妹は奔放かつ無邪気で無垢。それに対して兄は保守的かつ引っ込み思案だった。自然と可愛げのある妹の方に人は集まるし、幼い割に陰鬱な兄は家へ籠もることが多くなった。双子で、同じ顔で、違う性。似た声は両親ですら違える程だったのに、高く澄んだ笑い声は次第に片方から失われていった。

 兄は妹を愛していたけれど、同時にどこかで疎んでいた。羨みが妬みに変わったと言っても過言では無い。鬼子を産める女児は鬼の中では貴重だ。それが純血の者なら尚のこと。兄の方もそれは理解していた。だが、心のどこかで納得できていなかった。無垢であること。女であること。時としてそれらは全ての免罪符となる。兄はそれがひどく気にくわない。

 何故妹ばかりが優遇されるのか。
 何故兄ばかりが冷遇されるのか。

 いつしか兄は妹に辛く当たってしまうことが増えた。家の奥に籠もって書物ばかり読んでいた兄は妹に比べれば随分聡明で、言い負かすことは容易なことだった。兄に理不尽に責め立てられわんわんと大きな声で泣く妹を見て、兄はこの上ない悦楽を覚えた。思えば、兄の精神が歪む兆しはこの頃から現れていたのだ。

 だがいつもいつも、悦楽と共に余計な感情が生まれるのも、事実だった。

 妹を泣かせると、大概母や父に叱られた。利口な兄は何も弁解することなくただだだ申し訳なさそうに頭を下げるだけだったので、母も父も反省を認め説教もそこそこにして解放する。千鶴が何かわがままを言ったのかしらという結論に至るくせに、彼らは妹を叱責することは殆ど無かった。それがまた、兄の心に小さなしこりを残していく。

「か、かおる」
「……何」

 縁側でぼうっと夕日を眺めていると、妹は兄へ近付いてきた。おずおずと情けない表情でこちらを窺う「これ」が、自分と同じ純血の鬼だなんて。

 妹は恐る恐る兄の隣へ腰掛けた。本当に、妹は愚かだと思う。ついさっき自分を言い負かした相手のそばにのこのこやって来るとは。兄は妹のこの愚鈍さもまた厭う。純朴であることで全ての罪が赦されるのかと罵りたくなる。

「かおる、わたしね」

 だがその先に紡がれる言葉を、兄は知っている。いつも同じ言葉だ。だから兄は、いつも。

「かおるのこと、だいすきよ」

 ――いつだって、罪悪感を抱かざるを得ない。

 苛立ちを理不尽にぶつけて罵倒して突き放すのに、妹はいつだってこんなことを言う。もう莫迦なんて言葉では足りないくらいの莫迦だった。本当に自分と同じ細胞を分かち同じ腹の中で十月十日を過ごしたのか疑いたくなる。同じように罵り突き放せばいいのに。いっそ恐れて近付かなくなればいいのに。

 妹は黙って双子の片割れの隣に座っている。兄は俯いたまま顔を上げることができなかった。罪悪感が胸を差す。そしていつも気付かされるのだ。自分にとって妹がどれだけ必要なものかということに。

 罪悪感と共に、いとしさが胸を包んだ。何度突き放しても近付きそばに寄ってくる妹は、兄の歪みを元に戻す特効薬でもあったのだ。刺々しかった心が平静を取り戻し、妹に対する愛情までもが胸に帰る。

 結局のところ、妹は兄の葛藤や虚無を知ることも理解することもない。そんな日はけしてやって来ない。だが、こうして兄のすぐそばまでやって来て、いつまでも見放さないで、兄と同じ場所に降りてこれるのはたった一人、この妹しかいないのだ。

 双子とは、厄介なものだ。大した根拠もないのに周りからはけして知ることのできぬ絆で繋がれている。そしてその絆は目に写るものでもないのに、すがりつくのに十分な堅固さを内包するのだ。だから妹は何度となく繰り返す。自身の片割れの本質を暴き出し包み守る。

 それが無意識の行為であったとしても、妹は確かに兄の心を救ったのだ。

「かおる……?」

 兄は僅かに妹の方を見やる。そしてふ、と笑みを零した。掌を差し出せば、それが兄の焦燥と苛立ちが収まった合図、仲直りのあかしだった。

「にいさまって呼べって、いつも言ってるのに」

 優しく咎めるように言うと、妹は嬉しそうに笑って「かおるにいさま」と言った。兄が立ち上がれば、妹も立ち上がる。そしていつもの散歩道を、夕焼けを眺めながら並んで歩く。

「かおるにいさま」
「何? 千鶴」
「だいすきだよ」
「知ってる」

 何度突き放しても近付きそばに寄ってくる妹は、兄の歪みを元に戻す特効薬であった。名を呼ぶあまやかな声は兄に情を取り戻させた。だから、兄にとって妹はかけがえのない愛しい存在だった。


 だからだろう、と兄は思う。


 妹と引き離され南雲家の養子となった自分がこうまでも歪んでしまったのは、妹がそばにいなかったからだろうと。

 兄の歪みを正し愛情を示すしるべである妹が、そばにいなかったからだろうと。

 今目の前に対峙する妹とその男とを見て、もう二度と妹の唇から、兄を必要とする言葉が出ないことを知る。

 差し伸べた掌は振り払われた。

 兄は自身の夢見る幸福が得られぬものだと知り、妹と見た夕焼けを思い出しながら薄く笑んでみせる。



 もう、仲直りはできそうになかった。