猫猫事件帖

悲劇の短剣盗難事件 壱

とある金曜日の話。
男は本を読みながら脚を組み、少女は嬉しそうに彼の元へ駆け寄った。
「みーやまくん!みやまくん!ふふふん、明日は暇?」
「暇だけど」
また何処かに連れて行けと言われるのだろう。宮山 紅葉は予想して溜息を吐きながら、木野宮 きのみの方を見た。
よくある話だ。テレビや雑誌を見て木野宮はすぐにここに連れて行けあそこに連れて行けと駄々をこねる。学校の友達と行けばいいだろ、と言うと、みやまくんと行きたいの!なんて更に駄々をこねる。そんなことを言われては、インドア派と言えど邪険にしにくいというものだ。
今度はどこだろうか。昨日テレビで遊園地を特集してたから遊園地か、はたまた雑誌に折り目の付いていたオープンしたてのアイス屋さんか。
宮山は彼女の次の言葉を推理しながら、なんで?と聞こうとした。しかし木野宮はそれを遮り、宮山の予想を大きく裏切って答える。
「残念!わたしは暇じゃありませーん!」
「……はあ」
そうですか。いやなんだそれは。
特に怒りもしないが、半分呆れながら肩を竦める。そういえば学校には友達がたくさんいるらしいのに、学校の友人たちと遊んでいるところを見たことがない。……私生活の殆どを宮山と共に過ごしている所為かもしれないが。ついに木野宮も学友と遊ぶことを学んだのだろうか。なんとなく感動を覚えるが、しかし木野宮は更に予想を裏切って言った。
「舞台!観に行くんだ!」
木野宮が大きく胸を張る。大声で知った名前を口にする。
「明乃ちゃんと!!」





