うちのクラスの委員長はごく普通の、言い方は悪いがありふれた感じの委員長だ。成績はいつも一位という訳じゃないけどトップ争いに加わるくらいで、人当たりも良く、頼めば「教えるのうまくないけど」と言いながら実に分かり易く問題集の解説をしてくれる。顔も悪くないし、身長も平均より少し高いくらい。全体的に地味な印象はあるが、それでもクラス行事のときに全体の指揮をとる姿はなかなか様になっている。ゲームや漫画に出て来るような完璧主義の委員長とは違って親しみやすいからか、クラスでの人望も厚い方だ。まあ何か地味なせいか、クラス委員長にはなっても生徒会長にはならないだろう、という感じ。

 そんな委員長には、高一の頃から付き合っている彼女がいる。もう付き合いだして一年近くになる公認カップルだ。これがまた驚く程の美少女なんだが、ぶっちゃけ変な女の子で、少なくとも「普通」とカテゴライズするには抵抗がある。その外見も、性格も、ついでに喋り方も。そんな女の子が広瀬という普通プラスアルファくらいの奴と付き合いだしたもんだから、俺も含むヤツの友達はたいそう驚いた。放送部で仲が良いってのは聞いてたが、まさかそこに恋愛が発生するとは思わなんだ。相手があの菅野だから、尚更。そもそも関係成り立ってるのかお前ら。実は広瀬の勘違いとかじゃねえの?

「ひっどい台詞」
「いやでもさ、今でもイマイチ納得できなくて。お前、菅野との馴れ初めとか話さねえし」
「……話したって、訳わかんないと思うよ。ハイ、こっちの反省書いて」

 日直は委員長にもヒラの学生にも平等にやってくる。うちのクラスは男女比が均等ではないので、たまに男子同士で日直になる。今回は俺と委員長こと広瀬だった。学級日誌をこちらに向けて渡される。「反省」の欄には必ず日直二人分のコメントが必要なのだ。俺はボールペンでざっくりと「今日も平和だった」と書き殴り、日誌を閉じる。広瀬はどこか呆れ顔だ。

「日誌出してくる。先に帰ってていいよ」
「お、わり。しかし彼女はいいのかよ? 待ってんじゃねえの?」
「そっちこそ、そろそろ学校出ないとバスに乗り遅れるんじゃない? じゃ、また明日」
「おう、じゃーな!」

 職員室の方へ足を向ける広瀬に軽く手を振る。広瀬はこういうささやかな気遣いが出来る奴だ。だから女子にもさり気なく人気があるのだが、ご存知の通りとびきり可愛くて変な彼女がいるため、広瀬に告白する子は少なかった。

 弁当箱を教室に忘れてきたことに気付いたのは、下駄箱に辿り着いたときだった。取りに帰ればバスには間に合わない。取りに帰らなければ弁当を作ってくれた母上殿の逆鱗にふれ、明日の飯代は自分持ちになってしまう。俺の財布は万年スッカラカンに近いので、下手をすれば昼抜きになるだろう。十七の健康優良男児にその仕打ちはあまりにも無体である。

 俺はしばし下駄箱で迷ったものの、結局教室へ戻ることにした。カピカピになってしまった米の張り付いた弁当箱を自分で洗う憂鬱の方が、次のバスを待つ退屈さに勝ったのだ。特に用事があるわけでもないので、帰宅を急ぐ理由もない。もし教室で広瀬と鉢合わせてしまっても、あの委員長なら笑って済ませてくれるだろう。俺の知る広瀬は、そういう広瀬だ。

 教室の前まで行くと、例の、広瀬の彼女がいた。教室を覗き込んでいるところだった。「広瀬くん、いらっしゃいますか」何で同学年の自分の彼氏に敬語なんだ? 俺が首を傾げていると、教室の窓からひょっこりと広瀬が顔を出した。広瀬はごく当たり前のように彼女の手を引く。まさか弁当箱を取りに帰る途中でカップルのイチャコラに出くわすとは思っていなかったので、俺は目を丸くする。しかも、あの広瀬と菅野のだ。俺は階段に身を隠してそれを観察することにする。畜生あのリア充どもめ。絶対後でネタにしてやる。

「教室で待ってて良かったのに」
「兼子さんも芳子さんも帰ってしまわれて、一人になってしまいましたので、こちらへ参りました」
「そっか。俺も戸締まりしないと。あ、その前に」
「何でしょう?」
「教室、寄ってかない?」
「……しりとりはもうしません」
「今は寮が違って、一緒にいられる時間が少ないだろ。だから二人きりになりたい。廊下じゃ誰に見つかるか分からないし」
「……」

 俺は目を見開いた。あの菅野が、大概ポーカーフェイスで、男子より女子に人気があると言われている菅野が、広瀬の言葉に顔を赤くして戸惑っているのだ。対する広瀬は余裕の表情で、意地の悪い微笑みを菅野へ向けている。

 菅野は顔を赤くしたまま、広瀬が顔を出していた窓に足をかけて、ひょいと飛び越えた。これにはさすがの広瀬も驚いて目を丸くしたが、それほど予想外でもなかったのか、「ドアから入りなよ」と苦笑を返した。カラカラと音を立てて窓が閉じられて、虚しく俺一人が残される。ていうか俺の弁当箱。イチャコラして構わんから持って来んかい。

