猫猫事件帖

水曜日の夏林檎事件

PM 21:00

これはほんの幕間、とある水曜日のお話。
夜を追う怪盗達と、怪盗を追う探偵達は、今日もまた都会を闊歩する猫のように街並みを見送る。
日が沈み、また昇る。繰り返しよくある風景を今日も見届けて、彰は小さくくしゃみをした。なんだか鼻がむず痒い。思って空を見上げると、もう初夏であるというのに大粒の雪が都会に舞い降りてきた。
昼は半袖でいいくらい暑いし、夜だって薄いカーディガンを羽織れば十分な気候なのに、である。彰は首を傾げながら肩にとまった雪を見た。溶けないそれは手のひらの熱にも抗い、ふわふわと風に揺られて何処かに攫われていく。
「あそこの喫茶店はいいですね。落ち着いていて、音楽も良かった」
隣を歩く影が上機嫌にそう言った。
「サービスで出てきた林檎、中々美味しかったと思いません?」
彰は先程までいた喫茶店を思い出す。軽食しか頼んでいないのに、サービスだと言って出てきた林檎は確かに美味しかった。上機嫌になるのもわかる。しかし今話すべきはそれではないだろうと思い、影を見る。じとっとした視線に気付いたのか、影は不敵にも笑って空を見た。
「季節外れの雪も素敵ですね」
「論外。雪なわけないじゃん」
「雪の方がロマンチックで貴女が好きかと」
似合わない冗談を言うくらいには、上機嫌らしい。彰は肩に降り注ぐそれを手で払いながら、気持ちのいい風を身体に浴びた。
確かに、季節外れの雪も悪くはない。だけどこれは、なんなのだろう。再度首を傾げると、隣の影が口を開く。
「誰かの落し物、ですかね」
そんなことあるわけないのに。
彰は面倒くさくなって反論を止めた。影は上機嫌のまま、また林檎の話を始めては鼻歌を歌った。





猫猫事件帖
水曜日の夏林檎事件。





PM 16:00

探偵達は町立図書館にて探し物をしていた。と、言っても探し物をしているのは助手の宮山の方だけである。
基本的に本を読まず、活字をあまり好かない木野宮はただの暇潰しについて来ただけだ。宮山は再三彼女に静かにするようにと注意してから、ファンタジーと書かれた札のある方へ向かった。
「何探してるの?」
木野宮が彼女にしては比較的小さな声で聞く。宮山は本棚と向き合ったまま、うーん…と唸っては首を傾げた。探している本はつい最近ハマっている作家の人気作品だ。彼の本を全て読破するという今の目標を達成すべく、宮山は足繁く図書館に通っていた。
しかし見当たらない。そこまで人気の作家というわけでもないが、前に借りた時はこの本棚に並んでいたはずだった。宮山は三回ほど本棚を上から下まで見回して、諦めたかのように肩をすくませた。
「ないみたい。一応聞きに行こうかな」
「なーにーさーがーしーてーるーのー」
「図書館では静かに。ほらほらセンセ、司書さんのところへ向かいましょう」
「本読まないからって!私が本読まないからって!」
騒ぎかけの木野宮をなんとか抑え込んで、引きずるような形でカウンターに向かう。カウンターで探している本のタイトルを言えば、すぐに貸出中だという返事が返ってきた。
なす術なし。一旦退散。
宮山は木野宮を引きずったまま図書館を出る。よく晴れた午後は気持ちがよく、もう上着がいらないくらいに暖かった。
ぬるい風は初夏の到来を思わせる。今頃埃をかぶっているであろう夏服に思いを馳せながら、宮山はようやく掴んでいた木野宮の服を放した。
「何探してたの!?」
「本」
「だと思った!!」
「ファンタジーのね」
「うんうん、やはり私の推理は正しかったようだ!それでそれで、どんな本!?」
木野宮がやたらと食い付いてくる。宮山はどうせ人の話は聞かない癖になあと思いながら、仕方なく概要を話した。
それはとある夏の物語。主人公と恋に落ちた少女が、命を懸けて主人公を守ろうとするお話。最後には、主人公を守る為少女は死んでしまう。夏の空に儚い雪を降らせて、溶けるように消えていってしまう。そんなお話。
「夏に雪降るの!?」
「魔法とかがある世界の話だからね」
「そっかー、魔法ないとダメかー」
「そりゃあ、夏に雪は降らないよ。暑いからね」
「だと思った!!」
嗚呼、読みたかったのに。
宮山は顔に出さずに落胆した。しかし他の本を借りるという選択肢もなかった。それほど、あの本の気分だったのだ。夏に降る雪なんてありえない話だと思いながらも、そこに感じる浪漫というものを求めていた。
「あ!みやまくん見て!林檎!林檎落ちてる!」
「はいはい」
「ほんとだよ!林檎落ちてる!二個も!見て!」
「わかったわかった」
またおかしな事を言うものだ。こんな都会の真ん中で、林檎なんて落ちているわけがない。宮山は思いながらポケットに入れたはずの煙草を探していた。すると木野宮が真っ赤な球体を両手に持ち、それを宮山の顔の前に突きつけて来た。
一瞬、視界が真っ赤になる。ぱちくりと目を丸くした宮山を見て、木野宮はようやく手を引っ込める。
その球体は、確かに林檎だった。何処から来たのか、誰のものなのかわからない林檎。木野宮は嬉しそうに匂いを嗅いでみたり、叩いてみたりしている。つやつやと輝く真っ赤な林檎は、まんまると太って随分美味しそうだ。もうすぐ夏だというのに、こんなに太った林檎があるだろうか。なんとも不思議なものだ。
「宮山くん、この林檎飼ってもいい?ちゃんと面倒見るから!散歩も行くから!」
「…そう言ってどうせ俺が散歩に行くことになるんだから、元の場所に返してきなさい。林檎を飼うのだってタダじゃないんだよ」
「えー!!アップルパイにしてよ!!アップルパイにしてよー!!」
「せめて自分でしなさい」
宮山が林檎をこんこんと叩く。中には誰も住んでいないようだ。
木野宮は嬉しそうに林檎を抱えて帰った。
部屋の雪どころか、夏の林檎が降ってきてしまった。
宮山は先程までの落胆を忘れて、事務所までの帰路を悠々と歩いた。




