彼女の中に魂を宿すようになってから、毎日の濃度が薄くなったような気がしている。体を持たない魂だけの存在というものは、こんなにも自己が曖昧になるのか。自分の意思に従って動く手足がない。体がない。あるのは心ひとつだ。世界を見るにも彼女の視線を使う。彼女の見る方を見るしかない。それよりも下や上が見たいと思っても見られない。法月に出来るのは彼女が動くのを黙って眺めることだけだ。

 しかし不便さは不思議と感じなかった。彼女の意識に溶けて、浸透し、馴染んでいくのを感じるからだ。彼女の中にたゆたう、大きな海の中にいるような安心感に包まれて、法月はいつもじっとりと目を閉じている。

 この形に納得したわけではない。彼女の未来を全て奪い取ってしまうようなこの生き方は、けして喜ぶべきものではない。けれど彼女の自分を呼ぶ声がいつも切実な祈りに満ちているから、もう、壊してくれと頼めなくなってしまった。

(法月先輩、法月先輩)
(……どうしたの、スガちゃん)
(いえ、起きていらしたのなら良いのです)
(うん?)
(最近随分と長く眠っていらっしゃるような気がしましたので)
(そうなの?)
(ええ。最近は二日に一回ほどしか、一日起きていらっしゃる日がありません)

 彼女が視線を上げてカレンダーを見る。確かにそこに書かれたバッテンの数は、以前に比べて随分と増えている気がする。とはいっても、最後にカレンダーを見たのがいつか判然としないので、はっきり何日過ぎているのかは分からなかった。

(全然気付かなかったや。ごめんね)
(いいえ。以前は起きていても話してくださいませんでしたから。それに比べれば、こうして会話してくださる方が嬉しいです)
(もう、意地悪言わないでよ)
(ふふふ、申し訳ありません)

 彼女の中にいることに慣れてしまったのだろうか。日々の濃度が薄く感じるのはそのせいかもしれない。以前は毎日感じていたものを、今は二日に一回程度しか感じないのだから。それに、いくら彼女の体に馴染んでも、彼女というフィルターを通してしか世界を見られないのだから。

(……先輩?)
(ああ、うん。どうしたの?)

 生きていたときとは違う。体の上から、下から、左右から、彼女の声が響いてくる。だから海のように感じるのだ、と思う。海の中に潜っていると、波の音や人の飛び込む音が全身に感じ取れる。そのときと今の環境は似ていた。

(また、随分と眠そうにしていらっしゃいます)
(あ、そうだね……。少し眠いかも)
(あまり眠っていてばかりでは退屈してしまいます)
(それなら俺じゃなくて、他のみんなとも話しなよ)
(話しています。法月先輩の寝ていらっしゃる間に)

 いつもよりも少し強い、とげのある言い方に、法月はどこか違和感を覚えた。

(……どうしたの?)
(え?)
(いつもはそんな言い方しないのに)
(、あ、いえ、申し訳ありません。眠いのをお邪魔してしまって)
(スガちゃんが起きててほしいなら、頑張って起きてるよ)
(いいえ、無理はなさらないでください)

 大丈夫、起きてるから。そう答えようとして、法月は自分が猛烈な眠気に襲われていることに気付いた。風羽は起きているから視界ははっきりしているのに、それでも眠くてたまらない。ぐらぐらと自分の根元から引きずられて、揺さぶられて、立っていられなくなるような眠気だった。

 ステレオのように上下左右から、風羽の声が聞こえる。法月先輩、のりづきせんぱい。無理はしないでいいと言ったのに、彼女の声は切なさと苦しさを帯びて何度も法月の魂に直接響いてくる。

 起きなければいけない。何よりも大切な女の子が泣いている。その頬を両手で包み、慈しむことはもうできないけれど、何か優しい言葉を探して彼女に向けてあげるくらいはできるはずだ。

 けれど、もう、眠くて眠くて、たま らな   い 。