「急に誘ってごめんね〜宵一さんが予定あって、これないって言うから」
「ううん!うれしい!舞台!はじめて!わーい!」
「えへへ、きのみちゃんと舞台〜」
さながら、背の高い小学生と幼稚園児。何故か手を繋ぎ腕をぶんぶんと振り回しながら、二人は街中を歩いていた。
明乃……十七歳にして現役怪盗である東雲 宵一のパートナー。つまり明乃も列記とした怪盗であり、本来なら探偵の木野宮と遊ぶ……なんてことは、おかしな話だ。しかし二人はそんなことを気にしない。東雲に言わせればお気楽コンビ。二人はきちんと互いの素性を知りながら、こうして遊ぶに至っている。
出会ったきっかけはとある教会のとある事件にて。二人はすぐに意気投合し帰り際に連絡先を交換し合い、今の今まで連絡を取り続けてきた。それも取り留めのない会話が主だったが、つい先日たまたま舞台のチケットが当選したから一緒に行こう、と明乃の方から連絡が来たのだ。
「有名なひと?」
「そうだよ〜!とっても有名な女優さんなんだよ!あのね、今日やるお話はね、お姫様がね」
とある国のお姫様。彼女は部屋に眠っていた短剣を偶然発見し、その美しさを大層気に入り常に手元に置いていた。
しかしある日、ほんの小さな事故で短剣は彼女を貫き、絶命に追い込んでしまう。
その短剣を憎んだ王は、遠く遠くの国へとそれを売り払った。時は経ち、短剣は様々な国を回ったが、その短剣を手にした誰もが「不幸な事故」で亡くなった…という。
それは悲劇の短剣と名付けられた。
何の罪もない人間を貫き続けた剣は、彷徨い続けてついに日本へとやってきた。今回観に行く舞台はその短剣を実際に用い、実際にあったと言われるそれらの事件を舞台化したものである。
故に、オカルト系の人間の中では大いに賑わっていた。件の悲劇の短剣が日本に来たどころか、実際にそれを使って舞台までやろうと言うのだ。
「事件のかおりがしますな……」
「まあ都市伝説みたいなものだからねー。もしかしたら、舞台を流行らせるためのデマかもしれないし」
「いいや!探偵の勘が告げている!事件のかおりがしますぞ!」
「その時は私がきのみちゃんの助手ね!せんせーい!」
「わーい!ついてきたまえ明乃くん!」
はしゃぎつつ、走りつつ。都内の中でも大きい方に分類される劇場へ二人は向かう。
勿論木野宮は何かを察していたわけではない。いや、もしかすると野生の勘というのが働いてたのかもしれないが。
「こういうところ初めて来るんだー!ねえねえ、向こう行きたい!」
「あっちは入ったら怒られるんじゃないかな〜」
「その時はその時とゆーことで!」
開演までの時間、劇場のあちこちを回った。意味もなく二階席に行ってみたり、売店でソフトクリームを買ったり。早速騒いで暴れ回る木野宮に振り回されながら、明乃はその後を追った。
「そろそろ席に行こうよ〜」
「まだ大丈夫だよ!」
「うーん、大丈夫なのかなあ」
ぐいぐいと手を引っ張る木野宮に無理矢理連れられながら、廊下の照明が薄暗くなるのにも気付かずに、奥へ奥へと侵入を果たす。丁度部屋の扉の隣に付けられたパネルに見知った女優の名前が書いてあるのを見て、明乃は肩を落とした。どうやら、控室の方まで来てしまったらしい。警備員は何をやっているんだろうと今度は肩を竦めながら、木野宮の手を自慢の怪力で引っ張る。
「きのみちゃん、こっち来ちゃいけない方だよう、もう席戻ろ? もうすぐ始まるんじゃないかなあ」
「なんと、それは戻らねば!なんと言っても、舞台をたのしみに来ましたからな!ふふふん、私、帰り道はちゃんと覚えてるよ」
木野宮が胸を張る。えらいえらいと帽子の上から頭を撫でてみると、手のひらの下で帽子のリボンが悶えた。
「それじゃもどろっか」
「うん!」
木野宮が明乃の方へ踵を翻す。それと殆ど同時に、控室の中から怒声が飛び出て、二人は身体を硬直させた。
耳を澄まさずとも聞こえるその怒声は、綺麗な女性の声をしている。テレビで聞いたこの舞台の主演女優のものだとすぐに勘付く。
目を見合わせて、二人は部屋の前に立った。息を潜めて扉を少し開けてみる。スパンコールで輝いた、真っ赤なドレスに身を包んだ女がそこで叫んでいる。
「どういうことなの!?見つからないって!」
「ですから、きちんと探したのですが……」
「ふざけないで!ここに来た時はあったじゃない!!」
まるで、獣だ。それも弱い獣。
恐怖を無理矢理怒りに変換し放出する。精一杯の虚勢とでも言わんばかりの怒鳴り方。
明乃は彼女にそんな印象を受けた。木野宮はただ口を開けてそれを見ている。
「悲劇の短剣がないと……。……この舞台は成り立たないじゃない!!」
「レプリカを用意したので……」
「意味ないわ!!探して!もっと探して!!」
女は喚き散らし続けた。どうやら、件の悲劇の短剣が失くなったらしい。話している内容を聞いていれば、木野宮でもわかる。二人はもう一度視線を合わせた。まじまじと見てくるその瞳は、なんだか爛々としている。どうして?と首を傾げたところで、明乃は察した。ちょっと待って、と口が動き出したところだった。木野宮はそんな明乃の気持ちも知らず、勢いよく扉を開け、叫んだ。
「たのもーーーーう!!!」
ああ……。明乃が肩を落とす。やると思ったよう!と頭を抱える。こんなところで事件を起こしてしまったら、帰ってから東雲になんて言われるかわからない。
だが、木野宮は止まらない。
「木野宮きのみです!!その事件、解決しましょう!!」
「……はあ?」
はあ。
一つ、溜息を吐いてから明乃もまた姿を現した。こうなってしまっては、仕方がない。東雲の言葉が頭によぎる。こういう時は、取り敢えずやり切ること!
「……助手の明乃です、えへへ……」