PM 15:00

張りぼての探偵と怪盗を生業とする刑事は、美術館の近くにある小さな喫茶店で紅茶を啜っていた。
町内の喫茶店を回りに回っている二人だが、探偵の口に合う紅茶はここ以外でまだ見たことがない。刑事からすれば普通の紅茶もどうやら不味いらしく、飲んだ瞬間に不機嫌になるのだから手の付けようがない。不味い紅茶が三軒続くと、次で暴れ出す可能性があるのでこの喫茶店に来るようにしていた。
既に常連となった二人はカウンターに近い席に座りながら、お互いの近況を報告した後なんともないただの世間話に勤しんでいる。大半が探偵の文句と愚痴なのだが、刑事は笑ってそれを聞いていた。
探偵の文句が佳境に入り始めた頃、テーブルにことんと小さな皿が置かれる。皿の上には綺麗に飾り切りされた林檎が並び、探偵を見つめるようにちょこんとそこに居座っていた。
「なにこれ」
「実家から送られてきた林檎ですよ」
喫茶店のオーナーを務める男が答える。ふうん、と言いながらも嬉しそうにフォークを取った探偵、水守綾はすぐにそれを口に入れた。
「美味しい!」
「ほんとだ、美味しいな。林檎っていうと、冬のイメージだけど」
「今まで食べた林檎の中で一番美味しいわ」
「きっと母も喜びます」
ニコニコしながらカウンターに戻っていった男を見ながら、刑事、壱川遵は林檎をまた口に運んだ。ラッキーデイだな、なんて思いながらご機嫌になった水守に視線を戻す。
「良かったら持って帰ります?大量に送られてきたんで、当分サービスで出すつもりだったんですけど、本当量が多くて」
「いいの?じゃあ貰っていこうかしら」
「ええ…そんな、申し訳ないよ」
「どうせロクなもん食べてないでしょ。貰えるもんは貰っとくべきだと思うけど」
言うと男が茶色い紙袋いっぱいに林檎を詰めて持ってきた。つやつやまるい林檎の山にご機嫌度が上昇したらしい水守が満足げに笑った。今日はこれ以上機嫌取りをしなくても大丈夫そうである。
「持って」
言われるがまま、壱川が紙袋を持つ。男に礼を言って喫茶店を出ると、初夏の陽気を身体に受けた。中々の重量がある紙袋を抱えながら、壱川と水守は帰路に着く。壱川はこれから仕事へ戻り、水守は自宅に帰るつもりだ。しかし林檎の紙袋をもたせたまま歩いているところを見ると、どうやら「家まで運べ」ということらしい。
最初、水守綾という女がこんなに我儘で傲慢な人間だとは勿論知らなかった。だけどそれにも随分慣れたし、振り回されるのも嫌いではない。思うとなんだか面白くなってきて、壱川は勝手に一人で笑った。何笑ってんの、なんて文句も今日は飛んでこない。なんせ彼女は、つやつやの林檎に夢中だからである。
「ちょっと、携帯」
水守がふと足を止めて壱川を指差す。気付かないうちに携帯の着信音が鳴っていたらしい。早く戻ってこいというお咎めの電話だろうかと予想しながら、壱川は片手をポケットに伸ばした。
「よいしょ…っと、ああ!」
そして林檎が跳ねた。バランスを崩した拍子に、ぽんと二つの林檎が逃げて行ったのである。あー!と水守の絶叫が響いた。あらら…と言い訳と慰めの言葉を考えながら、壱川はなんとか携帯を耳に当てる。
「すいません遅くなってーーー」
「ちょっと!林檎転がってーーー!!」
「何?予告状?」
ぴくり、と水守の耳が動く。この周辺で予告状を出すような酔狂な輩は一人…いや二人しか知らない。ツイッターで無能探偵と叩かれるようになったすべての元凶であり、尚且つ腹にスタンガンを叩き付けられた屈辱の大元である人間を思い出すと、メラメラと闘志に火が付く。
林檎のような赤、なんて可愛らしいことは言えない。燃え盛る炎のような赤に塗られた怒りを背後に見て、壱川は苦笑いした。
林檎はそんな水守の心情などいざ知らず、ころころと道を転げていく。二人を置いて、行く先を自ら決めるかのように……
転げていった林檎は、どこかでぴたりと止まった。



