音が少しずつ遠ざかっていく。メロはどうやらどこまでトランシーバーが音を届けられるのかを知りたいらしかった。

「ハローハロー、ニア」
「はい、聞こえます」
「ニアはまだパズルか?」
「はい、聞こえます」
「よく飽きないな」
「はい、聞こえます」
「返事にバリエーションが無い。捻ってみろよ」
「面倒です」
「それくらいできるだろ」
「面倒です」
「本当に、なんでお前はそれで百点が取れるんだ」
「面倒です」
「またバリエーションが無い」
「じゃあ切ります」
「待て。ばかニ」

 ア、が聞こえる前に通信が切れた。切ったのはニアではない。ニアは目を丸くしながらトランシーバーを見つめた。首を傾げつつ、またそのうち連絡が入るだろうと思ってトランシーバーを横に置き、パズルを埋めた。しかし三十三回目のパズルが完成してもメロからの連絡は入らなかった。

「……」

 さすがにおかしい、と思った。ニアはトランシーバーを拾い上げる。ボタンを押すとノイズしか聞こえなかった。

「……ハローハロー。メロ。聞こえますか」

 面倒くさがらずに言った。けれど返ってくるのはノイズ音ばかりだ。ニアは仕方なく立ち上がった。ついでにメロのベッドの脇からビニール袋を持ち出した。途中で荷造りに使われる頑丈なロープをロジャーから貰った。何に使うのか尋ねられて念のためです、と答えた。

「メロがどこへ行ったか知りませんか」

 日陰に座り込んだリンダに尋ねる。突然のニアにリンダは目を瞠った(何と言ってもニアが外に出たことなんて、ハウスの大掃除の日以外に見たことが無いのだ)が、裏の森の方に、と答えた。

「ありがとうございます」

 ニアは裏の森へ向かった。なんとなくメロがどんな状態なのかが分かった。ふとそのとき、自分がトランシーバーを握ったままだったことに気付いた。部屋に戻しに行くのは面倒だったのでそのまま持って行くことにした。

 裏の森は閑散としていた。奥へ行き過ぎると危険なため、ある程度の位置にロープが張ってあった。しかしメロは気にせずその奥まで行く。ニアも気にせずにロープを越えた。

「メロ、メロ」

 ニアが足元に用心しながら歩いていると、大きくくぼみになっている所を見つけた。そろそろと中を覗き込むと、地面の茶に混じらない金髪が見えた。メロだった。ただ名を呼ぶのではまた捻りがないとメロに言われそうだとニアは思った。

「ハローハロー、メロ。聞こえますか」

 わざとそう言った、メロはぱっと顔を上げた。ニアと目が合い、ばつが悪そうにトランシーバーを握った。ボタンは押していなかった。

「ハローハロー、ニア。救援要請です」

 ちょうど電波が届かなくなった位置だったようだ。ニアは持ってきたロープを近くの木に括りつけ、それをメロの方へ垂らした。どこも怪我はしていなかったようで、メロはすぐに上がって来た。

「間抜けだった」
「本当ですね」
「……ニアに言われると腹が立つ」
「そうですか」

 ニアはメロが上がりきるのを確認してロープを解いた。ニアがロープを持つのを見てメロはそれを奪い取る。肩にかけてちらりとニアを見た。

「借りは返す」

 ふい、とそっぽを向いた。ずんずんと歩くメロをニアは追いかける。

「メロ」
「何だよ」
「どうぞ」

 ニアは持っていたビニール袋をメロへ押し付けた。突然のことで歩みが鈍ったメロをニアは追い越す。がさがさと袋の中身を漁る音がした。

「……ニア」

 メロがニアを呼ぶ。ニアは振り向いた。

「今日、メロは朝から一度もチョコレートを食べていません」
 さも当然のように言った。メロはチョコレートとニアを交互に見た。

「そう言えば、そうだったな」

 ニアは眉を寄せて笑った。いつものように包み紙を剥がしてチョコレートに齧り付いた。

「ニア」
「何ですか」
「今日の夕飯、何かやる」
「じゃあブロッコリーをください。今日はシチューらしいので」
「それで貸し借りなしだ」
「分かりました」

 メロがニアに並んだ。並んで歩くのは何ヶ月ぶりだろうか。メロはトランシーバーを片手にチョコレートに齧り付いた。ふざけるようにトランシーバーのボタンを押す。

「ハローハロー、ニア。聞こえますか」

 肉声がはっきりと聞こえる。ノイズに混じったくぐもったメロの声ではなかった。ニアもメロに習ってトランシーバーを片手に持つ。こう言った馬鹿げた遊びも、たまには楽しいものだった。

「はい、聞こえます。メロ」

 隣で、チョコレートの割れる音がした。