-


女優の反対よりも、そのマネージャーと短剣を探しに出ていたらしい警備員の反対がすごかった。彼らはなんとか無理矢理木野宮と明乃を部屋の外に出そうとした……が、鍛えてもいない大人に簡単に捕まる明乃ではない。狭い室内でひょいひょいと躱すうちに、女優は思い出したと言わんばかりに声を上げた。
「貴女、木野宮探偵の娘さん?」
「如何にも!」
その言葉に、マネージャーも警備員も少しの間動きを止めた。どうやら、木野宮の名は相当に有名らしい。明乃をとっ捕まえようと躍起になっていた警備員も静かになり、女優はしばし考えるようなジェスチャーをしてから口を開いた。
「……お願いするわ」
「しかし!!」
「黙ってて。貴方たちもそんな暇があるなら早く探して」
やはり、妙に思えた。
女優がそこまで短剣に拘る理由がわからない。探すのなら後でもいいと思うのだが、どうやらこの女優は舞台を前にして短剣を失くしたことを焦っている……ように見える。
余程、演技に拘りがあるのだろうか。しかしそれでは、焦燥に混ざる恐怖はなんだと言うのだろう。
彼女はどこからどう見ても、怯えていた。まるで今から殺されるとでも言うように、だ。
短剣の伝説を鵜呑みにしているのだろうか。そういうタイプには見えないが、しかしそうでもない限り彼女が怯える説明もつかない。
女優の様子にはマネージャーも警備員も戸惑っていた。もしも事情があるとするなら、彼女にしか知りえない何かなのだろう。
「……あれは、とても大切なものなの。だから、探すのを手伝ってくれる?」
「勿論!」
「ちょっときのみちゃん」
「はーい!」
木野宮の肩を掴み、くるりと身体をこっちに向かせる。
「なんか、怪しくない?」
「えー? 困ってる人は助けてあげないと!」
「そうなんだけど……空気?空気がね?」
上手く説明できずに戸惑っていると、女優が椅子から立ち上がる。木野宮は何も理解しないまま、彼女の方へ向き直った。
「開演まであと三十分もないわ、急いで。ほら、貴方たちもぼさっとしてないで!」
「は、はい!」
言われて警備員が部屋を飛び出す。マネージャーは溜息を吐いて心配そうにこちらを見た。
「まずは聞き込みから!探偵の基本ですぞ!」
「うーん……わかった!でも開演の時間になったら戻ろうね?」
「はい!お姉さんに質問です!」
木野宮が元気よく手を挙げる。
「短剣は、いつなくなったのですか?」
「……昨日のリハの時点ではあったのよ。確かにここに置いて出たけど…今日来たらなくなってて……」
「それじゃあ夜の間に誰かに盗まれたんじゃ?」
「でも、私のマネージャーが朝にはあったって……ねえ?」
「ええ……確かに、今朝確認した時はありましたよ?その時一緒にいた裏方の人間も確認してます。その辺の小道具とは訳が違いますから、きちんと確認してから施錠して……その後もう一度取りに来たら……」
「……ふーん」
「なるほどなるほど」
各々、反応はバラバラだった。明乃は言わずもがな「盗る」専門だ。話を聞く限り施錠したというこの男は間違いなく、なんの苦労もなく盗れるだろうと考えた。が。
「もしかして僕…疑われてますか?」
マネージャーが不安そうに女優の方を見る。女優は呆れたように溜息を吐いてから明乃を見た。
「この人は私が有名になる前から一緒にいるの。裏切るような真似はしないって、私が保証するわ」
「……そうですか」
女の視線は真っ直ぐだ。信じて疑わない目。実際の関係など二人は知りようもないが、それでも女優から見てマネージャーには絶対の信頼があるようだった。
木野宮が首を傾げる。
「じゃあ取り敢えずさがそ!」
「そうだねえ、向こうの方さがしにいこっか」
「うん!」
ぶんぶんと腕を振って部屋を出ようとする探偵の後に続く。正直、見つからなくてもあまり関係のない話だ。このまま時間が過ぎて開演時間になって、演劇を観れば木野宮もきっと忘れるだろう。
明乃は呑気に欠伸をした。快くスタッフが付けるIDカードをくれたマネージャーにお礼を言ってから部屋を出る。
「どっかに落ちてるのかな?」
「小道具係の人に、聞き込みに行く?」
「行くー!もう時間ないね!走って行こう!」
「あー!廊下は走ったら危ないよう!きのみちゃーん!」
明乃には、短剣の価値がわからない。
なんなら、今まで盗んだ宝石や絵なんかの価値もよくわかってない。それらは東雲 宵一の好奇心を満たす為の代物でしかなく、食べていく為の糧にしかならない。
だから興味が湧かなかった。ただ、友達が一生懸命になっているから手伝うだけ。ただ、目の前を走る少女と楽しい休日を過ごしたいだけ。
そんな軽い気持ちで、二人は短剣を探す冒険に出た。