PM 14:00

怪盗は悩んでいた。怪盗にもスランプというものはある。特に東雲は、演出と脚本に拘るタイプの怪盗故に、だ。
何か新しい演出はないか、派手で目立って愉しくて、もしくは幻想的で美しくてーーー嗚呼なんだっていい!
「とにかくいい発想が降りてこねえ!!!」
「宵一さーん!アップルパイ焼けたよー!」
「あ!?食う!!」
悩みに悩んだ挙句叫んだ東雲を無視して、怪盗助手、明乃は焼きたてのアップルパイを乗せた皿を運んできた。
「美味しい林檎だよ!いつもスーパーで会うおじさんがね、買おうと思ったらお裾分けがあるって言ってくれたんだ」
「大丈夫なのかそれ、お前はもう少し危機感持て」
「大丈夫だよー!ついて行ったら喫茶店のオーナーさんだったの!美術館の近くのさー今度行こうよ〜お礼ついでにさ!ね!」
「外食好きじゃねえの知ってんだろ」
アップルパイにフォークを刺す。カスタードクリームとシナモンの香りが食欲を刺激してきたので、急いで口の中に放り込んだ。
「ん、うまい」
「やったー!レシピも教えてもらったんだ!」
えへへ、と笑う明乃を横目に、東雲はあっという間にアップルパイをたいらげた。おかわりあるよ、と明乃が言うが、それは夜にとっておくことにする。
糖分を補給したことだし、ともう一度パソコンと睨めっこしてみるが、やはりいい案は思い付かない。
「そんなに思い詰めることないと思うなー」
「思い詰めてねえよ。いい案が出てこないだけで」
「じゃあおやすみしようよー。たまには探偵さんたちにもおやすみあげよ?」
「前盗みに入ってから二ヶ月も経ってんだろ!死んだと思われたらどうすんだ!」
「死んだと思われても、困ることないと思うなあ…」
腕組みをして不機嫌面を隠そうともしない東雲を見ながら、明乃はふた切れ目のアップルパイを食べ始めた。なかなかいい出来だと自分でも思いつつ、テーブルに置きっぱなしにしていた本を開く。
「こら、食べながら本読むな。行儀が悪いぞ」
「宵一さんって、たまに真面目だよね〜」
「いつも真面目だろうが!行儀が悪いのを正して何が悪い!」
「怪盗助手だも〜ん、おやつ食べながら本読むくらいするも〜ん」
「怪盗関係ねえだろ!!」
小煩く叱咤する東雲を無視して、明乃は本を読み進めた。これが反抗期というやつなのか…と肩を落としつつ、東雲も諦めてパソコンに向かう。
あまりにアイデアが出ないため、ついにはミステリー小説を通販サイトで検索し始めるくらいだ。相当詰まっているのだろう。どうせ既存のミステリー小説などでは、納得のいく答えは見つからないというのに。
明乃は鼻歌まじりにアップルパイを頬張り、本を読み、窓から入ってくる初夏の匂いを楽しんだ。この季節は好きだ。今から夏が来るという報せは、何よりも明乃の心を躍らせる。
そうして少しの間まったりとした時間を過ごしていると、東雲もようやくアイデア出しを諦めたらしい。だらしなく身体を放り出して、ぼうっと明乃の方を見た。
「…何読んでんだ」
「"夏雪物語"」
「懐かしいな」
「読んだことあるの?」
「学生の頃にな。結構好きだ。最後の雪が降るシーンなんか…」
「あー!待って!言わないで!まだ読み終わってないのに!」
「雪…………」
「言わないでってばー!宵一さん!意地悪!」
東雲が固まる。明乃がん?と首を傾げる頃には、カッと目を見開いて飛び起きた。
「部屋に雪!!!!それだ!!!!思い付いたぞ…………ふはははは!!!」
「あー、またそうやって、悪党っぽい笑い方やめなよー!」
「明乃!紙持ってこい!今夜行くぞ!準備が出来次第予告状を出してやる!」
「えー!?今日行くのー!?こんなにいい天気なのに…」
「怪盗に天気が関係あるか!早くしろ!」
東雲が爛々と衣装ケースを開く。今度は何を思い付いたんだろう。明乃は文句を言いながらも、アップルパイが乗せられていた皿をキッチンへ運んで準備を手伝う事にした。
なんだっていいのだ、東雲が楽しいなら。それで明乃も、楽しいから。
手早く何かを作っている東雲を見ながら、明乃はまた鼻歌を続けた。今夜もきっと、楽しい夜になる予感がした。