 俺はそっと扉へ近付き、閉まりきっていない窓にこっそりと近づく。ほんの少し空いたスペースに張り付いて中を覗くと、まさしくラブシーンであった。いやエロくはないが。健全なハグだけだが。しかし絶賛恋人募集中の俺には実に羨ましい光景である。

 その様子を見ながら、案外広瀬の方が菅野にぞっこん(古いが)なんだな、と感じた。広瀬の抱き締め方が必死なのだ。広瀬がこちらを向き、菅野が背を向けているからかもしれないが、腕は肩と腰に回され、閉じ込めようとしているかのようだった。

「……落ち着く」
「それは僥倖です」
「今日さ、日直だったんだ」
「お疲れ様でした」
「うん、疲れた。委員長と日直と、仕事が二倍なんだもん」
「それは大変です」
「相方が友達だったから、気が楽だったけどね」

 おお、それは嬉しいことだ。こうして第三者的に自分の評価を聞くって何かくすぐったいな。

「相方……」
「え、何、そこ?」
「いえなんとなく、相方というと、立場が負けたような感じがしまして」
「彼女なのに?」
「相方には特別な響きがあるように思うのです」
「他に言い方がないだけだよ。確かに、面白い奴だけどさ」
「そうですか……」

 広瀬は彼女から身を離して、机に腰掛ける。彼女を見上げる姿勢になって、再び彼女を抱き締めた。お前それ胸に頬寄せてるだろ、と無粋な突っ込みを入れたくなる。いい加減砂でも吐きたくなるくらいのラブラブっぷりだ。広瀬がこんなにデレデレになるとは思っていなかった。

「こっちのが良いかな」
「構いませんが」

 ぎゅっと抱き締め返す菅野の表情は、広瀬と違ってどこか真剣だった。

「こちらの方が、広瀬くんを捕まえておくのに都合が良さそうです」
「浮気はしないけど」
「そういう意味ではありません。一年前のことは忘れましたか?」
「ああ、もう一年も前なんだね……。あの頃はほんと濃い毎日だった」
「では、今は薄いと」
「あの頃が濃すぎたんだよ」

 いまいち会話の流れが分からない。一年前というと、確か学生寮の一部の水道管が破裂して、奴らが別の寮に移動してた時期か。広瀬と菅野がくっついたのはそれがきっかけなのだろう。しかし、何を言っているのかがさっぱりだ。

「今は今で、良い毎日だと思ってるよ。二年になって君と同じクラスになれなかったのは残念だけど」
「来年は同じクラスになりたいです」
「高校最後だしね」
「そしたら、隣の席になりたいですね」
「クラスメイトに冷やかされそう」
「何をおっしゃいますか。見せつけてやりましょう」
「あはは」

 もう十分見せつけられてるぜ、と言いたいところだ。もう帰ろうか。次のバスの時間も迫っている。いつまでもこんなバカップルを覗き見しているなんて切なすぎる。俺も幸せが欲しい。できれば女の子の形をしていて欲しい。

「あの時諦めていたら、こういうことも願えませんでした」
「……そうだね」
「この時期の夕暮れ時は、広瀬くんを探さなくてはいけない気分になるのです」
「殴って止めようとした人間が、センチメンタルな……」
「不安になるのです。気付いたら、広瀬くんが学校からいなくなっているのかもしれないと。不覚ながら小田島先生がいなければ、私は広瀬くんがいないことに気付けませんでした」

 菅野は広瀬をより強く抱き締めた。囁くような恋人達の言葉が、ちっとも甘く聞こえてこないのは何故だろう。すがりつくような、泣き出しそうな切なさを伴って響いてくるのだ。

「どこにも行かないで下さい、広瀬くん」

 俺は立ち上がり、足音を立てないようにそっとその場を後にした。弁当箱はもう放置だ。明日カピカピになってしまった米を洗剤で華麗に洗い流してやろうではないか。昼飯は広瀬におごらせてやる。教室で深刻そうに抱き合う恋人達を置いて、俺は一人バス停に向かう。

 ――うちのクラスの委員長はごく普通の、言い方は悪いがありふれた感じの委員長だ。成績はいつも一位という訳じゃないけどトップ争いに加わるくらいで、人当たりも良くクラスでの人望も厚い。

 その委員長には彼女がいて、これがまたとびきり可愛いんだが、どこかずれた女の子だ。どうやって彼らの恋愛が始まったのか俺の知るよしもないが、多分その過程に何か重っ苦しい事情があって、それは普段ポーカーフェイスの女の子が、夕暮れ時に彼氏を抱き締めたくなるに相応しいようなものなのだろう。

 俺は夕暮れ時には、ロマンチックにキスできるような恋人が欲しい。あんな風にお互いを閉じ込めるみたいにハグする恋愛関係じゃなくて、もうちょっと高校生に相応しいような、ライトでインスタントな恋愛がしたい。

 広瀬と菅野の姿を思い出しながら、俺はバスを待っている。次のバスが来るまで、俺はどうやってこの切なさを紛らわせれば良いのだろう。