猫猫事件帖
悲劇の短剣盗難事件





「ないなー」
「ないねー」
「ないなあ……」
「ないねえ……」
拝啓、宵一さん。
進捗、ダメです。
「そろそろ戻らないと、舞台始まっちゃうね」
「ええー!でももうちょっとで見つかりそうな気がするんだよー!」
「じゃあ、舞台が終わってからもっかい探そ?そしたら今度は見つかるかもしれないし」
ヤダヤダと床に座る木野宮に手を差し伸べる。拗ねながらも木野宮はその手を取り、身体を起こした。
小道具係への聞き込み。舞台袖周辺の捜索。怪しい人が通らなかったか聞いたり、外に落ちてたりして!と外に行ってみたり。
この三十分は、思ったよりも充実した三十分だったと言えよう。しかし短剣は見つからず……二人はトボトボと客席の方に帰った。
IDを返す時、マネージャーがお礼にとくれた飴を舐めながら。開演中も捜索はするが、見つからなかったら警察に伝えることにすると彼は言っていた。うんうん、それがいい。明乃は口の中で飴玉をころころと転がしながら、木野宮を見る。
木野宮の勘は、なんだか馬鹿にできないものであるような気がした。後十分捜せば、本当に出てきたかもしれない。
何故だか彼女がもう少しで見つかる気がする……と、そう言ったのが我儘ではないような気がする。
「舞台近いね!」
「えへへ、たまたま前の方の席とれたんだ〜」
「えへへ、ありがと〜」
えへへえへへ。なんて笑い合ってると、開演の合図が聞こえる。盛大な拍手と共に赤い幕は上がり、そこにはあの女優の姿があった。
輝くスパンコールが少し眩しい。彼女の美しさが洗練された赤いドレスによく映える。
女優演じる一国の姫は、城の中で短剣を見つけた。確かにインターネットで事前に見た短剣よりも、装飾が雑だ。明乃は思いながらも、どんどん物語に呑み込まれていく。
短剣を携えた姫は、とある小国の王子とであった。二人は次第に惹かれ合い、恋に落ちる。しかし父がその恋路を反対し、なんとか王子を蹴落とそうと必死になる。
嫌な奴だな、と見ていて気持ちが沈んだ。政治的問題だなんて、明乃にも木野宮にもわからない。人の恋路を邪魔する奴なんて馬に蹴られて死んでしまえ!思った矢先に、姫の父は王子との決闘の末、崖から落ちた。
しかしそれを間一髪、王子が助ける。父は王子の心優しさに感銘し、姫との結婚を許した。
ところどころで泣く声が聞こえる。感動的なシーンも終わり、ついに姫と王子は結ばれた。彼女らの結婚パーティーのシーンが始まる。きっとこの後、短剣によって姫は絶命し、王子は絶望するのだろう。そんなありきたりな展開を予想しながら、それでも明乃はパーティーに釘付けになっていた。
煌びやかなドレス。豪勢な食事。城の一角にて、ロマンチックな音楽と光景が流れる。二人の後ろで踊る貴族は仮面を付け、ドレスとタキシードに身を包み歌っている。
思わず憧れてしまうようなシーンだ。
そして音楽がゆっくりと止まる。王子の肩に誰かがぶつかり、短剣をお守りだと見せていた姫の手元が狂う。
嗚呼、やっぱり―――!!
明乃は目を覆いたくなった。ようやく幸せになったのに!と叫んでしまいたくなった。しかし勿論、実際には叫んでいない。目も覆っていない。
と、いうより。目を覆えなかった。
明乃の通常の人間の何倍もある運動神経は、鍛えたわけではなく先天性の才能である。それに追いついていくかのように年々脳の処理速度も、動体視力も上がっていっていることに己で気付いていた。
ほんの少しの変化や、ほんの少しの違和感を逃さない。この目は、そういう目だ。
だから明乃は違和感に目を背けられなかった。スローモーションのような演出の中だから、それは余計に目立つ。
パーティーの後ろ側で踊る脇役たち。彼らは短剣に目もくれず、歌いながら踊っているはずだ。
にもかかわらず。たった一人の人影は、流れるような動きでその輪から抜け出した。極めて自然な動き。だが明乃にはわかる。その人影が、何処に向かっているのか。
「……明乃ちゃん?」
木野宮は思わず声を上げた。明乃から発せられる異常な空気は、先ほどまで談笑していた本人と同一人物だとは思えない。
名を呼び終わる頃、明乃は席を離れていた。正確には席から飛び上がった。不可解な動きをする人影に向かって、その身体を跳躍させたのだ。
「あ、明乃ちゃ―――」
そして木野宮が漸くそれに気付いた頃。
バツンと電気の切れる音。舞台どころか会場中の電気が消え、目の前が真っ暗になる。
ガチンと金属が押し潰し合う音。見えない何処かで、何かがあった。ザワザワと騒がしくなっていく会場が、不安で呑み込まれる。
「……おや?」
そして素っ頓狂な声が一つ。
忙しい人の声が舞台の裏から聞こえて、漸く会場の電気が戻る。
「……ッ!」
「これはまた、可愛らしい騎士様」
舞台は光の下に照らし出された。
床に倒れた姫と王子は唖然とし、その前方では明乃が持ち運んでいるのであろうナイフで短剣を受け止めていた。
間違いない。失くなったはずの悲劇の短剣。そしてそれを無慈悲にも振るう人影は、煌びやかなマスクで目元を隠し、しかし嘲笑うかのような口元は隠さずに。
「貴方は、東雲 宵一の助手…でしたっけ?」
「…………」
真白な燕尾服に、白銀に近い長い髪。
伸し掛る短剣は、異様なまでに重かった。
「誰」
「さて誰でしょう」
「知らない」
力一杯ナイフを振るう。弾けた拍子にまた金属音がして、人影は後方に引いた。
「でしょうね。初めましてですから。どうも初めまして、挨拶は大切ですよ」
そいつは、礼儀正しく頭を下げた。
明乃は、反抗するようにナイフを構えた。
異様だ。
目の前の人間は、異様なまでに「己の敵」であると認識する。
息を整える。こいつはヤバイと頭の中の誰かが告げている。
「初めまして」
そして明乃は顔を上げると、そう返した。
「てか、サヨナラ」


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