PM 21:00

夜を追う怪盗達と、怪盗を追う探偵達は、今日もまた都会を闊歩する猫のように街並みを見送る。
美術館の周りに無数に止まったパトカーのランプを見下ろして、明乃はよおし、と口に出した。真っ白なマントはいつもより少し重く、しかし明乃の邪魔をする程ではない。
下に到着した一台の車から、見覚えのある刑事と探偵が出てきたのを確認する。そして追うように走ってきた小さな探偵ともう一人、その助手の男も見えた。
「例の刑事さんたち、来てるみたい!」
「何嬉しそうに言ってんだ、あいつら全員敵だぞ」
「でも友達だも〜ん。お仕事の時以外はいいんでしょ?」
「………向こうに他意がなければな」
美術館の隣に位置するビルの屋上にて、東雲と明乃は最後の準備を整えていた。
東雲はパソコンに向かっている。明乃にはわからないことだらけのパソコンだが、必要なことをしているには違いない。明乃は指示を待つだけだ。ウキウキしながらその時を待っていると、東雲が風に紛れて声を出した。
「計画は覚えたか?」
「うん!潜入して、警察の人が集まってきたら真ん中の部屋でこの紐を引っ張るんだよね?」
明乃がマントについた細いリボンを摘む。パッと見ただけではマントの色と同化して見えないようなリボンだ。
「そうだ。そうするとマントに仕込んである綿が一斉に飛び出す。同時に空調を弄るから、そしたらーーー」
「初夏に降る雪!宵一さんってこういうの好きだよね〜」
「怪盗ってのはエンタメ性が大事なんだよ」
「知ってる知ってる」
マントが風に揺れる。東雲がよし、と小さく呟くと同時に、明乃は一歩前へと踏み出した。
「行ってこい」
「うん、いってきます!」
笑う明乃にほんの少しだけ笑顔を返しながら、東雲は彼女を見送った。が。
ビルの屋上から舞い降りようとした瞬間である。何かが裂けるような音が大きく聞こえた。ビリ、と。確かに布が裂けるような音が…
「あーー!!!!」
「ア"ーーッ!?」
そして叫び声が響く。既にビルの下へと落下していく明乃の声と、それを上から見ている東雲の声が重なる。
屋上のフェンスに引っ掛かったマントが、理不尽にも大きく縦に裂けた。中に仕込んであった小さな綿の塊たちが、ふわふわと風に乗って大量に都会の一点で舞い始める。
ごめんなさーーい!と大きな声が下から聞こえた。東雲は偽ものの雪が舞っているのを見るのも嫌だという風に顔を手で覆った。
初夏の雪…もとい、偽ものの雪が幾多の人間の肩に舞い降りた。
例えば不器用にも休日を過ごす怪盗たちの。
例えば怒りに燃える探偵と、それを宥める刑事の。
例えば事件にはしゃぐ探偵と、読めなかった本を思い出す助手の。
夜を追う怪盗達と、怪盗を追う探偵達は、今日もまた都会を闊歩する猫のように街並みを見送る。
夏の開幕を告げるような日の街並みを。

これはほんの幕間、とある水曜日のお話。





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